平成18年3月31日をもって停年退職いたしました。このminminminは完結しました。
新しく「隣淋凛(りんRinリン)を開設しました。退職後の痕跡を、またヘタな川柳とエッセイで綴ります。こちらも見て頂ければ幸いです。
ありがとうございました。(2006.7.10)
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堺屋太一さんの本に、人生を四季にたとえて記述しているところがあり、「うん!そのとおりだな」と共感した。内容を要約すると、
−−現在の人生80年時代に四季を当てはめると、20歳前後で学校を卒業するまでが冬の時代、草木が大地に根を張る様に、真面目に地道に勉学に励む。20歳から40歳までが青春時代。結婚をして家庭を整えて、この時期に風雲を求めて飛躍するチャンスを狙うべきだ。40歳から60歳までがいわゆる中年。大いに囀り、飛び回り、群がり、社会人として活躍する夏の年代。60歳以降が、いよいよ実りの秋。人生の実りを収穫する年代である。−−
という。また、特に共感するのは、
−−60歳までの「夏」の時期は、色で朱に象徴される華やかさと雀のような「朱雀」の如く、天に舞い群がり囀る時代だ。また、実りの秋で大切なことは、人生の収穫は自分自身の実りであり、自分のために使うべきだ。−−
と、嬉しいことをいってくれる。
一方、国際派の落合信彦氏は、人生は「春」から始まると言う。引用すると、
・・・このライフサイクルにおいて最も大事なのはスターティングポイント、生まれてから社会に出るまでの約20年間、すなわち「春」の期間である。ここで人間は生きて行く上で必要なエネルギーや生命力を得る。最初の20年間に春の楽しさを実感することこそ大切だ。・・・
となる。落合信彦氏の言葉にも「なるほど」と思う。娘に対しては、この春をその様に過ごして欲しいし、その様な環境を与えてやりたいと思う。しかしながら、現在の自分の立場でみると、今が「実りの秋」とは言いがたいし、これから「冬」が来るとはさみしいのだ。やはり、堺屋太一氏のいう様に、現在は「夏」と考えたい。それも「晩夏」であろうか。ゆく夏を惜しみながらでも、セミの様に「ミンミンミン・・・・」と少々うるさくても、大いに鳴き、歌い、群れて明るくいきたいものだ。後には「実りの秋」が待っているのだから。(2002.6.28)
「サラリーマンは何時も胸のポケットに辞表を入れて仕事をしろ」とは、自分が社会人になった当初よく言われた言葉だった。失敗を恐れずに前向きに、ともかく行動有りきを良しとし「モーレツ社員」などの言葉とともに、高度経済成長時代にマッチして異論は無かったように思う。自分も、実際に辞表など書いて持ち歩きはしなかったが、胸の内ではいつも次の様に自問していた。「会社は自分を必要としているか」また、「自分は会社を必要としているか」である。この、どちらの問いにも「否」となったら会社を辞めよう。イヤイヤ、自分が会社を必要としているか、よりも、会社は自分を必要としていない、と分かったなら潔く辞表を出そう、そう決めていた。
幸運にも自分に向いた職場にも就け、自分のした仕事の実績が形として分かりやすい仕事内容もあって「会社は自分を必要としている」と感じることに疑いは無かった。むしろ、「条件が良ければ転職もいいな」などと同僚に嘯いていたりもした。若いバイタリティーと、自惚れも手伝って、このまま突っ走っていた様に思う。
ところが、45歳を過ぎる頃からこの自信もグラツキ始め「もしや?」から「ハッキリ」と、会社は早く辞めて欲しいといっているのが分かってきた。会社は転職準備金などの制度を打ち出してきたりして、リストラを進めてきた。いわゆるバブル崩壊による不景気の到来だった。同僚の中には早々にこの制度を利用し、転職を決断した者も多かった。さて自分はというと、若い時誓った潔さはどこへやら「自分は会社を必要としているのだから」の一点にしがみ付いて、恥かしながらズルズルと現在に至っているのだ。
