ワンシーンノベル
2003

あの頃のこと(2)
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 我が家でも、家族そろっての花見は、もう夢になりました 

水源地には桜がいっぱい(その1)   子供のころ私が暮らした町は灰が峰のふもとにあった。本通りを   ずっと北に上ると神山峠(じんやまとうげ)に向かう道が左に別れ   る。この別れのあたりが私の町だ。我が家から峠にむかう道を15   分ばかり歩くと神社があり、その近くに水源地がある。水源地は、   この道を挟んで上下二段にわかれている。上の段の方が広くて、大   きな四つのプール(濾過地)がある。ときどきプールの水を抜いて   砂の入れ替えをしていた。下の段のプールは地下式になっているら   しく、地表にはレンガの立ち上がり壁と屋根の芝生が見えるだけだ。  芝生には、おそらく空気抜きだろう、円錐の帽子をかぶった高さ一   メートルくらいのかわいらしい突起物があって、規則正しくグリッ   ド状に並んでいる。そのほかにはレンガを貼った換気塔が二つ、地   下式プールの端と端に対面して立っている。峠にむかう道は例によっ  てくねくねと灰が峰のふもとを登っていく。この辺りでは、先ず下   の段の水源地の南斜面の脇を通り、神社の上をすぎて右に大きく曲   がり、二つの水源池の間を抜けて、今度は三百六十度左に曲がって   プールの見える水源地の上に出る。この水源地の正式名称が「呉市   水道局平原浄水場低区配水地」であるとは最近になって知ったこと   で、我々は単に「平原水源地」と呼んでいた。             両方の水源地とも敷地の周囲や斜面にたくさんの大きな桜が植わっ  ていた。いまでは水源地の間を通る道を両側から覆うように枝がの   びて、ほんの短い距離だが桜のトンネルができている。30年たつ   間に一段と立派な桜になった。少し花吹雪が舞う頃に、このトンネ   ルをバスが通り抜けるところなどは風情があって絵になるだろう。   来年の春には写真でも撮りにいくかと思っている。           いまはどうだか知らないが、あの頃は花見の季節には下の段の水   源地だけは解放されていたはずだ。いつもは開いていない正門を家   族そろって正々堂々とくぐり、花見をした記憶がある。考えてみる   と私の町には桜の植わっている場所はほかにない。手近でまとまっ   た花見の場所としては最適だったのだ。水道局もいま思えば粋なは   からいをしていたものだ。(今も開放しているのだったらもっと立   派です。)                             突起物のある芝生の部分には桜がないので、みんな敷地の周囲に   陣取ってお弁当を囲む。人数もかなり多く、にぎやかだった。近所   の商店街総出の花見もあったかもしれない。お弁当は、私の家が食   べ物を売る商売をしていた関係で店で見なれたものが多かった。そ   れでもさすがに卵焼きぐらいは焼いていたとおもう。まぁとにかく   お弁当の中身じゃなくて、親父にすれば酒があればいいのだし、子   供たちは外でお弁当を広げるだけで心がわくわくするのだし、おふ   くろはできるだけ手を抜いて花見ができればよかったのだから、み   んな丸く納まって、春の一日を楽しんだということだろう。       この<家族そろってのお花見>をいったい何時からやらなくなっ   たのか、それが思い出せないのだ。私が大学に入り九州に行ってか   らは少なくともやっていない。春の花見の時期に呉の町に帰ってい   た覚えがないからだ。高校二年生の時に少し離れた所に家を建てた   ので、恐らくその頃から足が遠のいたのではないかとも思う。<家   族そろってのお花見>が成立するにはそれなりの条件がある。物理   的に誰かが離れて暮らしていればできないし、子供が成長してそん   なダサイことできないよ、と友達と遊びに出かけたらもうおしまい   だ。大人になって結婚して子供もできたが、家族そろってお花見を   することが実はたいしたことなのだとは思ってもみなかった。よく   考えてみれば一家族でせいぜい十数回もやれば上出来なのではない   だろうか。                             「明日の日曜日には花見でもするか。」と私が誘っても高校生の   娘は友達とお出かけだ。”なんだ。花見は一年のうちでほんの二、   三日しかできないのにしょっちゅう会っている友達と出かけなくて   もいいじゃないか・・・ばかやろう!”と心の中で毒ずくのが関の   山だ。<家族そろってのお花見>が桜の花のように本当は短い間し   かできないことなのだと気がついて、よけいにあの春の一日がなつ   かしい気がする。そういう私も、勝手に親の知らない大学にいって   休みにもほとんど家に帰らない息子だったのだ。親父もあの頃、桜   の花が咲くたびに”ばかやろう!”とつぶやいていたのかもしれな   い。                             

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