2004クリスマスパーティ

大野千英


 12月18日、子どもたちが楽しみにしていたクリスマスパーティーが、午前にパヤタス校にて、午後にエラプ校にてそれぞれ行われました。中心となって企画・運営を行ったのは、レティ先生の息子、Jayさんでした。
 私たち創価大学生5名と静岡からの日本人留学生は、前日の夜からパアラランパンタオに泊まらせて頂きました。当日の朝私たちは6時ころ起きましたが、レティ先生は結局一睡もしなかったそうです。というのも、仕分けのあと、Jayさんが3時ころに帰宅するのまで、彼を待っていたそうです。先生は13日か14日あたりにもほぼ徹夜でプレゼントの準備をしていたと言っていたので、この一週間、だいぶ疲労がたまっているのではないかと思いました。しかし、そんなことはちっとも表に出さず、私たちにはいつも通りの明るく力強い笑顔で接してくださいました。
 当日、レティ先生とそのご家族、先生方のお手伝いをさせて頂いたのは、私たち日本人留学生と、シンガポールからのボランティアの男性一名(2週間ほどパアラランパンタオに滞在)でした。また、普段会ったことのない、レティ先生の孫やひ孫さんたちもたくさんいて、とてもにぎやかでした。

 9時。教室の扉が開かれ、いつもよりもおしゃれをした、元気いっぱいの子どもたちが集まってきました。彼らの表情から、わくわくしている様子がよくわかりました。実はこの日、他の団体によるクリスマスパーティーが他の場所で行われていたらしく、子どもたちは予定していた人数は集まらなかったようです。私が数えたところでは、子どもたちはおよそ60人、保護者が20−30人集まっていました。


 9時半。外のバスケット場にて、パーティーが始まりました。司会はJayさんと彼の友人のアランさん。色々な種類のゲーム(中にはお母さんたちを対象にしたゲームも。)が行われ、また、デイケアとレベル1、レベル2・3・4からそれぞれ代表者によるダンスが披露されました。その後、私たち6名+創価大学生2名・明治学院生1名による、楽器&歌のクリスマスソングメドレーを披露しました。フィリピン人ほど音楽やダンスセンスのない私たちは、みんながのってくれるか不安でしたが、子どもたちや保護者のなかにいっしょに口ずさんでくれている人がいて、とても嬉しかったです。終盤に、韓国人のクリスチャンの方3名がやって来られ、挨拶をし、プレゼントを贈っていました。


UPのICにて、練習の様子。


 そして最後に、各レベルごとにプレゼント(シンガポールからのたくさんの服・今までためておいたおもちゃ・靴、等。20ペソのお小遣いも贈られていたようです)とお昼ご飯をもらい、解散となりました。(スケジュールがきつかったため、お昼ご飯は持ち帰りとなりました。)私たちは、UPの他の日本人留学生にも手伝ってもらった、手作りのミサンガを一人一人にプレゼントしました。全員が帰ったのがちょうど12時ころ。予定通りでした。


その後皆で、私たちが作った日本料理、レティ先生たちが作ったフィリピン料理を食べ、1時過ぎに学校の前からジプニーを貸しきってエラプ校へ移動。

エラプ校では、元の教室の方が今は工事中(2階をつくっている?)で、以前、増設工事中であった左側一階の新しい教室にて、パーティーが開始されました。しかし、どう考えても子どもと親の人数に対して狭すぎるので、最初に行った簡単なクイズ以外は、外の道路で行われました。3−4種類のゲームが行われ、パヤタス校のデイケア・レベル1の子たちによるダンスがもう一度披露されました。外で行ったため、近所の子どもたちもたくさん集まってきて、すごい人数になっていました。Jayさんや先生たちは、生徒と近所の子を分けるのに大変そうでした。


 その後、子どもたちはレベル別に整列させられ、レティ先生による厳しい名前チェックのもと、一人づつ教室に入りプレゼントを受け取り、解散。教室の入り口ぎりぎりまで近所の子どもたちがきていたので、先生方はその子たちをまぎれさせないよう、大変そうでした。私ははじめ、生徒と近所の子どもたちは全然見分けがつかないでいたけれど、よく見るとかなり違いがあることに気がつきました。近所の子どもたちは汚れたTシャツに短パンやサンダルといった格好である一方、生徒たちはやはり、いつもよりしっかりした服装(サンダルではなく靴を履いている、服、等)をしている子が多かったからです。

 全ての生徒と親が帰り、教室の掃除をしたあと、私たちはまたジプニーでパヤタス校へ帰りました。その後すぐに私たちは帰宅の途につきました。昨晩寝ていないレティ先生やJayさんの体調が気がかりでしたが、相変わらず元気な笑顔で私たちを見送ってくださいました。

 正直言って、私たちは演奏した以外は何も役に立てなかったけれど、両校において無事にパーティーが終わったことは私も嬉しかったです。この成功の裏にはレティ先生や他の先生方、そしてその他たくさんのパアラランパンタオを支援している人たちの強い想いがあったのだと、感じました。

 パーティーの3日前、レティ先生に、この学校をやっていて一番嬉しいとき、一番苦しいときはどんなときですか、と質問をしたところ、生徒たちが高校や大学の入学試験に合格したときは本当に嬉しい、資金が無くて学校に必要なものが買い揃えられないときが一番苦しかった、と話してくれました。

 子どもたちの未来にかけるレティ先生の思いは、真剣そのものであり、そんな思いを感じるとき、自分の力の無さが恥ずかしくなります。帰国までの残り2ヵ月半、引き続きパアラランパンタオに週に一度は訪問させていただくつもりです。自分にできることは何なのか、すべきことは何なのかを一歩でも二歩でも深めて日本に帰りたいと思います。


12月26日記述。

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