連載「子どもと音楽」(42)
音楽の持つ多様な価値
 音楽には多様な価値が含まれています。子どもたちの演奏を聴いたり、学生と一緒に音楽を語り合っているとき、その価値に気付かせてくれます。

 一つ。音楽には情緒的価値があります。音楽は、物語やドラマの世界にも通じる独特の気持ち(感情)を引き出してくれます。音楽を聴いて、思わず微笑んだり、悲しい気持ちになったり、力強いパワーのようなものが心の底から湧いてきたり、そっと優しく心をなでてくれたり・・・など。音楽は、音という言葉で、私たちの心に語りかけてくれるのです。例えば、音楽療法で用いられる音楽は、人の情感を刺激して私たちに癒しの感情をもたらしてくれますね。
 ここでは、音楽を学んでいるかどうかは関係ないのです。音楽(の情動性)は、すべての人に恩恵をもたらしてくれるのです。

 一つ。音楽には、時代を超えて歌い継がれ、聴かれる素敵な音楽がたくさんあります。こういう音楽には芸術的価値があります。クラシックの名曲、世界の民謡等など。卓越した作者の芸術的センス、旋律やハーモニー、形式や様式の仕組みなど、様々な工夫に触れることができます。私たちが音楽的な能力を高めようとするとき、時代を超えて歌われ、演奏されている名作に触れることは、とても大切なことです。
 それらの作品は、多角的に聴いてみる価値を含んでいます。芸術的価値は、学習によって獲得されるものといえます(学ぶことが必要です)。

 一つ。音楽には文化的価値があります。世界のいろいろな地域で歌われ、奏でられる民謡や芸能、伝統音楽には、自然に対する畏敬の念や感謝の気持ちを表したり、神への祈りの気持ちを歌ったりした音楽がたくさんあります。ある時代を生きた人々の生き様(喜怒哀楽、願い、畏敬の念、希望や期待、落胆、苦悩など)が、音楽の中に込められています。故事や格言が私たちの生き方の羅針盤になるように、文化的価値の高い音楽は、時代や地域や季節を越えて、人々の多様な生き方に触れる機会となります。
 文化的な価値は、体験し、学ぶことを通して感じ取られるものなのです。

 一つ。音楽には、人間的価値があります。仲間と一緒に声を重ねたり(合唱)、アンサンブル(合奏)をしたりすると、「同じ釜の飯」を食べたような一体感を味わうことができます。他者の気持ちを理解し、異質なものを受容し、共に生きることの大切さに気付くことができます。そして、一緒に音楽することで、生きる勇気が湧いてきます。
 音楽は、他者と(もう一人の自分と)向かい合い、自己理解・他者理解のための土俵となるのです。

 多様な音楽的価値に気付くと、人はもっと音楽を聴きたい(知りたい)と思うようになります。音楽は不思議な存在です。だから音楽は魅力的なのです。
CHC通信、第45号、CHC音楽教室、2008年3月

連載「子どもと音楽」(43)
音楽を学ぶこと

4月を迎えました。今年もどうぞ宜しくお願いします。


 (1)音楽を学ぶこと―ここには様々な意味や体験が含まれています。最もわかり易いのは「演奏技法」です。ピアノやヴァイオリンを習い、楽器の奏法を獲得します。演奏技能(わざ)は、学習者の身体の一部となって、日々の生活の端々で(その経験が)芽を出し、その人の生き方に影響を及ぼします。

もう一つ、音楽を学ぶことによって、私たちは「心豊か」に過ごすことができます。心の豊かさは「情操」と言い換えることもできます。情操は、道徳的情操、宗教的情操、芸術的情操などに区分されます。特に、音楽学習は、音楽に含まれている様々な感情や価値に気づく機会となります。ここで得たさまざまな気付きは、その人の感性となって、日々の生活で直面するさまざまな理解や判断に影響を及ぼします。つまり、音楽的感性は、その人の情緒や知性の豊かさを象徴するものとなります。


 (2)技法を獲得する過程では、観察(注意力)と練習の蓄積(根気強さ)が必要です。

他者をしっかりと観察し、そこで気づいたこと(技のいろいろ)を、自分で試してみて、自己制御することの面白さを味わうのです。元来、子どもは真似っこが上手です。真似るためには注意力が欠かせません。そのセンスは、周囲の人の存在(一人ひとりの素晴らしさ)に気付いたり、他者の気持ち(感情)を読み取ったりする力となります。特に、現代は、他者の存在に気付き、思いやりの気持ちをはぐくむことは、とても大切なことです。

情操と技法。技法はその獲得が見え易い。その一方で、情操の獲得は見え難いのです。見えにくいものを見えるようにする、つまり気付くようになること(心の耳をもつこと)、これが音楽学習なのです。そして、情操と技法は、互いに補いながら高められていきます。


 (3)音楽を学ぶ時間は、音楽とまじわり、音楽の感情や価値に気付く時間です。音楽の美しさに触れたり、音楽の面白さに気付いたりする時間なのです。一人ひとりが、音楽の多様な価値に気づく―それを発見したとき、私たちは「幸せだな」と感じる瞬間となります。子どもと一緒に過ごしている大人同士、共に力を出し合って子どもたちを温かく見守っていきましょう。今年度もどうぞ宜しくお願いします。

広島音楽アカデミー月報4月号(2008)

