パアララン・パンタオ滞在記
2006年 7/24(月)〜8/3(木)

山下和子


7月24日(月) 広島発台北経由マニラ着ホテル泊 (略)
7月25日(火) マニラ観光 (略)

7月26日(水)
 朝10時に沖本さんが迎えに来てくださり、パヤタスの「パアララン・パンタオ」に向かう。フイリピン大学を過ぎたところの市場のパン屋さんの前まで、レティ先生が迎えに来てくださる。優しそうな方でにこやかに挨拶をされた。私も自己紹介をする。
 ゴミ山のそばにある「パアララン・パンタオ」に着く。ゴミ山は1ヵ所ではなく何ヵ所もあるがどれも大きい。草などが生えているゴミ山もある。スカベンジャーの人たちが働いている。2女のジェインさんがお昼を用意してくださり、みんなで昼食をいただく。とてもおいしい。子供たちは3クラスに分かれて授業をしていた。

パアララン・パンタオ(パヤタス校)
 フィリピン・ケソン市パヤタス地区のゴミ山の麓にある学校。貧困や出生証明がないなどで学校にいけない子供たちのために地域の住民組織が1989年から運営している。現在100人の生徒が勉強をしている。校長はレティ先生。学校はレティ先生の住居でもある。

(エラプ校)
 2000年にゴミ山が崩れ、たくさんのスカベンジャーの人が犠牲になるという事故が起こった。パアララン・パンタオに通っていた子供たちにも犠牲者が出た。その時、政府が強制立ち退きをさせ、他の場所に移った人たちがいる。
 しかし新しい場所に移った彼らはゴミ山がないため、お金を得ることができず、子供たちも学校に行けない。そのことを知ったレティ先生がスイスのNGOの援助を受けて2003年に設立した学校。3階建ての予定だが、3階はまだできていない。つい2週間前に屋根ができた。
 レティ先生の長女マリリンさんが代表をされ、現在200人の生徒が勉強している。

 昼食後、エラプ校を案内していただく。
 今日の給食と同じスープをいただく。赤いウインナーと野菜のスープ。おいしい。
 子供たちは1ペソ(2円)学校に毎日もってくる。0.5ペソが学校の維持費、0.5ペソが給食費。そのお金も出せない家があるが、それはそれで仕方ないといわれる。一人1ペソでは全く足りないけれど、ただで学校に行って、給食も食べるという意識を変えたいと言われていた。
 エラプ校から帰る途中、沖本さんと別れる。レティ先生がしっかりお世話しますから安心してくださいと言われる。ありがたいことです。
 学校に帰りすこしすると、今日の授業が終わり、子供たちや先生が帰って行かれた。その後とても静かな時間が流れる。


エラプ校近くで

レティ先生の家族の紹介
・レティ先生 66歳 (夫と死別後パヤタスに移り住む。3男2女のうち4人は独立)
・末息子のジェイコーベン (12月26日に結婚予定) 29歳
・孫娘のローレイン (学校の関係でレティ先生の家から通っている) 14歳
・クレイルアン (レティ先生のひ孫) 7歳
・メアリーグレイス (ゴミ山に捨てられていたのをレティ先生が養女として育てている) 17歳
 以上の5人家族です。

 夜、停電になり、ろうそくを使う。(停電でなくてもろうそくを使うことは多かった)。夕食はおいしいスープと肉料理とごはん。
 音戸中学校や3−Aの生徒の写真、授業風景、富士山、原爆ドームなどを見てもらいながら、いろいろ話をする。
 夕食後日本からもってきた抹茶を飲んでいただく、が、不評。子供たち3人は飲もうとしない。抹茶に添えて出したお菓子は気に入ってもらった。
 水を浴びてさっぱりする。(大きな水桶から柄杓で汲んで洗う)。トイレは水を柄杓で流すやり方の水洗トイレ。とても快適。
 10:00就寝。レティ先生が蚊帳をつってくださった。おかげで気持ちよく熟睡できた。ここにはマラリヤ蚊やデング熱の蚊はいない。それらの蚊は水のきれいなところに生息するらしい。1度夕方蚊にかまれた。レティ先生が蚊取り線香をたいてくださっているが気をつけよう。

