宇田和弘さんのHeart Stream とその思い出」
    
宇田和弘さんのプロフィール
Heart Streamの高校時代からの大先輩。洋楽業界では誰もが知るライターです。フォーク・ミュージック・ファンでCDの解説文の最後に"宇田和弘"の名前を目にしな い人はいないでしょう。もちろんPP&Mのアルバムでも。1歳だけ年上ですが、常に音楽の新しい世界に導いてくれる"大先輩"。そしてアコースティック、エレクトリックの両方を自在に操る現役ギタリスト&シンガーです。



Heart Stream”のハイスクール・コンフィデンシャル        

宇田和弘


  ずいぶん昔の話ですが、ギターはとても大事な楽器だったけれど、みんなハード・ ケースなんかには入れていませんでした。それはハード・ケースに入れるような大層なギターなど、誰も持っていないからで、良くて薄っぺらなソフト・ケース。ひどいのになると裸のままネックをわしづかみにして、あちこちにぶつけながら通ったものでした。どこへ?  もちろん学校です。そう、ギターを持って高校に通うのが日課でした。思えば、なんとも鷹揚な高校生活を送ったように思います。木造モルタル作りの校舎の階段の真下にあった物置がそのまま部室になっていて、そこで昼休み、放課後はもとより、暇さえあればギターを弾いて歌っていました。スリー・フィンガー・ピッキングをモノにしたときなど得意満面で、弦が切れるまで「ドント・シンク・トワイス、イッツ・オールライト」を弾きました。なぜ弦が切れるまでかというと、誰もスペア弦など持っておらず、弦が切れた段階で弾き続けることが不可能になったからです。のんびりしてましたね。  

 部活の名称は「軽音楽同好会」と言いました。当初はクラシック・ギターとかハワイアンなどから始まったそうですが、次第にビートルズやGSなどの“エレキ物”が頭をもたげ、間もなくフォーク・ソングが主流になりました。じつはフォークは(声を大にして自慢しますが)ぼくの所属していたグループが始めたのです。男3人だっ たものですから、キングストン・トリオの曲が中心。しかしスリー・フィンガーを覚えたことによって、ピーター・ポール&マリー(長いので以下、PPMと略します)が演りたくてたまらず、強引にレパートリーに入れ、さらにウケ狙いで、フォークルなど日本語フォークにも手を染める、スケベ心丸出しのバンドでありました。お蔭様で女子生徒様から、心のこもった各種貢ぎ物を頂戴する栄誉にも預かりました。以来そのような栄光の時代は、2度とやって来ません。  

 それはともかく、現
“Heart Stream”の河谷君、河内君、晴美さん、山中君と会ったのもそんな頃です。要するに、彼らは1年後輩として「軽音楽同好会」に入ってきました。PPMをやるというので、「おお、心意気だけは大したものだな。しかしな、そもそもPPMというものにはスリー・フィンガーという、エラく難儀な障害があって、キミらには…」、と言うそばから、ぼくより遥かに上手いスリー・フィンガーを弾くのです。こいつらは“敵”だと思いましたね。 当時はグループ名は無かったように思います。メンバー全員、わりと小柄なものですから、中学生のバンドのように見えましたが、歌も演奏も素晴らしかった。よく覚えているのは、彼らが文化祭のステージで"Monday Morning" を歌ったときのことで、この曲は確か16歳で結婚しようとする娘を諌める内容ですが、それを16歳の本人たちが歌っているのが面白かった。いや、面白かったというより、目を閉じて聴いてみると、しみじみと、しっかり歌詞を歌っているんですね。ある意味で、これは60年代後半の高校生バンドが可能なワザではないわけです。身を乗り出して聴いたのをよく覚えています。
 
 余談になりますが、これを聴いてぼくのグループの他の2人が本格的にPPMを演りたくなってしまい、実際に女の子をメンバーに入れて演奏したことがあります。 「じゃ、オレは何をやるの?」ときいたら、「ベース弾いてろ」だってさ。失礼だよね。ともかく彼らの衝撃は大きかったわけです。だから彼らが、30年ぶりに活動を再開したことを、とても嬉しく思います。こんどは
“Heart Stream”とちゃんと名前もついています。もうこの歳ですから、敵が増えたとはもちろん思いません。  
 
 2002年の10月、彼らの初めてのライブハウスでの演奏は、ぼくのプロデュースという名目でしたが、ぼくはバンドスタンドのソデから、いちオーディエンスとして聴くだけで満足でした。実際、彼らの演奏をもう一度聴きたい一心で、その企画を進めたのでした。プログラムが進むにつれて、いろんなことを思い出しましたが、アンコールで「時代は変る」が歌われたとき、彼らの演奏はモダン・フォークやPPMというスタイルの再現でなく、あの時代の“イノセンス”を、確かにその場に蘇らせていました。歌が歌い継がれる瞬間とは、こういうことを言うのだと思います。PPMのカヴァー・バンドは、世界中にたくさんいるはずですが、
“Heart Stream”がその点において屹立しているのは確かです。同窓の上級生として、また友人として、誇らしく思います。

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1969年 文化祭ステージでの "Monday Morning"


PP&M カバーバンド
 コピーバンド
 ハート・ストリーム