連載「子どもと音楽」(44)
音楽することの意味は何?
 先日、ニュースで韓国のピアニストを紹介しているのを見ました。このピアニストは小学生の女の子。生まれながらに指に障がいを抱えていて、指は二本です。その母親は、我が子に(ピアノの演奏を通して)「生きることの喜びを伝えたい」「我が子に自信を与えたい」と語られていました。親子二人三脚の日々が費やされました。その練習は、手加減の無い厳しいものだったようです。女の子は、自分に与えられた二本の指を駆使して、普通でも難曲といわれるショパンの名曲を美しく奏でていました。そのニュースでは、女の子の名演を聴いて涙している聴衆の姿も伝えていました。

 現代では、ショパンの名曲を聴く機会は多いかもしれない。しかし、音楽を聴いて、涙すること(感動的体験)はそんなに多いとはいえません。名も無い女の子の演奏は、ハンディを感じさせない。音楽と真摯に向かい合い、音楽を自分の心情のほとばしりとして演じているのです。

 ハンディを抱えていたとしても、もしその演奏がつまらなかったらどうでしょう。つまらない演奏は、周囲の人の心を揺さぶらないでしょう。「(ハンディを抱えて)かわいそうに」という同情だけが残されてしまうのではないでしょうか。私は、そうした感情は演奏者(女の子)の気持ちに応えているとはいえないと思うのです。
 音楽の豊かさ、あるいは、音楽に含まれた何かを読み取り、それを誰かに伝えたいという強い気持ちに溢れた演奏に出会ったときに、私たちは(自然に)拍手を送りたくなるのだと思うのです。
 音楽(演奏や作品)は、演奏者の強い意志が表に滲み出たときに価値を発揮するのです。
 
 そういえば、意志の「意」は、「音」の下に「心」が横たわっています。つまり、心が音を支えているのですね。「志」も同じ。「士」の底辺を「心」が支えています。

 健常者と障がい者。この両者が共通するところ、つまり音楽する強い意思(情熱)を通して、私たちは互いに気持ちを分かち合うことが出来るのです。音楽教育の原点はこのあたりにある、と私は思うのです。
CHC通信、第46号、CHC音楽教室、2008年7月

連載「子どもと音楽」(45)
音楽を遊ぶために
 音楽を学ぶ過程では、ピアノの奏法を学んだり、音楽の仕組みを学んだりします。つまり、音楽の「知識と技術」を身につけることが必要です。但し、その「知識と技術」だけに終始しますと、多くの場合、子どもたちは音楽を学ぶことが嫌になってしまいます。名演奏家や名作曲家たちは、どうやって知識と技術を身につけたのでしょう?

 一つは、音楽の喜び(感動)を味わうことです。憧れの人に出会ったり、名演奏を聴いたりすることも欠かせません。こうした感動的な体験が支えになって、もっと学びたいと思うようになる。
 もう一つは、音楽を演奏するとき「音楽を遊ぶ」ようなセンスが欠かせないということです。例えば、電子ゲームをするとき、子どもたちは(人から言われなくても)自らゲームに挑戦しようとします。ゲームを制覇するために、いま自分が持っている最高のワザを駆使して挑戦します。ここには何か重要な「学習の秘訣」が隠されているように思われます。

 「遊ぶ」ことは英語でPLAYと言います。一方、楽器を「奏でる」こともPLAYと言います。Playing the pianoのように。PLAYには音楽にも遊びにも共通したものがあるようです。カイヨワという遊び研究の第一人者は「人間と遊び」(1990)という著作の中で、遊びのタイプを次の4つに分類しています。遊びは、アゴン(競争)、アレア(偶然)、ミミクリー(模擬)、イリンクス(眩暈)のいずれかに含まれると―。

 音楽が喜びを持って奏でられるとき、これらと同じような状況があります。つまり、ドキドキ、ワクワクした瞬間のことです。「音を遊ぶ」状況といえますね。電子ゲームに興じる子どもの姿に象徴されるように、クラシック音楽であってもポップスであっても、音楽のワクワク感を楽しむと同時に、ワザ(技、術)が必要なのです。楽器は、身体の延長線上にあるのです。心とからだはつながっているのです。
 「ワクワク感とワザ」。これは“音楽を遊ぶ”ための両輪です。ワザを得た人は“音を遊ぶ”ことに、一歩も二歩も近づいているようです。
CHC音楽教室、CHC通信、第47号、2008/12

連載「子どもと音楽」(46)
音楽の価値
 単身赴任をするようになって五年が経った。広島は私の故郷であり、広島を想う気持ちは以前にも増して強くなったように思う。私は小学生の頃、近所の校長先生であった故天満良三先生からピアノの手ほどきを受けた。先生は厳しくもあり、優しくもあり、何よりも人間的であった。不出来な私と一緒に連弾をしたり、地域の歌を編曲して皆で合奏をした。こうして音楽の歓(よろこ)びを教えて頂いた。
 さて、あれから相当の時が流れ、私はいま音楽学生に講義をしている。その中で私は、音楽の価値は次の4点に集約されると語っている。
 その第一は「情動性」である。音楽に癒され、勇気づけられた経験をお持ちの方は少なくない。音楽はすべての人に等しく情動的恩恵を与えている。
 第二は「芸術性」である。芸術作品には個性と品格がある。芸術性はそれを学び得た人のみに与えられる贈物なのかもしれない。
 第三は「文化性」である。音楽には古今東西の人々の暮らしや情感が織り込まれている。「音戸の舟歌」や「中国地方の子守唄」はその象徴だろう。
 第四は「人間性」である。音楽にはその音楽を演じた人の人柄がにじみ出る。アンサンブルは、一人ひとりが持てる力で参加する共生の時間である。
 このように音楽には多様な価値がある。私がこう考える基礎には、幼い頃の校長先生との素敵な時間がある。
中国新聞(夕刊「でるた」欄),2009年2月12日掲載,PDFダウンロード