ゴミの山で生きて、学んで、笑って

第7章 パアララン・パンタオ奨学金  1999年8月

☆パアララン・パンタオ奨学金

 99年6月、パアララン・パンタオのふたりの卒業生が、カレッジに進学した。これは素晴らしいニュースだ。
 校長のレティ先生(59歳)は言った。「この10年間で、50人ほどの生徒が、パアララン・パンタオで勉強してハイスクールに進学した。でもハイスクールを卒業できたのは、たった3人だ」。せっかくハイスクールに進学しても、お金が続かなかったり親の理解が得られないために、中退する子がほとんどという状況のなかで、レイナルド(23歳)とジュリアン(17歳)のカレッジ進学は、レティにはよほど嬉しかったのだ。彼女は彼らの学資の面倒をみることにした。
 パアララン・パンタオから奨学金を出して、進学する生徒を応援する。いつか、そうできれば素敵だなと、ひそかに思ってはいたが、希望よりも計画よりも、現実が先に進んだ。
 問題はいくら必要か、ということ。
 授業料やテキスト代の領収書を前に、ペソを円に換算しながら、頭が痛くなるような計算をした。カレッジの授業料は安くない。制服代や毎日のジプニー代も要る。ふたり分の学資を、卒業まで本当にサポートできるだろうか。
 「もうひとりジョイにも要るんだ」とレティ。ベイビー先生(37歳)の長女のジョイ(13歳)が公立小学校の6年生に復学した。ジョイの編入試験の成績は、数学以外は満点だった。
 レティは、新学期から先生たちの給料をあげる予定だったが、レイナルドたちの学資を出すことになると、もう何にも余裕がない。給料は当分据置きになり、先生たちもそれを了承した。

☆レイナルドとジュリアン

 レイナルド・ヴァレーは、10人きょうだいの次男。故郷の田舎で小学校を卒業後、漁師として働いていたが、台風で家が壊され、一家は親戚を頼ってパヤタスに移住した。両親はゴミの山の麓で小さな店を開き、レイはジャンク・ショップ(ゴミの買い取り業)で働きながら、勉強を再開した。95年、パアララン・パンタオで半年学び、試験を受けてハイスクールに。99年3月卒業。カレッジの船舶技師のコースに進学した。いつか船舶技師になりたい。
 ジュリアン・ドネイルは、幼い頃、両親が離婚した。兄は父に、妹は母に引き取られたが、真ん中のジュリアンはどちらにも引き取ってもらえず、祖父母のもとで育った。7歳のときから、祖父母を助けてゴミ拾いをして働いてきた。学校に興味をもち、よくクラスをのぞきにくるジュリアンを、レティは生徒にした。「私はジュリアンを、パンツもはかずに走りまわっていた小さな頃から知ってるよ」と笑う。
 ジュリアンは92年に試験を受けて公立小学校5年に編入。卒業後再びパアララン・パンタオで勉強し、ハイスクール2年に編入。ゴミ拾いをして働きながら通学し、98年3月卒業。1年間働き、99年6月カレッジに進学した。
 ジュリアンは95年に相次いで祖父母を亡くしている。ひとりぼっちになった彼を、近隣のレメジョスさんが「息子にした」。彼は今、レメジョス家で暮らしている。
 レティは、学校のテラスの横にキッチンをつくり、小さな店を開いた。朝食を食べずに来て、安いスナック菓子で空腹をごまかす子どもたちに、菓子の代わりにルガウ(フィリピン風お粥)を与えたいと、以前から思っていた。
 レティは、このルガウ屋の仕事を、レイナルドとジュリアンにまかせた。2人は毎朝5時過ぎにはやってきて、大きな鍋にルガウやマカロニスープをつくってから登校する。材料の買い出しも彼らの仕事だ。
 2人ともとてもよく働く。ルガウ屋の仕事はもちろん、教室のペンキも塗れば、庭の畑の手入れも、大工仕事もする。「レイは料理や畑仕事が得意で、ジュリアンは細かい計算が得意だ」と、レティも2人をとても頼りにしている。
帰りが遅くなると、レイナルドとジュリアンは学校に泊まっていくことも多い。教室の机の上に兄弟のように仲良く並んで寝ている。

