連載「子どもと音楽」(33)
リトミック“公開レッスン顛末記”
 先日,3歳児を対象とした公開レッスンを担当させて頂きました。7名の3歳児たち。勿論,幼児と私は初対面です。部屋には数十名の参観者,そして保護者の皆様も観ておられます。保護者の膝に抱かれて恥ずかしそうに待っている幼児がいます。一方,広い室内を縦横無尽に走り回る2名の男の子もいます。なんだか悪い予感が私の脳裏を過ぎります。

 さあ!リトミックの始まり。この瞬間は緊張します。お互い(幼児も私も)手探り状態なのですから。“どんなことをするのかなぁ”といった表情で幼児がしずしずと近づいてきます。
 丸くなって座って,ボール渡しをしながら挨拶。|♪どーぞ|♪はーい|・・・おぉ!出足は好調です。ビート(拍)を確かめながらボール渡しを楽しみ,心を解放するために少しだけ駆け足をすることとしました。これも順調です。幼児は,音楽や私の動きをうかがいながら,ボール渡しをしたり,駆け足をしたり,上手く応答しています。幼児は確かに,音楽や周囲の人の気持ちを汲み取る力を持っています。
 こうして予定通り,導入の活動は進行していきました。途中,駆け足をしている2名の男の子が,ピアノを弾いている私のところに近寄ってきました。私を押し退けて鍵盤を叩き始めるのです。が,他の幼児にも気配りが要りますから,これをこのまま放置しておくわけにはいきません。一向に鍵盤を叩く行為を止めようとしないので,興味の矛先を変えるため,遊びをさらに展開させることにしました。
 私はビートにのって歌を歌うことにしました。歌の歌詞に出てくる動物の模倣とそのジェスチャーを重ねて,ビートとフレーズの長さを関係付けた遊びを体験させたいと考えたのです。ここでも最初は,男の子二人も一緒に歌遊びに参加していたのですが,次第に私の語り掛けに反応しなくなり,さらに鍵盤をバンバンと鳴らすばかり・・・。これには私も困り果ててしまいました。他の幼児も途方に暮れた様子です。この時点で既にほぼ30分が経過,レッスンは予定の終了時間に近づいています。私は,中途半端のままこのレッスンを締めることにしました。

 おそらく,この顛末に参観者・保護者の皆様は,ヤキモキしたり,落胆されたりしたことでしょう。申し訳ない。男の子の気持ちを音楽に向けさせることができず,私自身もガックリです。なぜ幼児の気持ちを焦点化できなかったのか。自分自身の無力さに落胆してしまいました。
 幼児がレッスン前にしていた「走る」という行為をレッスンに活かすことはできなかったのか。幼児が興味を注いでいたピアノを用いて遊びを展開するアイデアはなかったのか。あるいは,もっと強引に歌遊びに参加するように言い聞かせた方が良かったのだろうか。聴く耳を持たない幼児に,どのように諭したらよいのか・・・・。解決の糸口は今も見いだせないままです。

 一つ,私の気持ちを落ち着かせてくれたのは,終了後の幼児の言葉でした。レッスンを終え,参観者も一端休憩。その緊張を解いているとき,幼児達が小走りに寄ってきて,「ありがとう」と私に軽く触れて走り去っていきました。私は幼児達に嫌われてはいなかったようです。保護者の方も,見学していただいた先生方も,なんだか申しわけなさそうに挨拶をしてくださいました。私の方が先に頭を下げねばならないのに・・・・。

 時間を経て,改めて私はこのレッスンを思い返しています。レッスンの結末は甚だ恥ずかしいものでした。が,私は“(幼児を)強引にレッスンに縛りつけなくて良かった”という思いを強くしています。もし強引に進めていたら,幼児は音楽そのものを嫌いになったかも知れません。無理やりに食べさせられる食事が美味しくないのと同じです。
 初対面だった私との出会いは,(もし強引に導かれたとしたら)幼児にとってきっと辛い思い出になってしまったのだろうと思うのです。また再会できる可能性はあるのですから。

