パアララン・パンタオ(思いやりの学校)


ゴミの山で働く子どもたち


 フィリピン、マニラ首都圏ケソン市郊外のパヤタス地区に広大なゴミの山があります。1983年からゴミの投棄がはじまり、現在も毎日数百台のトラックが都市のゴミを捨てに来ます。ゴミの山には分別されていないゴミがそのまま捨てられています。乾季にはメタンガスが自然発火して炎があがり、あたりは一面の煙におおわれます。雨季はゴミの山は泥沼状態になり、激しい腐臭が漂います。そしておびただしい蝿と蚊。
 ゴミ山周辺には廃材でつくったバラック建ての貧しい集落が広がり、1万人余りの人々が、ゴミのなかから再利用可能なものを拾って換金し、わずかな収入を得ることで生計をたてています。

 危険で劣悪な環境のなかで、子どもたちも大人たちに混じってゴミを拾っています。ガラス破片も散乱しているのに、長靴をはいていない子もたくさんいます。ゴム草履のまま、あらゆるゴミを踏み分けて働いています。家族やきょうだいと助けあって働く姿もあれば、残飯のなかから拾った食べ物を夢中で口に運ぶ光景も見かけます。




  

  

パアララン・パンタオ ゴミの山にできた学校

 このゴミ山のすぐ麓に「パアララン・パンタオ」というフリースクールがあります。貧困や出生証明書がないこと、親が教育の機会に恵まれなかったので子どもを学校に行かせる必要を感じないなどの事情で、教育の機会を奪われているゴミ山周辺の子どもたちのために、校長のレティシア・B・レイエス(愛称レティ)さんが、地域の人たちと協力してつくりあげた学校です。

 パアララン・パンタオは、1987年に校長のレティ先生が、近所の母親たちから、子どもの勉強を見てほしいと頼まれたことからはじまりました。最初5人だった生徒が1か月後には40人を超えたことから、レティ先生は学校開設を決意しました。
 1989年開校。最初、壁にトタン屋根がのせてあるだけの小さな建物には、床も天井もありませんでした。地面の上に親たちの手づくりの机と椅子が並びました。
 パアララン・パンタオの教師は、地域のお母さんたちです。ハイスクールやカレッジで学んだことのある母親たちが、国内の教育NGOのトレーニングを受けて、教え方を学び、またこの地域の子どもたちの現実にあった教育のあり方を模索しながら、幼児教育、小学校レベルの教育を行っています。
 学校の雰囲気はとても明るく家庭的です。読み書きや計算を教えるだけでなく、家庭崩壊や親の暴力など、過酷な環境を生きる子どもたちに、心から安心できる場所を提供するとともに、子どもたちが自分自身の尊厳を見出していけるように励ましています。

 パアララン・パンタオには制服も授業料もありません。年齢を問わず誰でも入学でき、それぞれの年齢や能力に応じたクラスで勉強します。毎年3歳から20歳頃までの150人前後の生徒が登録し、弟妹の面倒を見たり、ゴミ拾いをして家計を支えながら、元気に通ってきます。パアララン・パンタオで学んだ後、公立の小学校やハイスクールに編入進学する生徒も少なくありません。カレッジまで進学した生徒もいます。パアララン・パンタオは開校以来、ゴミ山周辺の多くの子どもたちに、教育のチャンスを与え続けています。


 

 

レティシア・”レティ”・B・レイエス先生

 1940年6月、ルソン島カバナトゥアン市生まれ。ホセ・リサール大学を卒業後、結婚して5人の子どもを育てました。夫の死後、1982年にパヤタスに移住。そのときパヤタスはまだ緑に囲まれた美しい土地でした。ところが、引っ越して半年余りたった頃からゴミの処分場に。周辺にはゴミを拾って生きる人たちの貧しい集落ができていきました。
 教育を受けたことがなく、また田舎から出てきて都市で生きる術を知らない隣人たちのために、レティ先生の奮闘がはじまります。
 住民たちが助け合って生活を向上させることができるように、地域の240世帯で「ダンプサイト隣人組合」を組織し、代表をつとめることに。水や電気の確保、住民同士のトラブルの調停など、地域の様々な問題に取り組んでいます。
 1987年からは地域の子どもたちの教育に取り組み、89年パアララン・パンタオを開校。校長としてパヤタスの子どもたちの将来のために献身しています。

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