大学を卒業しても就職出来ない者も多い折、会社を辞めるということは、リタイヤすることに他ならない。時々「不景気だと言っても、日本に住んでいるのだから何とかやっていけるのではないか」とも思うが、子供にも希望の進路を進ませてやりたい、家のローンも済んでいない、とやはり不安がよぎり自分の思いだけでは、おいそれと「やめてやる」とは行かなくなっている。
「辞めさせていただきます。新しく会社を設立しようと考えています」との啖呵は、夢の中だけに留まっているのだ。(2002.9.20)
仕事始めの日は、前日からの雪で交通が大幅に乱れた。危うく遅刻しそうになったがタクシーを使ったりで何とかギリギリ間に合った。無謀にもノーマルタイヤの車で出勤しようなどの御仁がいるものだから、事故も起き停滞もするのだ。
さて、新年を迎え「今年も無事平穏に過ごせますように」と思うのだが、今年は少し状況が違い大きな変化がありそうだ。それと言うのも会社のリストラが一層進むことになり、当然自分も対象で他人事では無いからだ。昨年末あたりから会社の経営方針が示されて、どうやら支社を廃止するらしい。その代わり現在の支社の人員の受け皿として、地域の子会社を設立するとのこと。会社本体をスリムにするという訳だ。当然子会社の給料は今まで通りとは行かず、何割かカットされることになる。本社への転勤も選択肢には有るが、若い時ならいざ知らず、今更生活基盤を移す訳にも行かない。今のご時世、いきなり解雇されたり、会社が倒産したりと職を失うことも致し方無いことで、賃金をカットされても働けることを感謝しなければならないのだろう。まあ、そのことは理解もし自分なりに整理もしているつもりだが、どうにもやり切れない事態も発生しているのだ。最近職場の雰囲気が悪くなってきている。「こんな時ほど協力して」とは皆思っているのだろうが、実際は人は減ってくる仕事の量は増えるで、ひとのことは構っていられないのが現実なのだ。また、上司が毎日の様に部下を怒鳴りつけている職場もある。意識的にやっている様で、他の社員が居ようが派遣社員が居ようがお構い無しに、大きな声を張り上げている。通りすがり否応無く聞こえてくる内容には、聞くに堪えないものもあり、毎日やられたら精神的にマイッテしまうだろう。ベテランの社員に、新入社員に言うような言葉を浴びせるのが効果的とは思えないのだが。その上司にも言い分はあるだろうが、仕事の品質を上げようと考えているのなら、これは逆効果だ。そうなるとこれはイヤガラセとしか思えなくなる。「辞めさせるのがオレの仕事だ」と公言した部長がいたなどと噂があったが、まるきり嘘とは言えない様だ。
何時からリストラが人員整理と同義語になったのだろう。本来は企業構造を再構築することなのだろうが、利益を生み出す企業体質にするには、余剰人員を整理するのが手っ取り早いのか、それとも、それしか無いのか、ともかく人員整理が今や常識になっている。一時は、人材=人財、などとして人員整理はしないと強気な企業などもあったが「人は財産なり」と言っている場合では無いのだろう。今は若くて優秀な人が余っているのだから、年功序列で高給取りになっている老兵は、もはや企業にとっては害以外何者でもないのか。しかしながら、経営者を外国から迎え再生した企業などもあって、トップが代われば企業も変わることも確かの様だ。まただからといって責任を全て経営側に押し付ける訳にも行かないが、部下を罵倒する管理者が会社を救うとは思えない。その管理者こそ整理するのが筋で、それを放っておくのは、あからさまなイヤガラセによる人員整理を経営側が推進していると思われても仕方が無い。またそれが事実なら、これまた経営者として失格と見ていいだろう。
さて、我が身の振り方だが「リストラの餌になるか」と迫られ「こんな老馬肉でも餌になりましょうか」と我が身を差し出すのか、企業の再生を信じてじっと耐えるのか、揺れ動く昨今である。(2003.1.11)