 男の子は,一緒に参加していた他の幼児や私の気持ちに心を配ることはできなかった。(これは社会に生きる誰もが乗り越えなければならない発達課題です。一夕一朝に解決できるわけではないのです)。それよりも,幼児は自分の思いを果たすことに精一杯だった,のです。他の幼児も,自分の思いをスッキリと吐き出す時間は欲しかったでしょう。

 周囲の人の思いと自分の思いを重ね合わせること。これには時間が要ります。自分の気持ちをコントロールするため(消化するため)には,時間が必要なのです。私たちは,様々なかかわり(生活や遊び)の中で,少しずつ気持ちを制御するワザを得て,まわりの人と一緒にバランスを維持しながら,自由に行動することができるようになるのです。この意味でも,音楽すること(アンサンブルすること,聴くこと)は,人間関係作りのバロメーター(指標)になるのだと思うのです。
 こう考えているうちに,(今回のレッスンで)私は3歳児たちと親密な人間関係が希薄だった。それゆえの当然の結末だったと思うようになりました。

 子ども一人ひとりが自分の思いを表明する機会を持つことは大切なことです。それと同じくらい,大人は子どもに向けて(大人の素直な)気持ちをしっかりと伝えること。子どもは,周囲の大人の思いに気づき,それを理解する機会を持つこと。共生社会には,こういった相方向なやりとりが鍵になると思われます。こういうとき,大人には辛抱強さと寛容さが必要です。(子どもにとっても大人にとっても)音楽のレッスンは,そのための大切な場となるのです。
 今回の私が体験したレッスンは,失敗という結末を迎えましたが,幼児や大人の姿について心を巡らせる貴重な時間をもつことができました。幼児そして保護者の皆様にもお礼を言わねば−。次に再会したときには,今回のような顛末にはしないぞ。
2006年8月19日
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連載「子どもと音楽」(34)
3歳のリトミック,リベンジ
 公開レッスンの大失敗からまだあまり日も経っていません。私は,懲りもせず(?)敗者復活戦の心境で,またまた3歳児のリトミックに挑戦しました。8月の暑い一日,友人が主宰している音楽教室のリトミック(3歳児クラス)を担当させていただきました。日常のレッスンは,女性のベテラン先生が担当されています。が,私と幼児は初対面モードです。幼児は約10名。幼児は三々五々,保護者(母親)と一緒に教室に訪れてきました。幼児は,普段見慣れない私を,”この人、誰?”というような顔つきで眺めています。

 まずは幼児とラポールをとることが大事です。急に近づいたりすると,今後の展開に悪影響を及ぼしかねません。私はしばらく,遊んでいる幼児の姿を眺めて過ごすことにしました。一人の幼児がタンブリンを見つけて叩き始めました。別の幼児は部屋をあちこち走まわり,時折母親の膝に戻っています。私は,幼児のこのような自然発生的な動きを今日の活動に活かせないか,思案していました。

 いよいよレッスンの開始時間。まずは挨拶の歌。これはこの教室のオリジナルソングです。全員(親も子も)で丸くなり,手を揺らぎながら歌います。慣れた様子で歌は進行します。お母さんと一緒に即時反応を楽しむことにしました。ピアノに合わせて歩きます。駆け足の音楽では一緒に走ります。途中で音楽を止めたらすぐに動きを止めます。まるで鬼ごっこ(氷鬼)をしているかのような様子です。幼児は音楽の変化にうまく反応しています。アクセントが聴こえたら動きの方向を変えます。導入はまずまずです。
 この活動を発展させることにしました。タンブリンを持って,音をさせないように歩いたり,止まったり。幼児は慎重に動きを制御しながら歩いています。この動きを楽しんだ後,更に歌遊びに繋げることにしました。
 「♪一匹の野ねずみが,穴ぐらに落おっこちて〜,ララララララララ・・・おおさわぎ〜」。
 タンブリンを穴ぐらに見立てて,一本指を野ねずみに見立てて歌います。「・・・落っこちて〜」のところでねずみが落っこちます(タンブリンを一つ叩きます)。これが実にうまい。私がテンポを揺らして,ゆっくり歌っても,幼児はちゃんと”穴ぐらに落っこちて〜”とタイミングを合わせてタンブリンを叩きます。ねずみは一匹から二匹,三匹と少しずつ増えていきます。音楽は少しずつ強く(重く)なっていきます。一方,「0匹ののねずみが〜」と歌うときは,声に出さないで心の中で歌います。(レッスン内容は以下省略)。幼児の心と音楽と動きが,しっかり重なり合っている様子が手に取るように窺えます。なんて素敵な時間なのでしょう。