☆タイフーン・チルドレン

 デイケアの子らがクラスを抜け出して裏口から出ていく。庭の畑におしっこをしにいくのだ。小さなお尻を並べている姿がとてもかわいい。
 「ここは毎朝台風がやってくる」とレティは言った。アルファベットと数字の勉強を終わって、紙ヒコーキを飛ばそう、ということになるやいなや、男の子たちは土足で机の上を飛び跳ねる。紙ヒコーキを踏まれたと泣き出す女の子。潰れた紙ヒコーキをくしゃくしゃに丸めて投げあいっこをはじめる子。
 でもまるで台風のような子どもたちも、レティにお話を読んでもらっているときは、とても静かに聞いている。
 聞き覚えのあるメロディーだ。ベイビーのクラスが「幸せなら手を叩こう」を歌っている。教室の空気がぱあっと明るくなる。子どもたちは夢中で手を叩き、足を踏みならす。たったそれだけのことが、どうしてこんなに幸福だろう。まるで光がはじけるみたい。心の深くから喜びが湧いてくる。
 ベイビーのクラスに、口唇裂の男の子がいる。アンヘロは9歳。何度かゴミの山で見かけたが、今年からパアララン・パンタオに通っている。私の父もアンヘロと同じ障害を持っているので気になった。父は、生まれたときに縫ってもらったと言っていた。アンヘロはどんな治療も受けていない。口もとはざっくりと裂けたままだ。
 「パンギット(醜い)といじめられることも多いから、私は負けないくらい、いい子だね、かわいいね、と言うんだ」とレティ。「アンヘロは一度も学校に行ったことがないから、数字もアルファベットも知らない。理解させるのはたいへんだ」とベイビー。
 ある朝、ベイビーは、バケツの蓋いっぱいのカードを子どもたちから没収した。カードには、セーラームーンや幽遊白書など日本のアニメーションの絵が描かれている。このカードで、おやつ代を賭けてギャンブルをしているらしい。
 「投げあげて表が出るか裏が出るか賭けて遊んでる」とベイビー。「カードは1枚1ペソもする」とマジョリー先生(27歳)もあきれたように言う。
 一度カードを没収されたくらいで、男の子たちは懲りない。翌日もまたバケツの蓋いっぱいのカードを、ベイビーは没収した。テラスでは、手もち無沙汰になった小さなギャンブラーたちが、追いかけっこをはじめている。

☆店番

 マジョリーは、先生の給料や電気代、水代など、学校の経理をまとめた。
 99年2月、念願の電気の直接供給が実現して、電気代はこれまでの半分になった。でも水は、とても苦労して水道を敷いたのに、給水塔の故障でもう1年も水が来ない。学校では、毎日タンク車で売りに来る水を買っているが、これが水道料金の6倍もかかる。(パヤタスは地下水が豊富だが、汚染された水のせいで障害をもった子が生まれている、という記事が、この頃日本の雑誌にも載った。)
 グレース(10歳)は午後のクラスなので、午前中は、ルガウ屋の店番をしている。「20ペソか30ペソか儲けのあるときもあるし、赤字のときもある。レイナルドたちのテキスト代くらいにでも、なればいいけど」とレティは言うが無理だろう。
 お菓子やコーラを売っているサリサリストアの店番は、リンリン(9歳)だ。学校の電気代や備品代を賄うために94年にオープンしたが、ここも儲けはない。
 なんといっても、お客は子どもたち。よそでは7ペソで売っているコーラが、ここでは5ペソ。3つで2ペソの飴玉は、ここでは2つで1ペソ、という具合だ。
 休み時間になると、ルガウ屋もサリサリストアも大忙し。値段をリンリンに教えてもらって、サリサリストアを手伝った。
 これちょうだい。あれちょうだい。たくさんの小さな手が伸びてくる。菓子を買う子らにまじって「紙」を買う子もいる。ノートを一冊まるごと買えない子らは、おやつ代のなかから1ペソを出して、紙を数枚ずつ買ってノートにしている。

☆アブセンス(欠席)

