連載「子どもと音楽」(67)
音楽は何をもたらすのか
 ハーバート・リード(1893-1968)というイギリスの美術評論家が素敵な言葉を残しています。「教育の真の目的は、モラル上の過程にある真の目的と同じように、幸福を生み出すことである」(『芸術教育による人間回復』明治図書)と述べています。モラルとは、個性の伸長と社会適合という人間形成の有機的な統一性と調和を指しています。最近ではブータン国王が来日され、幸福は一人ひとりの心の中にあると話され、多くの人々に共感を与えました。

 いつの時代も社会のさまざまな事象と無縁ではありません。特に、現代は利便性と合理性が強調され、省エネ、環境、福祉、安全などに人の気持ち向いています。IT技術は日々進化し、私たちの生活を大きく変貌させています。エコやスマート家電の普及によって、私たちは多くの恩恵を授かっています。

 その恩恵の傍らで、私たちは人とのかかわりを避ける傾向や、他者の話に耳を傾けない自己中心的な人が増えています。ストレスから精神的疾患を訴える人も増えています。こうした兆候は、前述のリードが述べたところの、社会の中に潜んでいる「モラルの低下」と言い換えることができるでしょう。

 さまざまな芸術文化(音楽、美術、文学、建築、等など)は、私たちの生活を彩っています。芸術は、時代の中で、今を生きる私たちの心の豊かさを象徴する存在なのだと言えます。

 人は一人では生きていけません。私たちは、便利さを追求しながら同時に、多様な感性を感受できるコミュニティを創造することが重要です。そこでは、美しいものを美しいと感じられる心(自然本性)が鍵になるでしょう。美しさを他者と交わすと、その喜びはさらに輝いてきます。そして、音楽的アンサンブルが、日常的な営みとして交わされたら、どんなにか楽しいことだろうと思うのです。

 音楽の美しさは、音楽を聴く人の心の中にあるのです。音楽の学習は、心の豊かさのバロメーターとなり、幸福感を味わう空間になるのだと思うのです。
CHC通信,第58号,CHC音楽教室発行,2012年12月
連載「子どもと音楽」(68)
見守ることの意味
 今年は例年よりも早い桜の開花を迎えました。長く続いたデフレも回復傾向にあり、社会は明るさを取り戻しつつあります。こうした状況の中で、私たちがどうしても忘れられないのは2年前の東日本大震災と原発事故です。依然、その対応に追われている方々も少なくありません。私たちはこの体験から学んだことを忘れないようにしたいと思います。

 一つは、物心ともに不自由な状況の中で「支えあう」ことの大切さを確認したことです。人は一人では生きていけません。互いに見守り、助け合う。お互いの感情を理解し、他者の思いを受容することが欠かせません。これを経て、私たちは自立しようとする気力をもつことができるのです。音楽は、その場面で重要な役割を果たすことができます。この受容の態度は、子どもの育ちを見守るときに不可欠な要件となります。

 一人ひとりが将来への希望や夢を抱くことは、行動(学習)のための大きな動機付けとなります。その意味からも家族や仲間そして先生の姿(言動)は、子どもたちにとって生きるモデル(学びのモデル)となるのです。子どもは大人の背中を見て「みずから育つ」のです。そこでは私たち大人が音楽を深く愛することが重要です。

 音楽の学習で大切なことは「感動」体験です。素敵な人、素敵な音楽、素敵な自然、素敵な出来事と出会うことは、感動を誘うきっかけとなるのです。音楽学習は、一人ひとりの体内にある感覚を磨きます。音楽は、素敵な音(言葉を超えた言葉)との出会いを通じて、魂に触れるのです。音楽を通じて、人とかかわる喜びを味わうことができます。音楽は、周囲の人や社会事象と関係付けられて、自分の存在を確認することができます。音楽によって、さまざまな思いを交わすことができます。そして音楽は一人ひとりの心を浄化し、社会を明るくしていきます。

 音楽のレッスンは、自らの手足を駆使して、自らの課題に挑戦している瞬間です。その子どもたちは、自分の可能性を拓こうと挑戦している勇者なのです。私たちは、そうした子どもたちをそっと見守り、共に伸びていきたいと思います。
CHC通信,第59号,CHC音楽教室発行,2013年4月
連載「子どもと音楽」(69)
「ともに音楽を学ぶ」ことの意味
 今年は例年よりも早い桜の開花を迎えました。デフレも回復傾向にあります。「春の来ない冬はない」「出口のないトンネルはない」と言われるように、社会は少しずつ明るさを取り戻しつつあります。そうした中で、私たちがどうしても忘れられないのは2年前の東日本大震災そして原発事故。依然とその対応に追われている方々は少なくありません。春の到来の中で、あの体験から学び得たことを忘れないようにしたいと思います。

