ゴミの山で生きて、学んで、笑って
第6章 生きている学校 1998年8月
☆生きている学校
98年の新学期がはじまっている。授業は朝7時半から。以前は8時からだったが、早朝からやってくる子どもたちが表であんまりにぎやかなので、時間を早くした。女の子たちがテラスでゴム跳びをしながら、教室のドアが開くのを待っている。
先生の顔ぶれは少し変わった。レティ(58歳)と娘のベイビー(36歳)と姪のマジョリー(26歳)。そのほかに新しい2人の先生、エデン(43歳)とクリスティーナ(28歳)がいる。エデンは、95年に学校が給料を払えなくなったときに先生をやめて、ずっとスカベンジャーをしていたが4年ぶりに戻ってきた。
通常のクラスのほかに、今年は2つの特別クラスがある。1つは、赤十字のスタッフによる保健衛生教育。もう1つは、PEPT(編入試験)を目指す生徒のための数学の補習だ。
相変わらずじっとしていないで、教室を歩きまわっているワンパク(12歳)が、授業を抜け出してテラスに出てきて「覚えているか。ぼくはワンパクだ」と言う。もちろん覚えているよ。勉強は嫌いだが、学校に来るのは好きらしい。
ジェナリンは10歳。7人きょうだいだ。膝に妹をのせて子守りをしながら授業を受けている。2歳の妹は教室をあちこち歩いてみたり、またお姉ちゃんの膝にもどったり。
授業が終わると、ダンスの練習がはじまる。もうじき恒例の学芸会がある。練習は、もしかしたら本番よりも生き生きして、楽しい。音楽がかかり、子どもたちが踊り出すと、教室じゅうが陽気な生き物のようにはずんだ。
☆サラリーアップ
毎朝、水をバケツにためる音で目が覚めた。去年、苦労して学校に水道を敷設したが、今は水は早朝の1時間しか出ない。その間に、その日使う水を容器にためる。水道ができて、水代はこれまでの半額ですむようになった。
学校の横に、新しく電気のメーターボードもつくられている。電気が電力会社から直接供給できるようになれば、電気代も今の半額ですむ。
ここでは、黙っていて水がきたり電気がきたりしない。水道敷設には、給水塔までの水道管のお金を工面した。電気も、地域の住民組織「ダンプサイト隣人組合」(代表はレティ先生)が長い間会社と交渉を重ねてきた。必要な経費のいくらかは、学校で負担した。
誰のせいにするのでもなく、誰かをあてにするのでもない。「隣人組合」の取り組みを見ていると、自分たちの生活は自分たちでよくしようとする、その主体性が、民主主義というものの原点かもしれないと思う。
「地域をよくするには、みんなで助け合わなければいけない」とレティは言う。民主主義と利己主義は両立しないのだ。だが現実は簡単ではない。「自分が何を得られるか、奪ったり与えてもらったりできるかを考える人間は多いけど、自分が何を与えられるか、他人のために何ができるかを考える人間は、少ないよ」。
学校は、3年前の台風で屋根が飛んで以来、雨漏りのひどかった屋根をようやく直した。それから裏庭に新しい小屋をつくった。使っていた古い納屋は壊れてしまったし、学校は物を置くスペースがなくて、2つあるトイレの1つをずっと物置にしている始末だったのだ。
「先生の給料をあげたい」とレティは言った。去年までいたサリー先生は、パアララン・パンタオをやめて、他のフリースクールの先生になった。そちらのほうが給料がいいからだ。
レティが通帳を見せてくれる。ドルと円とペソを換算しながら、給料をあげることが可能かどうか相談した。まず今度の給料日から1・5倍にして、来年度から2倍にすることになった。
ミーティングの日、レティがサラリーアップを告げると、先生たちの本当に嬉しそうな歓声があがった。
☆1冊だけのノート
ある日、レティは決意した。何度言ってもノートと鉛筆を持ってこない生徒を家に帰らせた。「お父さんかお母さんに、ノートと鉛筆を用意してもらってから、また来なさい」と言って。
