連載「子どもと音楽」(36)
バランスある教育
 マンション耐震偽装事件。いまは一時ほどの多くの報道は無くなりましたが、未だに抜本的な解決には届いていないようです。ある調査によると、マンションを選ぶ時の条件は、利便性、広さ、価格に集約されるそうですが、あの事件以来、建築構造の強さを選択条件の上位に加える人が増えたそうです。当然の事ですが、安心感を手放すわけにはいかないのです。建物の頑丈さ(耐震構造)は見え難い。派手なデザインや広さは見え易い。安心感と見栄え、どちらも重要な選択条件となりますが、見栄に目を奪われて買い物をしたとき、同時に大きなリスクを持つことになるのです。耐震偽装事件は、何かを選択するときに何が重要なことなのか、再認識させてくれたように思われます。

 教育の過程にも、この教訓が物語っているものと同じ状況があるように思われます。学習場面をみるとき“計算が出来た”、”字が読めた(書けた)”など、私たちは出来映えに目を奪われやすいように思われます。音楽するときも同様です。音楽にどんなメッセージが隠されているのか、演奏者の意図(心の内側でおこっている何か)が込められていることはとても大切なことと言えますが、演奏技術だけで演奏の善し悪しを判断していないだろうか。演奏のためには、意図(伝えたいこと)を持つことが必要です(これは見え難い)。ワザを持つことも必要です(これは見え易い)。つまり、両方をバランスよく備えているかどうか、が大切なことです。どちらかに偏った演奏は、人の心を揺さぶらないのだと言えます。

 いじめや虐待、過保護や放任。バランス感覚を欠いた教育の結末は、悲惨な状況を生みます。その意味でも、現代は子どもを取り巻く私たち大人の生き方が問われているように思われます。“心”を育むために何が重要なのか。命の大切さを認識すること、他者と協調すること、他者に自分の思いを正確に伝えるワザを持つこと………いずれも欠かせない事です。“器つくって魂入れず”ではなく、心と体のバランスが求められていると言えます。ダルクローズが目指した「心身の一致調和」のセンスを育もうとした教育は、現代にも通じているのです。
「CHC通信 第41号」、CHC音楽教室、2006年11月

連載「子どもと音楽」(37)
音楽学習とマナー
 私は書店でいろいろな本を眺めて過ごすのが好きです。先日フラッと入った本屋さんで、一冊の本が目に留まりました。『あたりまえだけどとても大切なこと−子どものためのルールブック−』(ロン・クラーク著、草思社)です。書名の通り、この本は普段の生活の中で皆が気持ちよく過ごすためにはどんな配慮が必要なのか分かり易く説いてくれています。例えば、「大人の質問には礼儀正しく答えよう」、「相手の目を見て話そう」、「人の意見や考え方を尊重しよう」、「何かをもらったら3秒以内にお礼を言おう」、「授業中は許可なく席を立たない」、「誰であれ仲間はずれにしない」など50項目。どれを取り出しても誰もが身につけたい事ばかりです。大人はこうした常識(マナー)を身につけているはずなのですが、最近では特に携帯電話に象徴されるように、マナーを欠いた行動をとる大人の姿も目立ちます。電話をしている当の本人、うっかり気づかないでいることもあるのでしょうね。この本を読みながら、改めて普段の生活のあり方について考える機会となりました。

 ご存じの通り、音楽学習の過程では多くの内容に触れるために多くの時間が費やされます。音楽学習は一言で言うと、音を聴くセンスを研ぎ澄まし、多様な音楽的概念を獲得するための時間なのです。この学習体験の質(豊かさ)は音楽の魅力を感じ取ろうとするときに特に重要となります。加えて、音楽の学習では“生活者”としての感性を大切にすることも忘れてはならないように思われます。音楽には人が感じたり思ったりしたことが含まれており、その音楽表現では演奏者の感性が明らかに映し出されます。例えば、生活の様々な場面で感じられる喜びや悲しみなど。つまり、自分の周りで生じる事象(ヒト、モノ、コト)と音楽の関係性が意識化されたとき、音楽の価値はより一層深められると言えます。

 マナーは皆が気持ち良く生きるためのルールです。マナー獲得では感謝や思いやりの気持ちが不可欠で、ここにには人の感性が含まれています。これは共生感覚や人権感覚と等しく、まさにこれが生活者の感性なのだと言えます。これは、音楽と共に、子どもたちに伝えていきたい重要な内容であると思うのです。
「CHC通信 第42号」、CHC音楽教室、2007年3月