 フィリピンでは4月と5月が夏休みだが、去年、子どもたちの勉強の遅れを心配したレティは、夏休みもクラスを開いた。今年はどうしようかと親たちに相談したところ、親たちはクラスを開くことを希望した。
 この2年間、パアララン・パンタオは1年中クラスを開いている。
 夏休みも学校に通う生徒がいる一方で、ほんの3か月ほど通っただけで来なくなったり、1年か2年で勉強を中断する生徒も少なくない。
 教室に、今年はワンパクの姿が見えない。ティナもいない。2歳の妹を膝にのせて授業を受けていたジェナリンも、姉のジャネットもいない。「アブセンス」とレティ。10歳くらいになるとここでは一家の立派な稼ぎ手だ。「親に理解がないと勉強を続けることは難しい」。
 95年に、レイナルドやジュリアンと一緒に、ここで学んでいたアリスも、ハイスクールに進学したものの、義父の理解が得られなくて中退した。「アリスもとても優秀な生徒だったのに」とレティは残念そうだった。アリスは今、近くでジャンク・ショップの仕事をしている。  
 やはり進学させたくてさせられなかったアンジーのことが話題になった。彼女が今どうしているか、レティは知らないが、レイナルドが知っていた。「あの子なら1か月前に赤ちゃんを産んだよ。橋の向こうで暮らしているはずだよ」
 一度学校をやめたものの、再び戻ってきた生徒もいる。1年ぶりにパアララン・パンタオに戻ってきたジェニファー(13歳)は、すっかりお姉さんらしい顔つきになっていた。

☆隣人たち

 ジュリアンを息子にしたレメジョスのお母さんは、ときどき学校にきて洗濯や掃除をしている。そしてレティが払う労賃が、レメジョスのお母さんを助けている。彼女の娘のメリージェーンは、ハイスクールを卒業した後、2年間パアララン・パンタオの先生をしていた。もう20歳で、結婚して子どもも生まれたんだという。
 ある夕方、台所ではレティと近所のテリーおばさんと、もうひとりが相談している。こないだ豚を6頭潰した、その分け前の相談らしい。以前、学校で買ってベイビーが世話をしていた豚は、その後テリーの家で彼女の豚と一緒に飼ってもらっていた。豚を買ったもの、世話をしたもの、売買の面倒をみたもの、それぞれいくらかずつのまとまった現金を手にすることができた。
 「ハーイ」と細い手をヒラヒラさせながら、飄々とやってくる痩せっぽちのテリーは、レティにとって心強い友人だ。学校を離れられないレティのかわりに、2か月に一度ずつ心臓病の検査が必要なグレースを病院に連れていってくれるのもこの人だ。「テリーは息子しかいないから、グレースのことをまるで娘のように思ってくれてる」とレティは感謝している。
 隣人たちの協力なしに、この学校は成り立ってゆかない。そして、ここでは誰もが、隣人たちの助け合いのなかで生かされている。
    *    *
 はじめてパヤタスに来たとき、一緒にゴミの山に登ってゴミ拾いを教えてくれたのはジェインだった。もう何年も会っていない。ジャンク・ショップの仕事がうまくいかなくなって、ジェインと夫がドラッグの売買に手を出したという噂だけ聞いていた。
 ある日、ジェイン(37歳)が学校にやってきた。何年ぶりだろう。私を見ると抱きしめてキスしてくれる。深夜までジェインはレティと話していた。とめどないジェインの愚痴をレティは辛抱強く聞いていた。
 ジェインの家には電気が通っていない。それで電気を通して欲しいと頼みに来たのだが、「彼女はお金を払ってないんだ。電気を通すことはできないよ」とレティは困っている。「ジェインは一度夫と別れたが、また一緒に暮らしている。ドラッグはやめたと言ってる。たぶん、そうなんだろう。娘たちはボーイフレンドと一緒に暮らしたり、別れて家に戻ってきたり」