 学びの一つは、物心ともに不自由な状況の中で「共に支えあう」ことの大切さを確認できたことです。人は一人では生きていけません。周囲にいる人同士が互いに見守り、助け合う。それによって、一人ひとりが自立していこうとする気力を醸成していくことができるのです。そこではお互いの感情を理解しあい、思いを受容することが不可欠です。音楽は、そういう場面で重要な役割を果たすことができるのです。
 
 この態度は、幼い子どもたちをはぐくむときのヒントとなります。音楽の学習に目を向けてみましょう。子ども一人ひとりが将来への希望や夢を抱くことは、行動(音楽学習)のための大きな動機付けとなります。周りの人から刺激を得ることは多く、その意味からも家族や仲間そして先生の姿(言動)は、子どもたちにとって生きるモデル(学びのモデル)となるのです。まさに子どもは大人の背中を見て育つのです。先ずは、私たち大人が音楽を深く愛することが重要です。

 学びの意欲や関心は、残念ながら、すぐに萎えてしまうのです。そのために、私たちは、適時、意欲を喚起する瞬間(動機づけ)をもつ必要があります。規則正しい生活のリズムやバランスの良い食事や睡眠をすることは、そうした気持ちを支える大切な習慣となります。これと同じく、あるいはそれ以上に(学習のために)大切なことは「感動」体験です。感動は、心に深く刻まれ、持続的な動機づけとなります。つまり、すてきな人、すてきな音楽、すてきな自然や出来事と巡り合うことは、感動を呼び醒ますきっかけとなるのです。

 音楽は、一人ひとりの体内にある感覚を磨きます。音楽は、素敵な音(音楽の調べ)との出会いを通じて、魂のゆさぶりを感じます。音楽は、言葉を超える言葉(音)を通じていろいろとな人との出会いをはぐくみ、人とかかわることの喜びを味わいます。音楽は、周囲の人や社会と関係付けられて、自分の存在を確認することができます。音楽を通じて、私たちは自分の思いを周囲の人に伝えあうことができます。そして音楽は一人ひとりの心を浄化し、社会を明るくしていきます。

 音楽レッスンは、自らの手足を駆使して、自らの課題に挑戦している瞬間です。子どもは自分の可能性を拓こうと挑戦している勇者なのです。私たちは、そうした子どもたちをそっと見守る。そして大人自身も伸びたいと思う。そのやり取りの中で、平素の何気ない生活や周囲の方々の思いに感謝するする気持ちを交わしたいのです。皆様の格別のご理解とご指導を宜しくお願い申し上げます。
SOTTOVOCE4月号,広島音楽アカデミー発行,2013年4月
連載「子どもと音楽」(70)
クリエイティブであること
 創造的(クリエイディブ)な演奏は、聴く人の心を刺激し、ワクワクするような情動を誘います。技術(テクニック)は、創造的な演奏で重要な役割を果たしますが、技術だけでは創造的な音楽は生まれません。では、どうすれば既存の概念にとらわれない、創造的な音楽を生み出すことができるのでしょうか。

 ワラスという研究者は、創造過程には4段階があると説いています。つまり、「準備期」「孵化期」「インスピレーション」そして「検証」の4段階です。第1段階の準備期では、問題解決のために材料を集め必死に解決を探る時期ですが、解決の見込みは得られず、無駄な時間が過ぎるばかりという時期です。第2段階の孵化期は、長く続いた緊張が弛緩しますが、何も行われない怠惰な時間のように映る段階です。第3段階のインスピレーションは、問題の解決が一気にやってきます。何か不思議な力が答を与えてくれたかのような瞬間が来るのです。第4段階の検証は、インスピレーションによって導かれた答の論理的道筋を探る段階なのです。発明や発見の多くは、このような段階を辿るのだそうです。

 加えて、藤永保(1972)は、この4段階を支えているのは「動機づけ」と「感受性」だと指摘しています。私たちは何らかの興味や関心に刺激されて動機づけられ、何かの必要性に迫られて解決したいと思い続けるのです。そして、何かを感受するセンスが解決のための火花や導火線の役割を担っているのだと言えます。

 創造的なセンスは、音楽や芸術だけに有効であるばかりでなく、私たちの日々の生活の端々でも活かされます。美しい、楽しい、癒される、興奮するなど、感受する瞬間は、私たちの何気ない生活の中にも点在し、生活を豊かにしてくれます。

