ゴミの山で生きて、学んで、笑って

第2章 クリスマス・マウンテン 1994年12月

☆スモーキーマウンテン

 乾季のゴミの山は熱い。ゴミが自然発火して、いたるところで炎があがる。「ゴミを拾っていて服に火が燃え移って死んだ人がいる」「人が殺されて燃やされた。あんまりよく燃えたから男か女かもわからなかった」。そんな話も聞いた。炎のすぐ傍らでゴム草履のままの子どもたちがゴミを拾っている。
 煙はひどい。スモーキーマウンテンの名前の由来になった煙だ。(パヤタスのゴミの山は、谷間だったことからスモーキーバリーとも呼ばれる)。ここに来てから喉と目が痛い。うっかり外に干した洗濯物はいぶされて臭くなったし、白いシャツは灰色になった。
 ダンプサイトにのぼると、頭に白い大きな塊をのせた女たちに出会った。「何を拾ったの」と訊くと「石鹸を拾った。今日はハッピーだよ」と笑う。
 夫とジャンクショップ(拾ったゴミを買い取る店)の仕事をしているジェインは、自分の家にある綿のはみ出たソファーも、日本製のオルゴールも香港製の鏡も、すべて「SM」のだと笑った。ゴミの山で拾った。マニラにはSM(シューマート)という大きなスーパーマーケットがある。スモーキーマウンテンをシューマートにかけてSMと呼ぶ。「SMには何でもあるよ」というわけだ。
 1994年12月、私はパヤタスを再訪、ゴミ山の麓の学校「パアララン・パンタオ」に滞在した。

☆ベイビーと4人の娘たち

 パアララン・パンタオには、ジョイの母親のベイビー(32歳。レティの長女)が戻っている。彼女は3度目の結婚に終止符を打って10月にここに戻ってきた。ベイビーは、ジョイ、リンリン(4歳)、ロレン(2歳)、そして生まれたばかりのエライジャンの4人の娘と、学校の裏庭の一間きりの小屋で暮らしはじめた。
 母親と妹たちが帰ってきて、ジョイはとても落ちついた表情をするようになった。ジョイは妹たちの面倒をみる。リンリンの体を洗ったり、エライジャンのおしめを替えたり。掃除も水汲みもする。頼りになるお姉さんだ。
 ジョイは毎日、私を水汲みに誘った。ある日、一緒にいたリンリンと手をつないで水汲み場に行こうとすると、つないだ手をジョイがきるものだから、リンリンが泣きだした。「なぜ?」と訊くと、グレースやリンリンは服を濡らすから駄目だと仕草で説明する。手をきったのはジョイなりの責任感なのらしい。水汲み場には、何人もの子どもたちが水汲みに来ている。ひとりの女の子が髪を洗うのを待つ間、石けりをして遊んだ。泣きやんだリンリンも、サンダルをいつも左右逆にはいているロレンも一緒だ。
 ベイビーはパアララン・パンタオの先生になった。片方の手でエライジャンを抱いて、もう片方の手で黒板にアルファベットを書いている。
 学校には10月から日本人留学生のケンが下宿している。5月、留学生たちがはじめてパヤタスを訪れたとき、レティ校長は言った。「いろんな人間が来た。でも一度来てそれっきりだ。何度か来ても、雨季になって道がぬかるむようになると来なくなる」。それで意地になって通った。パアララン・パンタオを拠点に、ダンプサイト周辺をとにかく歩いた。最初はおそるおそるパヤタスに来た。「でも通っているうちに、土曜日にここに来るのが一番の楽しみになっていた」。ケンは、学校に下宿できないかと相談し、レティは家族のようにケンを迎えた。
 留学生たちは、やって来ては自由に過ごしていた。子どもたちと遊んだり、レティとおしゃべりしたり。テルちゃんは、学校の軒下に小さな菜園をつくった。子どもたちと一緒に豆やオクラの種を植えた。
    *    *
 教室では、先生たちの顔ぶれが変わっていた。3人ほどやめさせられたのだ。前年、日本の市民グループの支援で、学校の改築がおこなわれた。無給に近かった給料も少しあがった。けれども、お金を得たことでかえって不満が生じたのだろうか。先生たちは「レティは日本からのお金を独り占めしている」と噂し、さらに学校の備品やお金を盗みはじめたのだった。「先生たちも貧しいからね」とケンは言い、「妹のように信じていた教師たちに裏切られるとは夢にも思わなかった」とレティは言った。学校にお金はなかった。ケンの下宿代が、経費のいくらかを支えていた。

