パアララン・パンタオについて

 フィリピン、マニラ首都圏のケソン市パヤタス。ここに首都圏のゴミ処分場のひとつがあります。もうすでに30年以上、毎日千トンもの首都圏のゴミが、分別もされず、野積み状態で捨てられ続けています。ゴミ山の麓には、貧しい人々の集落が広がっています。数千人もの人々が、リサイクル可能なゴミを拾い、それを転売することで家族の生計をたてています。
 乾季には猛烈な暑さと煙のなかで、雨季には乾季以上に大発生する蠅と蚊に襲われ、ぬかるんだゴミをかきわけながら働きますが、得られる収入はほんのわずかです。14歳未満の子どもの立ち入りと労働が禁止される以前は、ときには5歳ほどの小さな子も、家族と一緒に働いていました。


ゴミ山で働く少年たち 1994年

 そのゴミ山の麓の集落のなかに「パアララン・パンタオ」という小さな学校があります。貧困や出生証明がないなどの事情で、教育の機会を失っている子どもたちのために、レティ先生がはじめた学校です。
 レティ先生ことレティシア・B・レイエスさんは、1942年6月13日、フィリピン・ルソン島のカバナトゥアン市に生まれました。ホセ・リサール大学を卒業後、結婚して5人の子を育てました。夫が亡くなった後、1982年に親戚をたよってパヤタスに移住。そのころパヤタスは郊外の自然の豊かな土地でした。ところがその半年後からゴミの投棄が始まり、次第にゴミを拾って暮らす貧しい人びとの集落ができていきました。レティ先生は隣人組合を組織し、地域住民のために活動することになります。1987年から地域の子どもたちの教育に取り組み、1989年にゴミ山のふもとにパアララン・パンタオを開校しました。


パアララン・パンタオ 1994年

 パアララン・パンタオは、直訳すると「人間の学校」という意味です。「ここの子どもたちも人間だと言いたかった」とレティ先生は言いました。「ゴミ山の子どもたちは忘れられていたし、教育を受ける機会もなかった。でも人間としてのすばらしい可能性を持っている。その可能性を開くための私たちの学校です」と。英訳はSchool for humanity。私たちは「思いやりの学校」と訳しました。

 2000年7月、パヤタスのゴミ山が崩落して集落を埋め、数百人もの死者が出るという大惨事がありました。その事故のあと、多くの住民が隣の州の再定住地に引っ越していくと、レティ先生はそこにも学校をつくりました。


パアララン・パンタオの生徒たち 1998年

 現在、パヤタス校とエラプ校の2校に、毎年300人ほどの子どもたちが通ってきます。先生は7〜10名ほど。パヤタス地域、エラプ地域の、貧困世帯の子どもたちへの学習支援に取り組んでいます。学習内容は、小学校にあがるための幼児教育と、就学適齢期の子どもたちへの初等教育です。


レティシア・B・レイエス先生 2007年


図形の学習 パヤタス校 2009年


教室で エラプ校 2013年


夏休みのキャンプ 2014年


☆ 資料

  パアララン・パンタオ物語の歩み

  アジア人権賞授賞式(2007)でのレティ先生のスピーチ原稿

  


☆ 地球が舞台(ニュースレター)

☆ 紹介ビデオ

☆ 写真 パヤタスの子どもたち

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