ワンシーンノベル 2003
あの頃のこと(1) back
しばらくの間、生まれ育った呉の町のこと、子供の頃のことを書こ
うと思います。最初は1995年に「呉レンガ建造物研究会」の会
誌に寄稿したエッセイを3作ほど再掲載します。
「缶けり」は路地遊びの王様だ
呉の本通りをそのまま北に進み、もう少しで峠にかかろうとする
あたりに商店街がある。幅が三メートルぐらいの坂道の両側に小さ
な商店が張りついている。呉の街を離れて、もう二十年以上になる
が、あの当時どんな店が並んでいたのか思い出してみると、八百屋
が二軒、魚屋が二軒、惣菜屋、肉屋、お好焼き屋、本屋、薬局、駄
菓子屋、菓子屋、くつ屋、クリーニング屋、呉服屋、洋服屋、散髪
屋があった。およそ日常生活に必要な物は商店街で間にあっていた
ことになる。うれしいことにほとんどが今も健在だ。(注)
このうちの一軒が私の家だったのだが、小学校から帰る時分には
家に簡単に入れないぐらい、狭い道や店の前に人がたかっていたの
を覚えている。
ランドセルを背おった私はお客の脇をくぐり抜け、店の中を通っ
て、靴を脱がないまま、土間の上がり口にある四畳半に背中の荷物
を放り出す。土間といっても通路が少し広がっただけのもので、モ
ルタルの上にタイルを貼った流しがあって、炊事場にもなっている。
その土間を通り抜けて外に出たところに便所と風呂場があった。風
呂場はあとから別棟で増築したものだ。一階はこれだけの間取りで、
四畳半の奥の急な階段をあがった二階には最初は八畳の二間続きが
あっただけだった。おそらく私が小学校の高学年になった頃に二階
の窓の外に子供部屋、その下に階段の途中から入る両親の部屋がで
きた。両方とも四畳半くらいの広さだった。私の家は三軒が一棟に
なった二階建て長屋で、壁は共有していたし天井裏はつながってい
た。もちろん借家だ。この家に祖父母と両親、兄弟三人、雇い人一
人の計八人が暮らしていた。
ランドセルを放り出すと、「はよう帰りんさいよ!」という声を
背中で聞きながら勢いよく店の外に飛び出して遊びにでかける。昭
和三十年代ガキンチョ世代のわれわれの遊びは、ラムネンチン(ビー
玉のこと。「天国と地獄」というのをよくやっていた。)、パッチ
ン(メンコのこと。これにもいろいろなあそび方があった。)、釘
立て等々だったが、坂道で路地が縦横にある商店街での遊びの王様
はなんといっても「缶けり」だった。平日はすこし遠くで遊び、休
みの日には商店街で遊ぶという暗黙の了解があったので、「缶けり」
は当然、日曜日にやる。昨日までの賑わいが嘘のように静まりかえっ
た坂道にわれわれはせいぞろいする。店の表には小さなくぐり戸の
ついたトタン張りの戸が立ててあった。ジャンケンで負けた鬼はブ
リキ缶を坂道のまんなかに置いて、足で押さえ、二十数える。「・
・・じゅうはち、十九、にーじゅう!」
目をあけて先ずはまわりを見渡す。ひとっこ一人いない。鬼のケ
ンちゃんの目には何も見えないが、駄菓子屋と呉服屋の間の五十セ
ンチ足らずの路地や坂道の曲がり角にある散髪屋の渦巻き看板のか
げ、三軒長屋の裏庭を迂回した所にある木の扉の中、坂道より一段
高い靴屋の裏のレンガ塀の中などに一人づつ隠れているのだ。さて、
ここから微妙な駆け引きがはじまる。缶を足の下に置いていたので
は誰も出てくる筈がない。隠れている子を見つけるのもむつかしい。
自分の脚力と身のこなしの素早さ、相手のそれと出てくるであろう
場所を勘案し、少しづつ缶を離れながら誘いをかける。どこまでだっ
たら離れても大丈夫か、この間合いの見切りが「缶けり」では一番
のポイントになる。隠れているほうも鬼の様子を窺いながら、同じ
ような見切りを行っている。捕まるのは様子を窺う時か、間に合う
と思ったのに鬼のほうが素早かった時のふた通りだ。今日のケンちゃ
んは調子がいい。一人二人と見つけていく。見つけたら一旦缶を足
で踏まないといけない。鬼が踏む前に誰かが缶を蹴ると捕まってい
た子供は無罪放免、鬼が缶を拾って元の位置に戻すあいだにまた隠
れることができる。残り二人になったとき、路地に隠れていた雄二
が缶を蹴ろうと飛び出したが、タッチの差でケンちゃんのほうが早
かった。レンガ塀の中にいた私はがまんがまん、と心のなかでいい
ながら、菱形にあいた風通し穴から様子を窺っている。雄二は私の
いる場所を知っているので、ケンちゃんと私の間に身体を移動した。
右手を後ろにまわしている。少したって、その右手がおいでおいで
をする。
「いまだ!」
パッと身をおどらせて九十センチぐらいの高さのレンガ塀を一気
に跳び越し、坂道に降りた。ケンちゃんもあわてて引き返してきて、
すこし遠い位置から足をのばしてくる。私は勢いよく右足を振った。
カーン!
ブリキの缶はケンちゃんの脇をすりぬけて坂道をコロコロころがっ
た。ケンちゃんはがっかりした様子で缶を追い掛けた。ようやく缶
を拾って振り向いたけれど、もう坂道にはひとっこ一人いない。
注:数年前に私が暮らした三軒長屋は火事で焼けてしまい、
商店の数は大幅に減ってしまった。
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