連載「子どもと音楽」(38)
“美しい”という体験
 今年は暖冬の影響で桜の開花が例年よりもかなり早かったようです。温かさが開花を促したのですね。子育てや教育の過程も同じだと思います。「温かさ」が必要です。周囲の人から頼りにされたり、認められたりする体験を持った子どもは、周囲の人(仲間や大人)の温かな気持ちに触れます。そしてその温かさは、確かな自立(自律)の歩みを促します。その反対に、「ダメな子ね」と言われて育てられた子どもは、自己防衛的になり、他者を攻撃したり、周囲の人との関わりが苦手になったりするようです。

 さて、先日ある識者の方からうかがったお話ですが、「絵や音楽などに触れて“美しい”という感情を体験したときに、私たちの脳のある部位が働いている」。そのとき「同時に“攻撃性”をつかさどる脳の部位は抑制される」のだそうです。美の感情と攻撃性は、対となって私たちの脳の中で働いている。私は、この話をとても興味深く拝聴しました。音楽を聴いたり、絵やドラマ等に触れて“美しい”と感じる体験を持った子どもは、その瞬間、とても幸せな時間を過ごしているのですね。他者を受容する心(寛容さや協調性等)は「美しい」と感じる心と無関係でないということを教えてくれています。

 美しさは、人の心を掴んで離しません。このように何か自分の熱中できるものを持っている人は幸せです。熱中している姿は尊い。その子どもは自信にあふれていますし、ものの違いにもよく気付く。この自信が、勇気や挑戦の気持ちを育み、優しさの土壌になる、と私は考えています。つまり、子どもが自立しようとする過程では、子どもが既にそなえている特性(個性)を生かしながら「何か没頭できること」を、親と子、先生と子が一緒になって探すこと、これはとても大事なことです。子ども一人ひとりが自分の持ち味を知り、そしてその持ち味を活かすことは、子どもの伸びやかな成長を促すための重要な鍵になります。
 
 広島音楽アカデミーで過ごす時間は、音楽と交わる時間です。音楽の美しさに触れたり、音楽の面白さに気付いたりする時間です。一人ひとりが音楽に挑戦する気持ちを奮い立たせ、「幸せだな」と感じる瞬間を積み重ねることでもあるのです。子どもと一緒に過ごしている大人同士、共に力を出し合って子どもたちを温かく見守っていきましょう。
広島音楽アカデミー、月報、2007年4月

連載「子どもと音楽」(39)
人間関係再考
 日常の生活の中で、子どもは大人との関わりの中で敏感な反応を示します。支配・命令されているときの子どもは、概してオドオドしていますし、強制され服従しているときの姿は、見ていて何とも息苦しいものです。その一方で、放任されて過ごす子どもは自由奔放で伸びやかですが、どこかしら謙虚さや素直さに欠け、ひがみっぽく、ヒトをなめているような表情を見せることがあります(愛されたいとの思いがこういう形で現れているケースが少なくない)。子育ての営み(人間関係)は実に繊細なものです。

 心理学者の平井信義先生は、子育てに関する多くの名著があります。先生は、子どもをダメにする親の態度を次の4つ、つまり「過保護」「過干渉」「溺愛」「放任」に集約されています。
 自らを振り返ってみて、私たちは自らの態度をどう認識するか−心をはぐくむ重要な鍵がここに隠されているように思われます。

 では、これら4つの対語は何なのでしょう?はたと私は戸惑いました。そこで、子や親が経験するだろう幾つかの対語を思いつくままにあげてみました。
 不安/自信、依存/自立、拒否/容認、攻撃/受容、叱責/激励、暴力/優しさ、厳しさ/穏やか、支配/服従、見下す/見上げる、無気力/意欲、無関心/興味、鈍感/敏感、不注意/気付く・・・など。
 ここでは対語として適当でないものがあるかもしれません(ご容赦を)。それでは、「過保護・過干渉・溺愛・放任」の対語は何?・・・やはり適当な語が思いつきません(恥ずかしい)。
 ともあれ、親の態度として、これら対語のどちらが適切なのかは判ります。これを意識しながら、子どもと向き合うことは有効だと思われます。

 幼少期に体験した様々な感受体験は、そのまま児童期・青年期へと引き継がれ、生涯にわたって影響を及ぼします。これは学校教育の基盤にもなるものです。既に多くの識者によって“虐待の連鎖”が指摘されているように、感受性にも連鎖があります。ヒトを信じる心、人を愛する心、美しいと感じる心、音に魅了される心、正義を貫く心、等など。こうした心は低年齢から蓄積されています。その意味からも、幼少期の体験を通してプラス感情を蓄積することは特に重要なことと言えます。まずは、私たち大人の態度を問うところからはじめようではありませんか。
「CHC通信 第43号」、CHC音楽教室、2007年7月