7月27日(木)
 朝6:40 起床
 子供たちは7時くらいから母親や父親に連れられてドアの外で待っている。
 7:15頃、エルサ先生、メリージェーン先生が来られ、子供たちも教室に入ってくる。「Good morning」と言いながらひとりずつ頭をなでしっかり挨拶した。みんなはずかしそうにしていたがうれしそうだった。先生が黒板をセッティング、教室ができていく。午前中は2クラス。小さな子ども達の時間。英語のアルファベット、大文字小文字の練習、英単語、自分の名前の練習、1から9までの数の練習、フィリピン語の勉強。
 教科書がないので、先生が黒板にかかれるのをみんながノートに写して勉強する。先生方はものすごく小さいチョークを使われている。チョークをもってくればよかった。
 私も一緒にそばで教える。日本のラジオ体操を紹介した。とても好評だった。
 9:00 ブレイクタイム。みんな学校の売店で1ペソ出して好きなお菓子を買って食べる。何を買っても1ペソにしてあるみたいだ。子供たちはメンコやケンケンをして遊んでいる。その後手洗い指導。そして15分のスリープタイム(寝ている子はいないが静かにしている)それからまた11時まで勉強。トイレは外。

 11:00 給食。先生が給食室から教室に持って行かれ、みんなそろったらお祈りをして食べる。飲み物は水。迎えに来ているお母さん方も準備を手伝ってくれる。
 今日の給食メニュー。鶏の骨付き唐揚げ1本、ごはん、水、バナナケチャップ(これがおいしい)。
 給食係のディナさんによると毎日メニューは違うそうだ。ご飯を食べ終わった子から食器をディナさんに渡し家に帰る。
 ディナさんと後片付けをする。ディナさんは少ない水で上手に手際よく洗われる。ディナさんは17歳から2歳まで5人の子がいる。旦那さんは体をこわして働けないので2歳の子供を見てくれている。子供たちはみなスカベンジャー。自分も学校が休みのときはスカベンジャーをしているといわれた。朝6時から夜6時まで働いて100ペソ(200円)の収入。(ここの先生も生徒も学校がないときはみなスカベンジャーです)
 4月5月が一番暑く、6月から9月までが雨季。後は雨がない乾季。フィリピンは2シーズン。いろいろな話をしながら手伝う。
 12:00くらいから午後の生徒が来はじめ、来た子から給食を食べる。

 1:00から午後の授業開始。午後のクラスは大きい生徒の時間。最年長は15歳。3クラス。しかし先生は2人だから私も1クラスをしっかり手伝った。英語の聞き取り、12桁までの九九の暗唱、3桁と3桁の足し算を教えた。子供たちは行儀がいい。英語の聞き取りでは私の発音がみんなと違うところがあるので生徒はとまどっていたが、変な顔もせず勉強してくれる。ノートを見て○をつけると必ず「Thank you」といってくれる。私語もしない。黒板に問題を書くと黙々と取り組む。「○」をつける習慣がないようで、私がノートに○をすると、「ここもここも」といってみんな○をほしがる。3重丸をつけたら歓声があがった。他の先生は点検したら自分のサインをされる。
 3:00 ブレイクタイム。みんな売店でお菓子を買ってくつろいでいる。先生方もコーラを買って飲まれているので、私も1ペソ(2円)でチョコを買って食べた。飲み物はコーラとミリンダだけ。休み時間に男の子はドラゴンボールの絵を上手に描いていた。ゴミ山で見つけたのだろうと思われる漫画の切れ端を持っている。
 5:00 机、黒板を隅に片付けて学校終了。教室は私やレティ先生の寝室となります。