これまでは持ってこない生徒には学校で与えていたが、レティは、特に事情がない限り、与えないことにした。「学校ですべて与えてしまうと、親たちが甘えてずるくなる。親がずるくなると、子どもたちもずるくなる」
パアララン・パンタオでは、学年のはじめに登録料として50ペソだけ払うことになっているが、実際に払っているのは半数ほど。入学の条件はないに等しいが、今年からレティは、登録料を廃止するかわりに、ノートと鉛筆を自分で用意することを入学の条件にした。「誰も生徒が来ないかもしれない」と冗談でなく思ったが、今年も182人もの生徒が登録。カバンにノートと鉛筆を入れて通ってくる。
たいていの子は、自分がゴミを拾って働いたお金でノートと鉛筆を買う。そこで考える。どこで買えば安いのか。ある子は、スーパーマーケットや市場、近くのサリサリストアなどいろんな店をまわって値段を調べ、学校で割引で売っているのが一番安いと確かめてから買った。
レティが思いだしたように笑った。「ある男の子は1年間、たった1冊のノートですませたんだ。ノートは隙間もないほど真っ黒だから、彼は宿題をしてくるが、どこにそれが書いてあるのか、彼にも先生にも誰にもわからなかった」
文房具ぐらい無料であげてもよさそうに思うが、レティは言う。「私は子どもたちを、与えられるのを待つだけの人間にしたくないんだ。プレゼントはクリスマスのときにね」。
子どもたちが学校に通うことで、親たちの意識も変わってきた。今年は、生徒の親たちが学校のために何ができるか話しあって、学芸会のときに振る舞う料理のお金を、みんなで出しあうことを決めたという。不足分は学校が負担するが、親たちが何かをしようと思ってくれる、その自発性を、レティは本当に喜んだ。
☆ジョイの家出未遂
ジョイ(12歳)が家出しようとしたらしい。そう聞いて、いつのまにそんなことを考える年齢になったのだろうと驚いた。
ある朝早く、ジョイの友だちが家を出て、ジョイとの待ち合わせ場所に行こうとしたところを、親に見つかった。それで家出の計画がばれた。何もはじまらないうちに終わってしまった。
友だちの親から話を聞いてレティとベイビーは驚いた。ジョイが首謀者だったらしい。「サマール島に帰った友だちに会いに行くつもりだった」と、ジョイは白状した。
パヤタスの住人は貧しい田舎から出てきた人が多い。しかし田舎よりも過酷なスラムの暮らしに見切りをつけて、田舎に帰っていく家族も少なくない。そのように帰っていった家族のなかに、ジョイの友だちもいたのだろう。
「しかしジョイは、リテックスの市場より遠いところに、ひとりで行けるのか?」孫娘の家出の顛末を話してくれながら、レティはそう言って笑った。
「ベイビーが最初に家出したのは15歳のときだ」とレティが言い、ベイビーが苦笑する。
その夜は、それぞれの家出の話でもりあがった。そして、エスケープを試みるまでもなく、いつか本当に出ていかなければならない時がくる。子ども時代の終わりがやってくる。
* *
アンジー(15歳)はもう学校に来ていない。一昨年、養母が死んだ後、寄宿していたマジョリー先生の家も飛び出してしまった。受ける予定だったPEPT(編入試験)も受けなかった。その後、住み込みの子守をしながら、もう一度パアララン・パンタオで勉強したが、今度はPEPTに失敗してしまった。ハイスクール2年に進みたかったのに1年のレベルしか認められず、勉強を続ける気を失くした。
アンジーが今どうしているか、レティたちにもわからない。リテックスの市場で働いているのを見たとか、ボーイフレンドと一緒に暮らしているらしいとか、カリスマ的な宗教に入っている、というような噂を聞くだけだ。
「優秀な生徒だったから、私もマジョリーも、彼女をカレッジまで進学させたいと思っていた」と、レティが残念そうに言った。
