連載「子どもと音楽」(59)
音楽することの意味

 古今東西にはさまざまな音楽があります。西欧の伝統的な音楽であるクラシック音楽は、特に古い時代は宗教性と強く結びついています。また、宮廷音楽家たちによって、貴族のための音楽として発展されてきました。つまり、クラシック音楽の発展は、貴族文化は崇高なものとして民衆があこがれてきた歴史なのです。一方、庶民の音楽は、口承性を基礎にして人々の生活を詠(うた)った文化でもあります。これは日本も例外でもありません。声明(しょうみょう)や雅楽、そして能(のう)の伝統は、宗教や貴族文化と結びつき、民謡や神楽(かぐら)などは庶民の文化として継承されています。

 さて、現代に生きる私たちのまわりには、上記のようなさまざまな音楽に囲まれています。そうした様々なタイプの音楽を学ぶことの意味は何なのでしょうか? 私はその意味は4つに集約されるのではないかと考えています。

 一つは、音(音楽)に含まれている情動性です。心を揺さぶられる音そのものとの出会いです。音色やリズム、ハーモニーやテクスチャーなど、音楽に組み込まれた直感的な楽しみに触れることです。

 一つは、芸術性。美への憧れでもあります。有能な画家が時代を超えて親しまれる作品(インパクトのある主唱をしている)を遺している様に、有能な作曲家たちの旋律は多くの主張を感じ取ることができます。

 一つは、文化性。古今東西の音楽には人々の生き様が練りこまれています。

 一つは、人間性。音楽は人が演じるもの。人は、人とつながるために音楽するのです。

 このように、人が音楽を学ぶことには、さまざまな意味が含まれています。子どもたちと共に音楽するとき、演奏技術を獲得する必要がありますが、同時にその音楽に横たわる多様な意味合いに気づくことはもっと重要なことだと思うのです。
CHC通信、第51号、CHC音楽教室、2009年3月
連載「子どもと音楽」(60)
ルソーと音楽

 最近、ジャン=ジャック・ルソーの名著『言語起源論』(小林善彦訳、現代思想社,1970)を読んだ。思想家として著名なルソー(1712-1778)は音楽辞典を辞するほどの優秀な音楽学者であった。彼は、著作の中で言語と音楽の同質性に着目し、感動の源泉は輪郭(旋律)にある、と説いている。

 ルソーによれば、私たちは絵をみて、その色彩に感動するのではない。音楽における色彩は音色である。音色は感じるのであって、それに生命や魂を与えるのは輪郭であると説き(p.109)、旋律の役割を強調した。また「身体的欲求が動きを生み,(精神的欲求である)情念が声を発せさせた」(p.21)と述べ,言葉と音楽が深く結び付いているとした。つまり、音楽と言語は共通の源泉を持っており、言葉の自然な抑揚が音楽的感動の根底にあると説いている。

 その一方で、和声の取り扱いには慎重な態度をとっている。和声に対する感覚は、長いトレーニングの後に獲得されるものだとして、学習の重要性を指摘した。この主張のターゲットになったのは作曲家ラモーであった。ラモーは、和声は訓練を持たない者であっても高音部を聴けば低音が予感される、つまり誰でも和声感を持っていると説いた。それに対して、ルソーは真っ向から反論した。

 ルソーが生きた時代は18世紀である。ポリフォニー(多声音楽)が終焉を迎え、新しい時代(ハーモニーの音楽)の到来が予感される時代であった。概して、世の中が変化を求める風潮の中で、ルソーは音楽的感動の源泉は何か、音楽の原点に立ち返って思考した。彼は殊更に「自然な状態」であることを強調した。

 私たちが21世紀を生きようとするとき、この「自然な状態」に立ち返ろうとする態度は重要である。多様な価値観が渦巻く現代は、音楽することの意味を見失い易い。何が正しくて、何が間違っているのか。この迷い多きときこそ原点に立ち返り、感動体験が人の生き様に大きな影響を及ぼすことに目を向けてみよう。そして、心のよろいを解いて「自然な状態」で旋律と言葉に耳を傾けてみよう。
CHC通信、第52号、CHC音楽教室、2010年7月
連載「子どもと音楽」(61)
音の魅力

 最近、あるワークショップに参加し、音の魅力に触れる体験をしました。

 (1)一枚の紙切れ(コピー用紙)を手に持ち、音を奏でてみよう。皆さんはどうしますか? 紙をゆっくり振るとサワサワとした音が聴こえます。細やかに振ってみるとガサガサとした音が―。紙を横から吹いてみるとビーと聴こえます。紙を掌で握るとグシャグシャと音が聞こえ、握り緊めると音はしなくなります。その後そっと掌を開くとサワーと静かな音が聴こえます。今度は、クシャクシャになった紙を開いて、そっとやぶってみると柔らかな持続音が生まれます。それぞれにユニークな音が生まれてきます。

 (2)一枚の紙を掌(てのひら)に置き、落とさないように空中を動かしてみよう。次に、紙をお腹に当てて落とさないように動いてみよう。(落とさないように)動き出す瞬間が実に面白い。紙を動かすとき、空気の抵抗を感じるでしょう。