連載「子どもと音楽」(40)
音楽を聴くことの意味
 人は何故音楽を聴くのでしょうか? 音楽は、私たちに何を与えてくれるのでしょうか? そんな素朴な疑問をもつ人は少なくないのではないでしょうか。
 古今東西、様々な音楽があります。クラシックはヨーロッパに起源を持つ音楽です。アジアにも伝統的な音楽が多くあります。勿論、他の国々にも。それぞれの音楽は、歴史的・文化的に尊いメッセージを含み、時空を越えて私たちに何かを語りかけています。そうした価値に触れることは、現在(いま)を生きる私たちに生きる意味を考えさせたり、明日に希望や夢をもつ契機となったりします。
 
 近藤譲先生(作曲家・お茶の水女子大教授)は、人が音楽を聴く意味を簡便に述べておられます(「ONKAN」9月号,2007,音楽鑑賞教育振興会)。一つの理由は「快感」をもたらしてくれるから。人は、音楽に心癒され、健康や生活の営みに役立てています。音楽を聴きたくなるもう一つの理由は、「音楽を理解した喜び」を体験したものは再び音楽を聴きたくなる、ということです。

 前者は、勉強をしなくても誰でも恩恵を受けることができるのに対し、後者では学習が必要です。それでは、音楽の何を理解する必要があるのでしょうか。この点について近藤先生は、@音や響きの形や繋がりが判ること、A音や響きの意味内容が判る、ことを指摘されています。言い換えると、音楽を聴いてその構造を聴き捉えることができるか、またその音に含まれている意味やメッセージを理解できるか、ということです。

 リトミックは、知的で感覚的な「からだ」を通して、その2つの理解を学びとる場なのです。「人の良いところを知ると、人が好きになる」という言葉を聴いたことがあります。これは他のものにも充てはめられます。「○○を知ると、○○が好きになる」のように。
 音楽を知的に聴くこと−これは私たちの日々の感性に刺激し、生き方にも影響を及ぼします。音楽の多様な意味に気付き、創造してみると、より一層音楽を聴きたくなるのです。音楽を「動きながら聴く」中にヒントが隠されているのです。
「CHC通信 第44号」、CHC音楽教室、2007年11月

連載「子どもと音楽」(41)
こどもたちへ「なぜ勉強するの?」
 ステージ発表、とても素敵でした。幼児の皆さん、お母さんと一緒にフープでボートを漕ぎましたね。一緒に波に揺れているような感じがよく出ていました。私も一緒にボートに乗ってみたくなりました。小学生の皆さんは・・・(中略)

 ところで、皆さんは毎週リトミックをしたり、ピアノやヴァイオリンを習っていますね。小学生の皆さんは学校で国語や算数の勉強をしたりしています。みんなは何故、勉強するのでしょう?考えてみましょう。

 みなさんが勉強するのは、みんなが幸せになるためなのです。いろんなことを見たり聴いて、多くのことを知り、自分の技を磨いていくと、一人ひとりは必ず成長して、幸せな気持ちになれます。同時に、一緒にいる周りのみんなも幸せな気持ちになれるのです。だから勉強するのです。
 お医者さんは病気で困っている人を助けてあげます。大工さんはお家が欲しくて困っている人に家を建ててあげます。みんな、周りの人のために役に立って、喜んでくれます。そのことが一人ひとりの幸せに繋がっているのです。

 音楽は一人で演奏することも素敵ですが、他の人と一緒に演奏したり聴いたりしたほうがもっと楽しめます。また、アンサンブルをするとき、相手のことを思いやるやさしい気持ちがないとうまくいきません。このように、音楽は人の気持ちに気づいたり、相手の人のことを考える時間をもつことが大切なのです。
 気付くことは、すべての学習で必要な能力です。気付きが発見を生み、発見は喜びをもたらしてくれます。そのためには、しっかり音を聴いて、しっかり相手のことを思うことが大切なのです。
 勉強すると、今の自分よりももっと素敵な自分になれますよ。そうすると周りのみんなも嬉しく、幸せな気持ちになれるのです。がんばって勉強しましょう。
広島音楽アカデミー「リトミック・デモンストレーション」講評にて、2007/12/2