 今回はなんとかレッスンを終えることができましたが,私は今日のレッスンを振り返り,「日頃の習慣(幼児が日頃慣れ親しんでいることを用いたこと)」と「保護者の存在(幼児と一緒に活動していただき、幼児が安心感をもって参加できたこと)」という大きなサポートをもらっていたな,と感じています。私は,幼児とその保護者と一緒に,愉しい時間を過ごさせてもらったのです。むしろ,今日のリトミックは,幼児自らが興味を見いだし,展開していったのです。その動きに,私は音楽を重ねただけなのですから。その音楽が幼児の心を駆り立ててくれたのだと思うのです。

 幼児のレッスンは,大人の手のひらの中で幼児を過ごさせることではない。幼児自身が気持ちを向けるところに,私たちが寄り添うこと。そのために(私たち大人は)幼児の心の行き先を読みとることが大切なのです。そして,幼児の自己治癒力のような能力をうまく活かすこと。実はこれがなかなか難しい。大人の力量が試されているのだとも言えます。いろいろなことに気づかされた今日のレッスンでした。そして何よりもの収穫は,幼児たちが私に「元気」を与えてくれました。感謝&感謝です。
2006年8月24日

連載「子どもと音楽」(35)
ゴキブリが楽しかったぁ!
 9月のある日、私は学生たちと一緒に成田和夫さんの歌遊びを一日楽しみました。成田和夫さんは、ご存知の方も多いだろうと思います。ホントに楽しい素敵な人です。私もどっぷりと歌遊びに惹き込まれていました。「ああ、楽しかった!」という爽やかな気持ちです。
 さて、その時の歌遊びがとっても楽しかったので、この面白さを“子どもたちにも伝えたいな”と思っていた矢先、私は某幼稚園の4歳児クラスの子どもたちと過ごす機会を得ました。さっそく試してみることにしました。

 一つは伝承遊び。♪「スッテンテレツク、てんぐの面、おかめに、ひょっとこ、はんにゃの面」。唱え言葉による遊びです。
 子どもたちは、どうも言葉の意味が分からないようです。でも、いいのです(いつの日かその面々と遭遇する時があるでしょう)。はぎれの良い口調に合わせて、4歳児たちは私の動作を真似しています。言葉の最後は(ジャンケンの要領で)私の動作を真似たり、違う動作をしたり・・・・。
 次は「ゴキブリ」の歌です。これは成田和夫さん作の遊びです。が、ここでは少しだけ私風に変えて試してみることにしました。子どもたちは、(私の即興演奏に合わせて)部屋の中をゴキブリになって這います。途中、音楽が止まったら、ピタッと止まります。また音楽に合わせて這います。ピアノの音(ドン!)が聞こえたら、バタッと床にくっつきます(そうです、ゴキブリが新聞紙で叩かれて潰れゃったぁ〜です)。はたまた、ピアノが「(高音で)ピロピロ・・・」と聞こえたら、仰向けになって手足をバタバタさせるのです。
 この他にも、即時反応の遊びを楽しみました(省略)。
 後日談ですが、子どもたちは担任の先生に「ゴキブリが楽しかったぁ!」と言っていたそうです。

 遊びや音楽には、ドキッとする瞬間、期待感をジッと膨らませる瞬間、そして安堵する瞬間・・・・さまざまな時間が含まれています。ワクワク、ドキドキ、ホッ!といった“心の筋肉”を伸び縮みさせる時が豊かに隠されています。心踊る(揺さぶられる)瞬間に出会うと、ますます音楽遊びはやめられないデスねぇ。子どもたち、有難う。園の先生方、有難う。

文献紹介:あそびうた研究会編「あそびうたハンドブック」(カワイ出版)
2006年9月7日