 このように考えてみると、音楽を学ぶこと(創造的であること)は、音楽学習だけの専売特許ではない「私たちが生き生きと過ごす」ための重要なセンスと言えます。さあ、創造的な時間を過ごしましょう。
CHC通信,第61号,CHC音楽教室発行,2013年7月
連載「子どもと音楽」(71)
幸福学と音楽
 つい最近(年末)、NHK教育テレビ(Eテレ)で《幸福学》という番組が放映されていました。人が幸せを感じるメカニズムとは何か、心理学、脳科学、福祉学、経済学など、各識者が独自の考え方を展開しており、興味深くみました。特に印象深かった点は−、

・幸せは〈お金の豊かさ〉とは等しくないということ。
・仕事によって獲られる〈やりがい〉や〈名誉〉〈地位〉などによって、真の幸せを感じられるのか。これは熟考が必要です。番組では、仕事をするときに求めるものによって幸福度が違うと語っていました。
・体の自由を奪われた人が精神的に克服した事例から、幸福は常に自分のすぐ傍にある―それに気づくことが鍵になる。これも感動的でした。
・人とのポジティブな関係性の中に幸福の芽を見出そうとする視点もうならされました。

 番組は、私たち一人ひとりの生き方を問う、大切な視点が含まれていました。
 さて、音楽とのかかわりの中にも〈幸福〉を感じる瞬間がある、と私は思います。芸術教育学の重鎮ハーバート・リードは「人はなぜ芸術するのか」という問いに対して、「幸福になるために」と説いています。ルネサンス音楽の研究者であるアントニー・ルーリーは、音楽は「音楽の魂」を聴衆と共に味わうために奏でられると説いています。音楽は直接的に見えない存在ですが、音に何かの意味合いを見出した時に、音楽の魂がみえてくる、と説いています。

 私たちは、いつでも、誰でも、自分がいま置かれている状況から脱し、高次の世界に辿りつくように努めているのですが、それは周囲の人(社会)とのポジティブなかかわり中で実感されていく。言い換えると、音楽は、自らのいまを映し出す鏡のような存在であると考えられます。自分を脱皮すた先に〈幸せ〉があるのかもしれません。音楽を学ぶ過程には《幸福》が散りばめられている。特に、アンサンブルは〈共に生きる幸福〉を味わう瞬間となります。
 私がこの新春に今更のように気付いた〈幸せ〉な瞬間でした。
CHC通信,第62号,CHC音楽教室発行,2014年1月
連載「子どもと音楽」(72)
メタのセンス
 「メタ」という言葉があります。心理学では「メタ認知」とも呼ばれます。この「メタ」を、私は〈もう一人の理性的な私〉と理解しています。音楽は、感情と密接な関係をもっています。演奏するとき、自分の感情を見つめるもう一人の理性的な私「メタ」が重要な役割を果たします。誰かに音楽を届けようと思うとき、この「メタ」のセンスが鍵を握っています。自分の音楽はどのように他者に聴こえているのか。感情を制御するにはどうしたらよいか、等。この意識は、音楽を学ぶときに欠かせないセンス(アクセルとブレーキの役割)なのです。

 「メタ」の意識は、さまざまな場面で細やかな気遣いとなってにじみ出てきます。ファッションを楽しむとき、おしゃべりを楽しむとき、買い物をするとき、お料理をするとき、など。
 幼い年齢の子どもたちは、まだ「メタ」の意識が希薄です。ですから、電車の中でも大きな声で泣くし、演奏会場でも走ってしまうのです。まさに幼児は生きたいように生きているのです。幼児期に学ぶ基本的習慣(挨拶、しぐさ、生活習慣など)は、社会で生きるためのマナーやワザを伝達する大切な役割があります。このときにメタのセンスに気付けるかどうか、これは重要です。

 音楽教育もおなじように考えることができます。音楽体験を通して、美的な感覚(感動体験)を刺激し、ワザ(技法)を獲得する―これは幼児期の無意識の体験の中でも十分に楽しみ、味わうことができます。幼児期だから、心から楽しみ味わえるのかもしれません。ここに大きな意味があります。その後、児童期になると、自分の能力や演奏の出来栄えを客観的に捉えられるようになります。アンサンブルでは、自分の長所に気づき、自尊心を見いだし、他者の存在を認めることができます。一緒に音楽を学びましょう。音楽の学びを一人ひとりの輝きにつなげていきましょう。
CHC通信,第63号,CHC音楽教室発行,2014年4月