地球が舞台

2003年4月
フィリピン ゴミの山の学校
「パアララン・パンタオ」(思いやりの学校)ニュース

☆パアララン・パンタオ2002−2003

6月 新学期が始まりました。
 3歳から17歳まで154人の生徒が登録しました。午前中は3歳から8歳まで、午後は9歳から17歳までのクラスを開きました。先生は、レティ校長先生、ベイビー先生、クリスティーナ先生、エデン先生の4人と、マリアフェレ(アシスタントティーチャー)です。

7月 毎日(月ー金)の給食も始まりました。
(2003年1月まで)
 資金不足のため、現在中断しています。

8月 学芸会(22日)
 日本人留学生や外国からの訪問者も迎えて、子どもたちは歌やダンスを披露しました。

12月 郊外学習(10日)
 バス2台を貸切で出発。下級生は、親たちも一緒に、マニラ動物園、子ども博物館を見学ののち、ケソンサークル(公園)で、思いっきり遊びました(慣れないエアコンバスで、吐く子が続出するというハプニングも)。上級生は、プラネタリウム、国立博物館、ケソンサークルに行きました。

12月 クリスマス・パーティ(21日)
 生徒たち、親たち、友人たちみんなで、歌やゲームで楽しく過ごしました。ライスとフライドチキンのお昼ご飯にジュース、プレゼントもありました。日本人留学生たちは、生徒みんなに、学校のネーム入りの新しいTシャツをプレゼント。


                               (Two Photos by Kayo Sawaguchi)

☆パアララン・パンタオの分校を開校します。
 2000年7月10日、パヤタスのゴミの山がいきなり崩れて数百人の人々が亡くなるという大きな事故があり、パアララン・パンタオの生徒も23名が犠牲になりました。事故の後、多くの人々が隣のリサール州モンタルバンの再定住地(通称エラプシティ。パヤタスから車で40分ほど)への移住を余儀なくされました。
 移住後、就学の機会を失ったままの子どもたちも多くいて、住民たちからは、近くにパアララン・パンタオのようなフリースクールが欲しいという希望が以前から寄せられていました。
 そこで現在、エラプシティにある空家を教室に改造して、クラスを開く準備を進めています。今年6月の新学期にあわせての開校を目指しています。
 ご理解、ご支援を、どうかよろしくお願いいたします。

 (右の写真は分校予定校舎と移住した子どもたち。)

☆奨学生からの手紙
 ジュリアン・ドネイル君(21歳)が2002年10月、カレッジを卒業しました。 長い間、応援していただき、本当にありがとうございました。エレインジョイ・レイエスさん(17歳)は、ハイスクール4年に進級します。

 ありがとう! ありがとう! 本当にありがとうございます!これまでの愛情と気苦労と理解と骨折りと、そして援助に、心からのお礼を申し上げます。貧しい人々、とりわけ子どもたちへの援助(それは子どもたちの将来や意欲を励ましてくれます)のことを、僕は決して忘れません。
 僕はこの10月に大学を卒業し、現在、就職活動中です。僕たちは、あなたやあなたの友人やスポンサーのみなさんのおかげで、ここまでたどりつくことができました。そのことに報いるのに、ありがとうという言葉は十分ではありません。
 僕たちにしてくれたすべてのことに対して、感謝しています。僕は勉強を終えることができ、いま、良い仕事が見つかるように祈っています。そして僕たちがしてもらってきたように、僕もまた他の人たちを助けることができるように。ありがとうございます! どこにいても、どんなときも、僕たちは決してあなたたちのことを忘れません。どうかお元気で。

ジュリアン・ドネイル

 私からの挨拶を受け取ってください。こんにちは! お元気ですか?私たちは元気でやっています。私はちゃんと勉強を続けています。今年は学習内容も難しくなって、宿題も多くて大変でした。でもとても面白い。たくさん友だちもいて、この高校に通えて幸せです。
 「メリークリスマス」と「ハッピーニューイヤー」と「ハッピーバレンタイン」をまとめて言わなくちゃ。またすぐに会えますね。お元気で。

エレインジョイ・レイエス

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