 また静かな時間がはじまった。台所でコーヒーとクッキーをいただく。
 レティ先生の台所はとても清潔。鍋もガスコンロもぴかぴかに磨いてある。ガスは高くて一般的ではなく多くの家は薪を使う。ゴミ山から拾ってくるのだという。夕飯前にエラプ校のマリリンさんが来られ一緒に夕飯をいただく。
 今日の夕飯 野菜スープ ウインナー(赤い色をしていて、甘く味付けする) ご飯 水 とてもおいしかった。
 食後、マリリンさんにお抹茶を飲んでいただくが、やはり不評。
 水を浴び、さっぱりする。
 そういえば今日はパラパラと雨が降るくらいでいつもの大雨はなかった。
 今日の4時頃、大場さんが来られると聞いていたが来られなかった。レティ先生に聞くと、途中にトラブルがあったのだろう、明日の朝にはこられるだろうとのことだった。
 今日も1日平和に穏やかに時が過ぎていった。
 9:00 就寝

 大場さんについて
 広島の廿日市で24年間中学校の社会科の教師をされていたが退職され、フィリピンで植林の仕事をされている。パヤタスから片道6時間車で山に入った山岳地帯に住んでおられる。奥さんはフィリピンの方。私がパヤタスに来ることをレティ先生から聞かれ、わざわざ会いに来られる。

7月28日(金)
 6:30 起床。今朝初めて息子さんのジェイコーベンさんに会う。毎日朝早く仕事に行かれ夜遅く帰ってこられるので会えなかった。とても感じのいい青年で礼儀正しい。Eメールで連絡をとった人です。
 7:30 学校が始まる。生徒に混じって何と大場さんが来られた。
 昨日ここに来る途中銃撃戦に遭い身動きが取れなくなったので、昨日は安いホテルに泊まって今朝早く来たとおっしゃる。バスの運転手は殺されたとか。強盗に旅行者やフィリピンの人が襲われることはしょっちゅうあるといわれる。治安は悪いところだ。
 レティ先生と一緒に朝食をいただきながら植林の話、ご自分でつくられた幼稚園の話など写真を見ながら説明を聞く。フィリピンはあと30年もすると森林は全滅するそうだ。そうさせないために植林に残りの生涯を捧げておられる大場さんはすごい。靴がとても貴重、特に子供靴は手に入らないらしい。大人が1日働いて150ペソ(300円)、子供靴は200ペソするという。
 国泰寺中学や可部中学の生徒が体育館シューズを寄付してくれたのでそれを売ったお金でたくさん苗木を買い、その森を「国泰寺の森」「可部の森」と名付けられているということでした。1度も靴をはいたことのない人もいて、とても喜ばれたそうです。
 私が持ってきたうちの子のお古の長靴を差し上げたら、これで20本の苗木が買えると言われ、喜んで持って帰られた。今まで6年間に植林された数は16万2000本。退職金を全部つぎこみそれでも足りないので今はNGOの支援を受けていると言われた。あと5年もすれば、村のみんなが十分使うだけの薪が確保できると言われた。ガスはあるがとても高いのでまだ薪が一般的。ラタンで編んだかごをいただく。
 抹茶を飲んでいただいたら、とてもおいしいと言ってくださった。本当にもってきてよかった。そしてすぐに帰られた。
 「遠来の抹茶うれしくほろ苦く 新たな勇気いだきて北へ」
 後日、大場さんからいただいた手紙の中に、そのときの気持ちが歌にしてありました。

 大場さんが帰られた後、教室に戻って授業に参加。今日はマリーベルさんとマルサさんが来ている。二人ともここの卒業生で、この学校から奨学金をもらって高校と大学に通っている。だから自分の学校が休みの時は手伝いに来ているとのこと。
 金曜日の午前は歌と遊戯と図工の勉強。マルサさんが図工用に色紙をいろいろ切って、それをみんなが貼り絵をして汽車をつくっていたので、私も鶴を折ったところ「欲しいほしい」と大騒動になって、泣く子も続出。授業が中断した。月曜日には必ずみんなにあげるから今日はおしまい、ということで子供たちに納得してもらい、泣いている子たちをなだめた。午前中の子供たち分50個つくらなくては。
 今日の給食。かぼちゃスープ ウィンナー1本 ご飯 水。かぼちゃは日本のほうが甘いように感じた。
 昼休憩に先生方と折り紙講習と日本語講習をする。フィリピン語と日本語の母音は、ともにaiueoで発音が同じ。
 baka(うし) susi(鍵) suki(客) lalake(男の子) babae(女の子) ako(私) kaba(脈)
 午後の授業は昨日と同じ、大きな生徒のクラスを手伝う。
 毎週金曜日は大掃除のため授業は4:00で終わり。その後は大掃除。机いす、黒板、床、窓、どこもきれいに水拭き。子供たちは実にてきぱきとよく働く。みんなの動きの良さに感動してただ見ている。マリーベルさんが帰るとき、またここに来てください、山下さんに会えてとてもうれしい、といわれた。
 5:00 学校終了

