自己紹介


  1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された時、私は学徒動員で爆心地から2.5キロ離れていた工場で働いていました。 15歳でした。 さいわい、建造物の影の中にいたので、火傷はありませんでした。 九死に一生を得ました。戦後日本に、有史以来人類が持ったことのない平和憲法が制定されました。 
  ところで、わたしは広島大学在学時代にR.H.ブライスの俳句という著書に遭遇しました。驚いたことには、彼は戦争中に外国人収容所で俳句の英語訳の仕事に没頭していました。私は彼の俳句の英語訳に大変興味を覚えました。そして私も俳句を英語で書いたり、彼のように俳句を英訳してみたいと思いました。しかし当時私には夢も同然でした。 それからおよそ30年後、若い時代にR.H.ブライスや俳句について思ったことを思い出し、夢のように思った仕事に取り組み始めました。  1995年に、句集 ”わたしのヒロシマ俳句 ” を出版しました。 偶然にも、ちょうど戦後50年に当たる年でした。 そして私はロンドン大学で開催されたノーモア・ヒロシマ会議でヒロシマ俳句の講演をしたり、英国のあちこちで講義をする機会に恵まれました。