☆ジャパユキごっこ

 ダンプサイト(ゴミの山)にのぼった。山の上にはジャンク・ショップが並び、蝿がわんわん飛び交うなか、コーヒーやパンや煙草を売るバラックの店もある。3ペソで、砂糖入りの薄いコーヒーを飲んだ。疲れているときはこれが意外においしい。
 スカベンジャーたちがゴミを拾う。静かな、不思議に静かな光景だ。空に大きな真っ白な雲がひろがり、雲の隙間から淡い光が射している。
 ゴミの上を母親のところに駆けていく少年がいる。後ろからくる娘を気づかいながら、ゴミの袋を運んでいく母親もいる。
 背中を叩かれて振り向くと、午前中、学校に来ていたメリッサ(11歳)が、カラヘグ(ゴミを拾うためのカギ型のピック)と袋をもって、にこにこ笑っている。これからあっちへ行くの、というふうに、トラックが落とすゴミのほうを指すと、ぐんぐんそっちへ歩いていった。
 トラックが落としたゴミを、ブルドーザーが均していく。「ゴミを拾っていた子が、ブルドーザーに気づかなくて、巻き込まれてしまった」という話をレティから聞いた。その子は両手両足を切断しなければならなかった。「手も足もなくなって、でもまだ生きてる」と、やりきれない顔で言った。こんな過酷な環境のなかで、どう生きていくのだろう。
 ジェナリン(11歳)とジャネット(12歳)にはダンプサイトで再会した。大声で私の名前を呼んで手を振った。
 たちまち何人もの子どもたちが集まってきて、あれこれと話しかけてくるが、言葉がわからない。
 「フィリピン人じゃないの?」
 「ジャパニーズ」と言うと、「ジャパ?」と首を傾げた7歳くらいの男の子が、突然わかった、という顔で言った。「ジャパユキだ!」
 ジャパユキ、という言葉に、子どもたちがはしゃいだ。「ジャパン」は知らないが「ジャパユキ」なら知っている。年長の子が、小さな子を抱えるように私のところに連れてきて、「この子もジャパユキ。連れていって」と言う。
 では私はブローカーだ。差し出された子を抱えて「さあ、一緒に日本に行こうね」と連れて行こうとする私から、小さな子を救い出す、という遊びがはじまった。ひとりが救い出されると、また別のところから、「この子もジャパユキ」と、ほかの子が差し出される。しばらくジャパユキごっこをして遊んだ。
 子どもたちにはゴミの山も遊び場になる。少し離れたところでは、少年たちが拾いあげたリンゴで、キャッチボールをして遊んでいた。

☆グレースの手術

 夜、グレースが絵を描いている。グレースは色鉛筆で塗っていたハートの真ん中を少し塗り残して、「これが私の心臓」だと、遊びに来ていた日本人学生のフミコに説明した。
 グレースの心臓の穴が、少し大きくなっていることが、この前の検査でわかったのだという。国立のハートセンターは1つしかない。心臓に疾患があることがわかった8年前から、レティはグレースの手術の機会を待ち続けているが、順番はまわって来ないし、お金もない。
 「グレースへの寄付を呼びかけよう。少しでもお金があれば、手術も早くなるかもしれない」
 私たちのほうから申し出た。生まれてすぐにゴミとして捨てられながらも、数々の幸運に恵まれてここまで生きてきたのなら、生き抜いてほしい。
    *    *
 2000年3月1日、ゴミの山で大火事が起こった。乾季だからゴミの自然発火の炎が、あちこちであがっているが、それが広がって、山全体が燃え上がるような大きな火事になった。ものすごい煙だったという。
 同じ日、グレースが入院した。ハートセンターのベッドが空いたのだ。留学生の平野君が電話で手術の予定を伝えてくれる。お金が必要なことも。集まった寄付のすべてを急いで送った。
 グレースの入院中、レティはずっと病院で付き添っていた。テリーも一緒にいてくれた。付き添い人のベッドはないので、床の上で自分のサンダルを枕にして寝たという。こんな経験ははじめてだ、と後になって笑った。
 グレースは2度の外科手術を受け、3月の終わりに退院した。その後、疲労でレティが寝込んだが、グレースの術後は良好だ。
 寝込んでしまってすっかり手紙を書くのが遅くなったという、レティからの手紙は5月に届いた。「スポンサーのみなさまに感謝の気持ちを伝えたい。私たちに与えて下さった寛容と献身に対して、何とお礼を言ったらいいのでしょう。私は今回もまた、困難を乗りこえることができました。もう一度言います。本当に、本当にありがとうございます」。
 病院で写した写真と一緒に、グレースが2歳のときの写真も一枚入っていた。裏に「グレース2歳、90年。生まれたときから彼女は先天的な心臓病だった」と書かれている。レティにとっても、グレースにとっても、長い闘いだった。
 レイナルドとジュリアンの手紙も同封されていた。2人ともカレッジ1年の終了試験を無事パスして進級した。成績は「とてもいい、というわけではないが、決して悪くない」と手紙にあった。いい成績だったようだ。

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