 みんなが帰るとまた静かな時間が流れる。台所でコーヒーをいただく。レティ先生の犬は昼間いつも寝ている。先生に聞くと夜起きて不審者を見張っているそうだ。
 学校の前の道路を24時間大きなトラックが通る。全部で450台あるそうだ。どのトラックも鈴をつけている。通る度にすごい音と鈴の音がする。
 ドライバーは12時間労働で1日300ペソ(600円)。
 生ゴミの匂いは1日のうち何回かするが思っていたほど気にならない。蝿はすごく多いが気にならない。家中ヤモリがいる。はじめは何がちょろちょろするのかとびっくりしたが、そのうち気にならなくなった。レティ先生のうちはとても衛生的であるが、窓からほかの家を見ると、家の中にもゴミ山から集めたゴミがたくさん積んである。晴れ間が出ると一面紙類を並べて干している。濡れていたらバイヤーが買ってくれないから乾かして売るのだ。
 フィリピンの人は出かけるときに水を浴びて、頭も洗ってさっぱりとしたこぎれいな服に着替えて出かける習慣がある。だから学校に来る子どもたちも先生もみんな来たときは髪が濡れている。子供たちを抱き寄せて「Good morning」と言うと、プーンと石鹸の匂いがして感じがいい。服もさっぱりしたものを着てくる。ゴム草履をみんな履いているが、中には靴を履いている生徒もいる。私のカメラや電子辞書を見ても触ろうとしない。人なつっこいが日本の子のような変ななれなれしさはない。節度があってとてもいい。それなのに先生方は、ときどき黒板や机を叩いて指導される。
 ここに来て感じること。それは時間がゆっくり過ぎていくことだ。道を歩く人もゆったりしている。
 今日も平和な1日だった。
 10:00 就寝。

7月29日(土)
 6:30 起床
 7:00 エルサ先生が来られる。ラジオ体操を広めにエラプ校に行くことになっていたが、こんなに早いとは思わなかった。レイナルド先生も来校。
 8:00 レティ先生と私と4人でエラプ校に行く。エラプ校に着くとレティ先生が町を案内してくださる。写真はだめ。ボランティアで大学生がジプニーに乗ってたくさんやってきて集会所などで子供たちに勉強を教えている。毎週行なっているそうだ。いいことだ。ここの住居は政府が建てた建物だからセメント造りできれいだ。パン屋さんからいい匂いが漂う。久しぶりに今日は晴れ。
 エラプ校に帰ると先生方や近所の人たちや子供たちも集まって、ラジオ体操を2回繰り返す。とても好評。みんなで覚えて学校だけでなく地域にも広めるそうだ。そういっていただくととてもうれしい。そのあと、音戸中の生徒が寄付してくれた鉛筆をプレゼント。みんなで記念写真を撮る。レティ先生が1人鉛筆2本ずつと消しゴム1個を渡してくださる。みんなうれしそうだった。においのある消しゴムをもらった子がずっとにおっていたのが印象的だった。
 みんなで昼食をいただいた後、抹茶を披露。やはり不評。
 12:00 パヤタスに帰る。
 帰る途中コカコーラの瓶にガソリンを入れて売っている簡易ガソリンスタンドがいくつもあった。夕方レティ先生がゴミ山の近くまで連れて行ってくださり写真を撮らせてくださる。ビリヤードができるところがあって若者たちが遊んでいた。学校の2軒下のお店でビーフヌードルを買う。その店の子供も2人「パアララン・パンタオ」の生徒だった。私を見てすぐ抱きついてきた。
 ここの人たちは毎週土曜日が洗濯の日。1週間分の洗濯をして家中に干す。今は雨季で時々すごいスコールがくるから外には干せない。すごい量の洗濯物が部屋のいたるところに干してある。学校に戻ってくつろいでいると、娘のジェインさんが3人のお子さんとご主人と一緒に来られた。明日7月30日はジェイコーベンさんの30歳の誕生日だからそのために来られたのだろう。夕方ジェイコーベンさんも仕事から早く戻られた。今日はにぎやかな夜になりそうだ。
 食事までの間、孫息子のアチバルド君に学校の様子を聞く。