ベンジャミン。ハイスクールに行きたいけれどお金がない、と語っていた絵の上手な17歳の少年は、ガールフレンドに子どもができて、一緒に田舎に帰っていった。
☆学芸会
生徒たち親たちでいっぱいの教室で、学芸会がはじまった。前日まで、先生やお母さんたちは、女の子たちの衣装を用意し、生徒たちはダンスで使うキャンドルや造花をつくっていた。
当日は、ノブコたち留学生や、夏休みの旅行でマニラに来ていた日本人学生たちも参加した。
デイケアの子どもたちの歌、女の子たちのフォークダンスと、プログラムがつづいていく。写真を撮っていると、ひとりのお母さんがやってきて言った。「あそこで踊っているの、うちの娘なの。お願い。写真を撮って」
プログラムが終わる頃までに、教室の奥には近所のお母さんたちの手で、いつのまに準備したのか、料理とジュースが運びこまれている。
縁の欠けた大きな洗濯だらいに、麺と野菜を炊きあわせた「パンシット」という料理が山盛り。それからサンドイッチ。
学芸会の後、年長の生徒たちがそれぞれ紙皿に取り分け、小さい子どもたちから先に配っていく。表のテラスでは、学芸会をのぞきに来ていた近所の子どもたちも一緒に食べている。
ジェニファー(12歳)は今年は学校に来ていない。弟たちを勉強させるために、自分は勉強を中断した。毎日ゴミの山で働いているが、今日の午後は休み。弟たちと一緒にパンシットをほおばっている。
学芸会で料理を振るまえることが、嬉しい。以前は、クリスマス・パーティのときでさえ、料理を準備できる余裕はなかった。
少し不思議な味のするオレンジジュースを私は飲んだ。大人たちのためのジン入りのジュースだとわかったのは、何杯も飲んだ後だ。学芸会の後、私は酔っぱらって眠った。
その夜から熱が出た。レティがくれた薬を飲んで、熱が下がるまでの2日間、私は眠りつづけた。グレース(9歳)リンリン(8歳)ロレン(6歳)が、裏庭のぐみの実を摘んできてくれた。グレースは、とっておきのパイナップルジュースも出してきて「全部飲むのよ」と私に言った。その言い方が、レティが、私や学生たちに食事をすすめるときの言い方にそっくりで、ドキッとした。
☆もうひとつのパヤタス・カード
パアララン・パンタオを訪れる留学生たちは、少なからずとまどう。学校や子どもたちのために何かしたい、と思って通ってみるが、できることは何もない。そして何もできない自分を見つめることは勇気が要る。
学校に行くと、レティはおやつや食事を出してくれる。結局、忙しいレティを煩わせるばかりだと、申し訳なさに、かえって足が遠のいたりする。ノブコも一時期そうだった。
考えてみれば当然だった。ここでは5歳の子どもも家族のために働いている。弟妹の面倒もみればゴミ拾いもする。そして、ここの子どもたちにとって当然のことを私たちはしてきていない。人のために働くことをしてきていない。突然、何かができるはずもない。
でもレティは学生たちに言う。「ここはあなたの家で、あなたは私の息子や娘のようなもの」と。互いに思いやる気持ちがあって、一緒にいることが楽しければ、それで十分なのだと。
帰国後のある日、日本の小学五年生の女の子、まみちゃんと、友だちのちかちゃんから絵のカードが送られてきた。まみちゃんのお母さんがもらったパヤタス・カードを見て、絵の返事をくれたのだ。日本からの「フレンドシップ・カード」だった。子どもたちの絵は、国境も民族も環境の違いも、一瞬に飛び越えてしまった。ちかちゃんは「私はリンゴが好きです」と英語で書いていた。一時帰国していたノブコに手紙を託した。
留学生たちは、パアララン・パンタオで「日本の友だちに英語で手紙を書こう」という授業を行なった。英語の文章を書くことは、パアララン・パンタオの子どもたちにとっても挑戦だった。ノブコは手紙に写真まで添えて、2人の女の子に送ってくれた。とても残念なことに、どこで紛失したのか、その手紙は日本まで届かなかったのだけれど。