☆青空の下で

 ゴミの山は相当に広い。ふたつの大きな山が「く」の字型にひろがっている。ある日、煙に覆われた山に沿ってずいぶん遠くまで歩いた。
 しかめっ面でゴミを拾う少女。道端で何ごとか争っている少年たち。粗末な小屋がひしめくなかに、家に帰りたくない子らが子ども同士で暮らしている小屋があった。「ここの子どもたちは、学校の子どもたちと全然違う。話しかけてくるのも、おまえ、ドラッグやるのか、おまえ、女とやるのは好きか。そんなふうなんだ」と留学生の河合君が言った。「なぜ家に帰らないのか」と彼は訊いたことがある。「どうせ親父の暴力が待っているだけだから」と少年たちは答えた。
  留学生たちがはじめてこの小屋を訪れたとき、小屋ではひとりの少女が高熱を出して苦しんでいた。手分けして薬や食事を探しに行った。周りの少年たちの話では、少女は13歳で2度目の流産の後だった。相手はわからない。生きるために売春していたのかもしれない、という。一週間後、少女の姿はなかった。少女がどこに行ったのか、仲間たちも知らない。
 自然発火の炎が連なる。背丈ほどもある炎から、もくもくと煙があがる。凄まじい景色だ。ふと、人間の心のなかにも、このような光景はあると思った。無意識には、どんなものが堆積しているかわからない。腐敗し、腐臭を発していないとも限らない。そして爆発する。どんなものでも捨てられている。どんな人間にでもなってしまえる。ゴミの山は危険。でも人間はもっと危険だ。
 青空の下で、闇と光がせめぎあい、そのはざまに立ちすくむ自分の姿が、一瞬あざやかに心に浮かんだ。私はどんな人間だろうか。
 ゴミの山の一画が、ブルドーザーで均されて広い平地になっている。青空の下、ゴミの平地を、凧あげの少年が走っていくのが、白い煙にかすんで見えた。

☆壁の向こう

 ジプニーの通る道に沿ってセメントの壁が続いている。壁の上には有刺鉄線が張られている。壁の向こうは水源地らしい。ある日、私と留学生たちは、壁に穴があいているのを見つけた。かがんで、どうにか人ひとりくぐれるほどの穴。くぐり抜けて驚いた。茂みの向こうに、とても広い、とても美しい湖が広がっている。まるで別世界だ。「嘘だろう」「信じられない」
 心がくらくらした。こんなに美しい湖があるのに、なぜ人々は汚れた水をポンプで汲み上げて使わなければならないのだろう。しかも、けっして安全と思えない水が、水道料金の数倍する。電気も同じだ。電線が通っていないので、ワイヤーを自分で用意して仲介業者を通してひく電気も通常の数倍する。貧しい人々ほど高い出費を強いられる現実がある。
 ふと見上げると、空の片隅にゴミの山の煙が黒くたなびいているのが見えた。この湖が汚染されていないとも限らないと思った。
 美しい湖を見つけた、と幾分、得意になって報告したのだが、「おまえたち、壁の向こうに行ったのか」とレティは不安そうに言い、ベイビーは両手を前で揃え「警察に連れて行かれるよ」と言う。「それで新聞に載るんだ。日本人学生たち、不法侵入で逮捕される」。壁の向こうは保護区域で立入禁止なのだった。