 (3)大きなごみ袋に空気をいっぱい詰め込んで口を閉じる。大きな風船ができます。それを手で突き上げると逞しいバンッという音が聴こえます。空中に浮いたごみ袋は、(結び目を下にして)ゆったりと空中を滑降します。ゆったりとした滑降の時間は、まるでスローモーションの時間を味わうことができます。

 (4)空気を詰めた大きな袋を床に置いて、上からそっと圧してみよう。適度な弾力を感じるだろうか。

 (5)紙皿の真ん中に小さな穴を開け、その穴に適当な長さの太いタフロープを通します。足と手でロープを固定し、紙皿を動かしてみましょう。紙皿をゆっくり動かしたり、速く動かしたりすると、異なる勢いの音が聴こえてきます。

 それぞれの音は普段何気なく聞き流している音かもしれません。いざ、その音を意識して奏でてみると実に面白い。人のかかわり(力の加減)と音の間には、実に絶妙なからみが感じられます。同時に、音が生まれる前の瞬間(静寂の時間)が欠かせないことにも気付きます。普段の生活の中にある音たち、その音の魅力に気づくことも大切な音楽体験だということを再認識した瞬間でした。
CHC通信、第53号、CHC音楽脅教室、2010年12月
連載「子どもと音楽」(62)
時間は降り積もるもの
 3月11日に起こった東日本大震災は、多くの人々の生活を一変させています。余りにも劇的な変化は、人の心を絶望感の淵に追いこんでいます。この絶望的な気持ちから、私たちはどのようにして希望を見出し、前に向かって足を踏み出す勇気を得ることがことができるのでしょうか。

 先日でテレビニュースで、一人の女生徒が避難場所でトランペットの演奏をしたという報道をみました。生徒の演奏する「ふるさと」の旋律を聴き、一人の老女が涙されておられる姿が印象的でした。その姿は今も私の心に深くしみこんでいます。おそらく老女は、過去の自分と音楽を重ね合わせていられたのだろうと思われます。

 一般的に、音楽は“時間の芸術”と言われます。時間の経過とともに音楽は消えてなくなってしまいます。しかし、その時間は過ぎ去り消えて無くなってしまうのではありません。音楽は、人の心の中に降り積もり、残されていくものだということです。先ほどの事例はそれを示しています。自分の過去と今を繋いでいる。(見えない音楽の中に)人の生き様が刻まれているのです。そして音楽は過去の自分から明日の自分へと、時を繋いでくれているのです。

 今回の震災は、人の心に大きな影を遺していますが、私たちはこの中で”頑張ろう”という心も確認しています。その支えとなっているのは、周囲の人の温かな心です。一人ひとりが、生きていてよかったと思えるために、互いに相手を思いやり、共感の時間を共に過ごすことが大事なのだということを、私たちはこの大変な経験の中で再確認しました。併せて、私は、素晴らしい演奏は卓越した演奏者によって奏でられると同時に、それは素晴らしい聴き手がいるから映える―。つまり、音楽は、人の間で演じられることが重要だと思うのです。
CHC通信、第54号、CHC音楽教室、2011年4月
連載「子どもと音楽」(63)
変な音、真面目な音、遊びのセンス
  音大の窓辺に居ますと、さまざまな音が聴こえてきます。ベルカント唱法による発声練習の歌声。コンコーネの流れるような旋律、これは多分1年生でしょう。合唱の響き、ポリフォニー(多声音楽)。旋律の入り混じった絶妙のアンサンブル。トランペットの奏でる音階、フルートの超絶技巧による旋律、チューバの重い響き、シンバルの華やかな響き、ジャズのスウィング、等。そして時折、鳥の囀る声。実に賑やかです。おそらく、一般的な風景には似合わない異常な空間に思えるでしょう。一人一人の学生は、皆、真面目に練習しています。その音たちの音程が多少狂っても誰も笑わないし、むしろ必死に頑張っている人に「ガンバレ!」って激励の気持ちさえ抱くのです。

 こうした音を、表面的に音を聴いていますと明らかに変な空間です。しかし、その真面目さが変な感情を浄化(ナチュラルに)してくれるのです。真面目な姿は、それなりに人の心を掴んで離しません。が、真面目だけでは、おもしろくない。肩が凝ってしまいます。

 遊び研究の第一人者であるカイヨワは、「遊びは真面目を包み込む。しかし、真面目は遊びを排除してしまう」と述べて、遊びのセンスの大切さを説きました。遊びの瞬間は、ドキドキ、ワクワク、ヒヤヒヤ、ハラハラの連続です。そして、ときめき・歓び・慰めのような感情が付きまとっています。音楽は、このドキドキワクワクの感情が伴わないとつまらなく感じてしまいます。

 リズムや旋律、ハーモニーの動きの中に、ワクワク感を伴うこと。これは窓辺から聴こえる音大生たちの奏でる音たちが辿りつきたいゴールなのかもしれません。音楽は、遊びに含まれているような心の柔軟さが欠かせないのです。

 ガンバレ日本、ガンバレ子どもたち。肩の力を抜いて、今私たちのできる音楽で、ドキドキ・ワクワクを楽しもう。そうすると生きていることが楽しくなる。

CHC通信,第55号,CHC音楽教室発行,2011年7月