ゴールデンウイークも終わって、今日からまた仕事だと思うと、何とも気持ちに張りが伴わない。
今年の「フラワーフェスティバル」は3,4日と雨が降って散々だったが、最後の5日に晴れてドット人出が有った様だ。
いつもの事だが、連休中に家族で何処かに行こうと思っていたのだが、結局は家人の買い物に付き合わされたり、庭いじりをしたに留まった。連休の初めは「5日も休みがある」とわくわくしているが、それが「後2日か!」から「今日で終わりか!」になり、とうとう出勤日を向かえることになる。当日の朝は体がだるくて、目は覚めているのだが、なかなか床から這い出せない。
退職すると、これが毎日休みだから良いナァーと、思うのだが実際はどうだろう。
以前退職を控えた者のセミナーが有って受講した。その中で、退職後の一週間の行動予定表をたてる演習があって、四苦八苦したことを思い出した。まず月曜日は「ゴルフの練習に行く」火曜日は「ゴルフのコースに行く」水曜日は「庭の手入れをする」木曜日は「本を読む」と、ここまでは何とか埋まるのだが、その後が続かない。また「ゴルフ」では体が持たないし、金も続かない。「近くの温泉にでも行くか」となる。これで金曜日。もう週末はゴロゴロしているか、昼から酒を飲んでいるかだが、これでは70歳までとても生きていけないナアーと暗澹たる気持ちになった。
問題は、いかに計画的に過ごすのが難しいかという事だろう。毎日を、その時そのときで、過ごして行くならば、それはそれで続いて行くのだろう。そしてアットいう間に時は過ぎてしまうのだろうか。
考えてみると、毎日が日曜日を夢見ている現役が一番幸せなのかなと、頭では分かっているのだが、これが木の芽時、休みたい!!。(2004.5.10)
ボーナスの時期になると上司による業績評価が下される。この評価によってボーナスの額が左右され、場合によっては○○万円の差が生じるから、評価によって一喜一憂することになる。上司の面談を終って下を向いて帰ってくる同僚を見ると、胸が痛む。自分だって同じ境遇にあるのだから他人事では無いのだが、自分は次の様に思っている。
人が人を評価するのだから、万人に公平な評価なんて出来るわけが無いのだ。一定の歯止めがあるとしても最終的には、評価する人対評価される人の関係になる。だからこう考えることもできる。評価をする人にもその能力が有る人と、無い人がいる訳で、評価能力の無い人が×の評価をした場合はどうなるのだろかと。それは評価通り×ではないだろう。そこで評価者の能力とその評価は掛け算の関係にあるのでは無いか。評価者の能力をプラス・マイナスで、その評価をまたプラス・マイナスで表すと次の様になる。
@(+)×(+)=(+)
A(+)×(−)=(−)
B(−)×(+)=(−)
C(−)×(−)=(+)
@は能力のある人がプラス評価をするのだから、その人は文句なしのプラスである。Aは能力のある人がマイナス評価をしたのだから、厳粛に受け止める。Bはアホな上司がプラス評価をくれたのだから、黙ってもらっておけば良いが、絶対評価としてはマイナスと考えざるおえない。問題はCである。アホな上司がマイナス評価を下したわけだが、これは勲章みたいなもので、絶対評価としてはプラス評価となるのだ。「上等じゃないか、アホ上司に自分が分かってたまるか」てな具合に思っていれば、これはもう勲章みたいなものですよ。と言っても実質ボーナスは減るわけだけど、これも勲章代ですよ。くよくよ考えてもしょうがないでしょう。
以前アホな上司に仕えた時、何時も喧嘩していた。当然評価は最低で、その面談の時評価に至った経緯や説明をくどくど言うので「結論は聞きました。実りの無い話はやめましょう」と席を立った。その時「君は面白い人だね」と言うので「貴方はおかしい人ですね」と言い返してやろうと思ったが、黙って部屋をでた。しばらくしてその上司は会社を辞めていった。今ごろ奥さんの厳しい評価を受けているのだろうか。(2005.11.5)