☆クリスマス・マウンテン

 パアララン・パンタオでは、クリスマス・パーティの準備が進んでいる。教室の真ん中の柱に凧糸を放射線状に張って円錐形をつくる。それに豆電球や人形を飾って、凧糸のツリーの完成だ。授業の後はダンスの練習。はにかんだり、おどけたり、はしゃいだり。子どもたちといると、生きることはもっと軽やかで、もっと嬉しくていいことのはずだと思えてくる。何もなくても一緒にいれば楽しいよ。彼らはそんなふうに語ってくれるようなのだ。
 この国は、国民の八割以上がカトリックとあって、クリスマス前のマニラはイルミネーションが美しい。街じゅうが光の海になる。パヤタスでは夜になると、イルミネーションのかわりにダンプサイトの火が燃える。
 ケンが学校に下宿するようになったので、レティと息子のジェイコーベン、養女のグレースは、夜は自宅に戻れるようになった。夕食の後、家に帰るレティたちと表に出ると、夜のダンプサイトは、自然発火の炎、トラックのライト、昼間は暑いので、夜にゴミを拾うスカベンジャー(ゴミを拾う人たちのことをこう呼んでいる)たちが灯すアルコールランプの炎と、微妙に色の違う光が、闇のなかにゆらめいている。
 「マガンダー(きれいだよ)」。グレースが山を指さして言った。「そうだね、クリスマス・マウンテンだね」と言うと、「クリスマス・マウンテーン!」、グレースは両手を大きく広げて叫んだ。街の人工的なイルミネーションは目を楽しませてくれるだけだが、ここのゴミの山の火、闇のなかにゆらめく炎は、体のふかく、血のなかの原始の記憶にまで訴えてくるよう。ぞっとするほどきれいだ。
  滞在中、何度か夜のダンプサイトにのぼった。闇のなかで、ランプをたよりにスカベンジャーたちがゴミを拾う。子どもたちの姿もある。彼らにしてみれば、日常のありふれた光景にすぎないだろうが、闇のなかにアルコールランプに赤らんで浮かぶ人々の横顔は、神秘的だ。ランプの炎は静かに円を描いて、トラックが落とすゴミを待つ。問いたくなる。人は、本当は何を待っているのだろうか。

☆クリスマス・パーティ

 クリスマス・パーティの日。留学生たちが来るとたちまち子どもたちが飛びついていった。写真を撮って、と女の子たちがねだる。今日は一番いい服を来ているからだ。
 生徒たち、先生たち、父母たち、学生たちでごった返した教室。凧糸のツリーのまわりで、子どもたちと学生たちの歌と踊りがつづいた。
 デイケアの子どもたちがキリストの生誕劇をした。マリア役のジェニー(6歳)がすました顔で中央の机の上にすわる。幼子イエスは生後3か月のエライジャンだ。籠のなかでキョトンとしている。男の子たちは聖人に、女の子たちは天使になった。天使たちは段ボールに綿を貼りつけた羽根を背負い、得意げに頬を紅潮させて立っている。
 鼻を赤くしたトナカイのケンと、伸ばした髭を歯磨き粉で白くしたサンタクロースの加藤君が、プレゼントのお菓子を配る。大騒ぎ。
 私たちは替え歌をつくり、「第九」の旋律で子どもたちと一緒に歌った。
  「猫がうるさい。犬がうるさい。ゴミのトラックはもっとうるさい。
   でも私たちの声はもっと大きいよ。私たちの喜びの声は。
   スモーキーマウンテンはごうごう音をたてて燃えている。
   私たちの愛はもっと激しく燃えている。
   ここパヤタスでは!」
    *    *
 ケンは子どもたちの衛生教育のための紙芝居「スーパーマン」をつくった。話はケンが考え、絵は先生のロレーナ(21歳)が描いた。
 スカベンジャーの少年シンプルは、スーパーマンに憧れている。拾ったビニールをマントにスーパーマンごっこに夢中だ。ある夜夢にスーパーマンがあらわれた。シンプルは訊く。「どうしたらスーパーマンのように強くなれるの?」
 スーパーマンになる方法だが、まず食べる前には手を洗う、生水は飲まない、ゴミを拾うときには怪我をしないように長靴を履くことが大切だ。それから学校で勉強することも。そして、何があっても希望をもって前へ進む!
 パヤタスのスーパーマン、シンプルは、右手に鉛筆、左手にゴミを拾うための鉤型のピック、背中にゴミ袋のマントという姿で登場する。 
 パアララン・パンタオの生徒たちの「幸福」についての意識調査。10歳から18歳の30人にケンが訊いた。「あなたは今、幸福ですか? 現在の生活に満足していますか?」
 イエスが27人、ノーが3人。9割が幸福だと答えている。なぜか。
 「スモーキーマウンテンの近くに住んでいて、授業のあと家計を助けるためにすぐ働けるから」11人。
 「たとえ貧乏でも両親が愛してくれるから」5人。
 「学校で勉強できるから」4人。
 次に「あなたはどんなとき、幸福を感じますか?」
 「家族と一緒にいるとき」20人。
 「お金を稼いだとき」8人。
 「友達と遊んでいるとき」2人。
 最後に「辛いとき、悲しいとき、あなたを支えてくれるのは?」
 「神様」10人。
 「ゴミの山(お金を稼げるから)」9人。
 「家族」6人。
 「学校」5人。
 家族がいて、ゴミの山で働けるから幸福だと子どもたちは言うのだった。

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