 アチバルド君は14歳。日本が大好きで、はしも上手に使える。味付けのりが大好き。
 学校の科目 英語・数学・理科・社会・体育・コンピュータ・国語(フィリピン語)・音楽・技術の9科目。学校は7:00〜12:30 家に帰って食事 13:30〜17:00に終わる。その後は宿題。夜11:00就寝。テレビは土曜日のみ。
 4月5月が夏休み 新学期は6月から。
 とても礼儀正しく穏かで賢そうな少年だった。

   ジェイコーベンさんに教師の社会的地位を聞いてみた。特に社会的に高いということはないそうだ。レティ先生が学生の頃には公立のほうがしっかりした教育をしていたが、今は社会情勢がよくないので私学の方が教育内容はいいそうだ。1990年以前はパヤタスの人は教育の重要性に関心を持たなかったのでレティ先生が一軒一軒まわって教育の重要性を説いたが、今はみんな教育の重要性がわかっている。一般に先生の給料は安く、公立小学校の先生が月に1万ペソ(2万円)くらい。いい学校を出た人は給料のいい他の国へ行くらしい。これは(かつて訪ねた)エチオピアも同様だ。パアララン・パンタオの先生の給料は3000〜6000ペソ。

 ジェインさんのご主人は軍人で、醤油と日本酒が好きと言われていた。フィリピンの人は特別な日以外はアルコールを飲まない。今日はいつもより遅い夕食ですが、たくさんの人と一緒に楽しく食べました。ジェインさん一家は床に敷物を敷いて、5人が寝ておられる。私は簡易ベッドに蚊帳を吊って寝かせてもらっている。申し訳ない。
 今日も楽しかった。
 10:30 就寝。