職場のリニューアルをするというので、フロアーを移動することになった。この際だから倉庫や壁面書庫や各人の机の引出しの中を整理することになった。前もって不要なドキュメントは出来るだけ廃棄する様、保管する文書は決められた保管箱に入れて、文書名や廃棄年月日を明記する様、意識合わせをした。
さて、共通で使用している倉庫を片付けしようと中を見ると、個人名の保管箱が出てきた。中を見ると、会議に出席した時の配布資料や、キングファイルに「その他ファイル」とか「雑ファイル」と書いたものが入っている。本人に「必要なものなのか」と問いただすと「整理します」と言いながら、その場でパラパラめくりながら考え込んでしまった。「とにかく捨ててから考えろ!」と強く言った。ファイリングする時「その他ファイル」とか「雑ファイル」とするところに既に問題が有るのだ。何のことやら自分でも分からないから、また開いて見ることになる。必要なものが取り出せなかったら、それはゴミだ。こういう御仁が一人いると、至る所にゴミを置き共通の書庫などを侵食することになる。捨てる勇気がないのだ。昔のパソコンの説明書、CD、使わないケーブルなども捨てきれない。机の中には保険のおばさんにもらったチューインガムや昔もらった義理チョコなどがあったりして。本人にとっては「利用価値の有る(と思われる)、貴重な(二度と手に入らないかも)宝の山(何か有った時に助けてくれる)」なのかも知れないが、自分から見るとゴミとしか思えない。
整理がへたな人はパソコンを見ても分かる。デスクトップは所狭しとアイコンが並んでいる。ファイルを開いてもフォルダーをうまく使えていないし、名前の付け方がなっていない。中のファイルも更新する度に新しいファイル名で登録するので、その数や見ただけで気分が悪くなる。本来はドキュメントには改版日(履歴が付いていればなお良いが)をつけておけば、最新版だけあれば良いのだ。これができないから、その代わりに全て保管している。
男でも 月に一度は 整理の日 これは自分の句では無いが、ふと思い出した。(2006.3.13)
退職を前にして、作業手順書を見直している。この作業手順書なるものは、現在自分が関係している仕事を如何に実施しているかの、自分なりのやりかたを示したもので、退職を前にしたからといって作り始めたものではない。自分は昔から転勤などで新しい職場に配属されると、その仕事を早く覚えるためのメモを作業手順書として残してきた。引継ぎなどで聞いたことも自分なりにまとめておかないと、直ぐ忘れるからであるが、これが今度自分が新しい人に引き継ぐ時に役に立つのだ。
さて、自分が今やっている仕事はQMS(ISO9001)の事務局で、はっきり言って喜んで引き受けてくれる者はいない。何人かに個人的に当たって見たが、絶対イヤダと断られた。昨年は認証取得をし、今年度は第1回目の定期審査を終えたところだ。「その時になればダレでもできる」と思うのだが、慣れない仕事により体調をくずしたり精神的にマイッてほしくない。だから作業手順書もいつもより丁寧に作成している。本当はこの手順書をもとにキチント引継ぎをして、文章で書ききれないところを言葉で補いたいのだが、この分だと退職まで後任が決まらないことになりそうだ。
話は変わるが、その人がいないと全くその仕事が分からない場合があるが、そんな状態にいる人こそ「自分がいなくても業務ができるように手を打っておく必要がある」のでは無いだろうか。それを「俺がいないと、やっぱりだめだなぁー」と、何か重要なポジションに自分がいる様な錯覚をしている御仁がいる。退職を前にしても「俺の重要性が分かったか、今ごろ気付いても遅い」とばかりに引継ぎもそこそこに、大ミエを切って出て行くのは如何なものかと思う。
そんな訳で「小さな波紋一つを残して飛び立ちたい」のだが。(2006.3.26)