日本ダルクローズ音楽教育学会「会報」2002

巻頭言 愛されているという実感をもつこと

神 原 雅 之 

 テロの脅威に怯えながら過ごす日々−今でも多くの人々がその不安な気持ちを抱きながら過ごしています。ただ事態の行方を眺めるだけだったり、飢餓や寒さ、悲しさや痛みに耐えながら、何かしたくても何もでできないでいる人々も多い。最近の国際紛争や悲惨な事件の数々が報じられるたびに、私はこんな思いを抱くのです。こういう出来事に出会って、私に出来ることは何なのか−そんな思いを秘めながら悶々と過ごしている人々も少なくないでしょう。

 周知の通り、幼児期・児童期の経験はその人の生き様に大きな影響を及ぼします。人との関わり(他者との関係)、身の回りを取り囲んでいる事象との関わり方など、その反応は人によって大きく異なります。それは、人によって感じ方に差異があることを教えてくれています。この点についてマグドナルド&サイモン(1989)は次のように述べています。「子どもたちの音楽に対する価値観は、周囲の大人たちの価値観に大きく依存している」と。言い換えれば、人に愛されて過ごした子どもは、周囲の人々に温かいまなざしを向けるでしょうし、虐められて過ごした者は周囲の人々に対して警戒感を示すのだろうと思われます。周囲の事物に対する感性は、言葉や仕草、表情などによって伝えられますが、そこでみられる表現は一人ひとり異なります。その基礎には、その人がどのような思いを味わってきたか、初期体験に大きく依存しているのだと言えます。そこで私たち大人の果たす役割は看過されません。

 その意味から、音楽の果たす役割は、幼児期・児童期の初期体験にかかっていると言えます。音楽を愛することを体験した子どもは、おそらく音楽を一生のパートナーとして過ごすと思われますし、その悦びを次世代に伝えたくなるのだろうと思われます。その傍らで、音楽の美しさを味わったことのない人はその快感を想像することすらできないし、それを他者へ伝えようとはしない。つまり、音楽における心の豊かさは、音楽美を生み出している襞に気づき、その豊かで繊細な味わいに身を委ねる体験の中に潜んでいるのではないか。そうした繊細な心遣いは人を愛する心に通じていると、私は思うのです。

 悲しい事件や悲惨な出来事が報じられるたびに、幼い時期に温かな出会いに恵まれなかったのだろうとも思うのです。幼い時期に、人を信じ愛する気持ちや、周囲の人々に受け入れられているという実感を味わう場を持つこと−これは「表現の教育」によってすべての子どもたちが体験したい、いや体験すべきことだと考えるのです。リトミックが多くの人々に愛され、なくてはならない教育となるためには、生涯を通じて「私は周囲の人々に愛されている」と実感できる、温かな音楽と環境がポイントとなると思うのです。
(かんばらまさゆき、広島文教女子大学教授)