エラプ校・2階のテラス

7月30日(日)
 8:00 エルサ先生とレイナルド先生が迎えに来てくださる。
 いつもはレイナルド先生が1人で一週間分の給食の食材を買いに行かれるのだが、私も是非ついて行きたいとレティ先生に頼んだので、護衛にエルサ先生も同行されることになった。ジプニー乗り場まで歩いて行き、ジプニーに7、8分くらい乗ると市場に着いた。ジプニー代7.5ペソ(15円)を渡してもレイナルド先生は受け取らない。フィリピン人はゲストからお金を取ることはしない、これが文化なのだと言われた。
 とても大きな市場である。写真が撮れないのが残念。
 エルサ先生がスリにねらわれないように私にぴったりくっついてくださる。豚肉コーナーに行く。両側50メートルくらい豚肉のあらゆる部位がぶら下がっている。耳・鼻・肝臓・脚・腸 大きなまな板の上で注文に応じてスライスしていく。こんなにたくさんの肉が1日で売れるのかときくと、売れるということだ。すごい。
 卵、鶏肉、魚、乾物、雑貨、金物、服、草履、文房具、果物、食品、ありとあらゆるものが売られている。バナナはすごい量が山積みされ、みたことがない果物があった。アボガドが日本の2倍くらいある。白豆で作ったプリンのようなものを桶に入れて売っていた。子供が買ってもらい食べている。甘くておいしいらしい。非常に活気がある。
 フィリピンに来て妊婦さんによく会う。市場もたくさんの妊婦さんが子供連れで買い物をしている。エルサ先生に聞くと学校に行かない人は17歳くらいから結婚して12人くらい子供を産むそうだ。生存率もそんなによくはない。若いカップルをよく見るので、離婚も多いのかと聞くと、法律で離婚はできないそうだが、別れることはできるので、家庭崩壊もあるし、何度も相手が変わるということもあるということでした。
 マイクをもった人がスリに注意をするようにと呼びかけていた。
 そういえばココナッツの木がたくさんある。学校の周りにもたくさんある。給食にもココナッツミルクでご飯を炊いた料理があった。
 市場からの帰りはサイドカー付きのオートバイに乗る。
 サイドカーに荷物とエルサ先生と私、オートバイの後ろにレイナルド先生が乗る。どの車もすごい音と排気ガス。サイドカーはガムテープでたくさん修理がしてある。乗ってみたいと思っていた乗り物に乗れて感激。
 10:30 到着。コーヒーをいただく。
 家中に干されていた洗濯物がきれいに片付いていた。買ってきた魚と鶏肉をレイナルド先生とエルサ先生がたらいで洗っているそばで、フィリピン語を教えてもらう。この学校の名前「パアララン・パンタオ」とはフィリピン語で「みんなの学校」という意味でもあることがわかった。
 注(Humane school, Human school, People's school等と訳される。最近はPeople's schoolと訳すことが多い)
今日はジェイコーベンさんの誕生日。4時頃にはレティ先生の子供さんが全員集まってお祝いをする。すごい人数です。ジェイコーベンさんが婚約者の人を紹介してくださる。きれいな人です。料理も特別メニュー もちろんワイン ビールもある。どの料理もとてもおいしかった。家族の誕生日にこうしてみんなが集まってお祝いをするというのはいいですね。
 7時頃みんな帰って行かれた。ジュリアンが後片付けをしている。
 ジュリアンは24歳。レイナルド先生と一緒にこの学校の奨学金を受けて、大学まで行った生徒。レティ先生を助けて、実によく働き、いつも笑顔で感じがいい青年だ。パーティの後片付けをすませ、グレイスの学校の準備を手伝ってやり、9時に帰って行った。
 水浴びをしてさっぱりする。
 今日は昼からずっと雨。
 10:00 就寝。

7月31日(月)
 6:30 起床。
 いつものように7時過ぎには子供たちが集まってきた。今日は朝から雨。
 今日もジュリアンは朝早くから来て学校の修理をしてくれる。
 午前の部はアルファベット、大文字、小文字、英単語、フィリピン語、自分の名前の練習、女の子と男の子の持ち物の名前の勉強。みんな手を挙げてよく発表する。
 3歳のジョジョは甘えん坊で私を見たら抱っこ抱っことせがむ。私の膝の上に座ったら満足して動かない、全く勉強する気もない。
 今日の給食。ポーク、ご飯、水。
 給食がすんでみんなが帰るとき金曜日に約束した鶴を一人ずつプレゼントする。最後に息を入れて鶴がふくらむところがいいようだ。約束が果たせてよかった。
 午後の休憩をとっているとき、教室の中に物乞いの女性が入ってきた。私に金をくれという。レレットさんが1ペソ渡したら帰って行った。こういうこともあるのだ。
 午後の授業は英語の書き取り、3桁と3桁の引き算、理科、フィリピン語。
 引き算がよくわからない生徒が私のそばに来て教えてくれというので一緒に勉強する。ゆっくり10問解いた。全部解けた。最後のほうはやり方がわかったみたいで目が輝いてきた。
 理科の授業はついていけない。草食動物と肉食動物の違いと種類を説明されている。
 フィリピン語の授業は私も一緒に勉強する。生徒より大きな声を出して黒板の字を読むものだからメリージェーン先生が笑われる。
 レティ先生が音戸中の生徒がくれた鉛筆を2本ずつ配ってくださる。
 5:00 いす机、黒板を隅に寄せて終わり。

 夕食後色紙でチューリップのブーケを作ってレティ先生にプレゼントした。ローレインとクレイルアンがそばでずっと見ていて、できあがったら拍手をしてくれた。台所の壁に貼ってくださる。
 今日もいい1日でした。
 水を浴びて10:00就寝。

8月1日(火)
 今朝は5時半にジュリアンが来て何か忙しそうにしている。
 7時15分、甘えん坊ジョジョが私を見つけるとぴったりくっついて離れない。メアリーはお母さんと別れるとき涙が出ていた。マイケルは出生届けがないので公立の学校には行けないらしい。この学校でがんばってね。
 何人かの生徒が昨日の鶴をちやんと持っているよ、と鞄から出して見せてくれる。
 10時になったのでジュリアンと一緒に町の本屋さんにフィリピン語の辞書を買いに行く。万が一のためにレティ先生の電話番号とジェイコーベンさんの携帯番号を持たせてくださる。
 95ペソ(190円)で辞書があった。マクドナルドで昼食をとりながら、ジュリアンが、みんなマダムを好いているからまた来てください、と言ってくれる。うれしい。今度来る時にはもう少し込み入った話ができるように英語を勉強しておこう。社会情勢のことや若者が抱えている問題やいろいろな分野の話をしてみんなの考えをもっと知りたい。
 マクドナルドの店の中もライフル銃を持った警備員が2人うろうろしている。本物のライフル銃だ。
 久しぶりにすごい雨の中ジプニーを乗り継いで1時に帰る。途中ジュリアンの家の前を通る。後で聞いたのだが、ジュリアンは小さいときに両親が離婚、育ててくれた祖父母が死んだ後、この家に引き取られて育てられているのだという。いろいろ複雑なのだなあ。自分の生活だけでも大変なのに、孤児を引き取って育てるという、ゴミ山の人たちの心の中にもう少し入っていきたい。

 午後の授業は昨日の復習と3桁と1桁のかけ算。
 チョークが小さすぎて書きづらいが、楽しく授業ができた。時間が余ったので日本のことを少し話す。後半はメリージェーン先生のクラスに代わって1から9までの数の概念を教える。生徒はよく発表する。一人の男の子がふざけて黒板の絵を少し消したので「ノー」と言ってにらんだら泣いてしまった。泣かす気はなかったのに。
 エルサ先生が、昼からのクラスは3クラスなのに教師が2人だから生徒がだれるけど、山下さんのおかげできちんと落ち着いて授業ができると言ってくださった。そう言ってもらえるとうれしい。

 放課後、本屋に連れて行ってくれ、昼ご飯もご馳走してくれたのにお金を取ろうとしなかったジュリアンに、お礼のつもりで抹茶を飲んでもらう。なんと「おいしい」と言って2杯飲んでくれたので、お茶の道具一式プレゼントした。とても喜んでくれた。よかった。日本から持ってきた甲斐があった。
 6時ごろジュリアンが帰ったあと、グレイスとローレインが帰ってきたので夕食にする。今晩のおかずはジュリアンが作ってくれた豆の煮込みとディナさんが作った給食の残りのミ・ヌードル。両方ともとてもおいしい。
 いよいよ明日は「パアララン・パンタオ」を離れる。色紙、ラジオ体操のカセットとCD、お金を学校のために使ってもらうようにレティ先生に渡してお礼を言う。
 あっという間の1週間だった。
 9:00 就寝。

8月2日(水)
 6:40 起床。
 朝食にビビンカをいただく。日本の蒸しパンに似たパンで甘くてとてもおいしい。
 ジェイコーベンさんとお別れの挨拶をする。またEメールで近況報告をしましょうと言われた。
 7:30 学校がはじまる。
 今日が最後なのでみんなでラジオ体操をする。今日の午前中の生徒は30人だ。給食係のディナさんは時計をもっていないのに実にタイミングよく食事の仕度をされる。時計なんかなくても今何時かわかるそうだ。フィリピンの人は日本人とは逆向きに包丁を使う。皮をむくときは外側に刃をもっていく。日本のように内側にすると腕を切るから外側の方が安全でしょと言われた。その通りだ。しかし私はできない。
 今日の給食。モンゴー(豚肉と野菜の炊き合わせ)、ご飯、水。

 12:00 沖本さんが迎えに来られる。パヤタスの人たちに別れの挨拶をする。レティ先生がおみやげを持たせてくださる。涙が出る。ジュリアンが私に手紙をくれた。ありがとう。(以下略)


山下さんは広島県で中学校の先生をされています。
2006年8月記 

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