平成12年9月から平成14年3月まで、会社の関係で山口に単身赴任しました。ここでは、この一年半年の間、会社のアパートで自炊しながらの男一人所帯を、下手な川柳と稚拙なエッセイで綴ったものです。 「同じ境遇にいる同胞と、笑い合えれば」と、ホームページを立ち上げるきっかけにもなった、言わば原点がここにあります。一読下されば幸いです。
古い順に並んでいます。最新は2002.3.25です。
単身赴任で山口に来た当初、メシだけ炊けば食事はなんとかなると包丁を持ったが、思いのほかスムースに手が動かないものと気が付いた。左手の指を猫の手の様に丸めて、包丁の腹に指の第二関節を付けて、トントンと、理屈は知っているつもりだが、その通り動かないのだ。冷奴にネギのキザミを乗せるだけのことに手間取り、なんとも情けない思いがしたものだ。
一度は左手に気を取られ、包丁の背と刃を間違え右手の人差し指を少し切った。幸いにも、あまり切れる刃ではなかったので、大事にはいたらなかった。
今は、トントンと調子よく目をつぶっていても大丈夫・・とは行かないが事は足りている。野菜を切るにしても以前はナスを丸まんま切っていて、包丁の腹にくっついたナスが次のナスに押し出され、コロコロとまな板から飛び出すのだ。仕方なく、一枚いちまい刺身の様に切っては並べしていた。
あるとき、3センチ位にぶつ切りし、それを立てて切ると、ハミだしのナスも出ず、トントンと調子が良いではないか。ナスを手なづけた瞬間である。
また、ブロッコリーを包丁で切り刻んでバラバラになり、これは手で千切るものと理解した。ジャガイモの皮むきや、ダイコンの桂剥きなどは、そこそこに出来、「野菜は感動が無い」などと、最近自惚れている。
これからは魚にチャレンジしてみたい。3枚におろすのは見た目より難しそうだ。卒業試験は鯛の眉間に出刃を当てエイッ!と真っ二つにし、兜煮といこう。
(2001.6.26)
「父性の復権」という本を以前読んだ。確か林道義さんの書いたものだ。子供を育てるには母性だけでは無く、父性が必要であると、力説する。
ここでの父性とは男の特権では無く、母性に対する区別として表現している。祖母が発揮しても良い訳だ。しかしながら、男の役割の範疇であることは確かの様だ。
では父性とは何かだが、大人の価値観であると氏は言う。この大人の価値観を子供にはっきり示すこと、それが子供の価値観の醸成に必要なことだと説く。
私は「価値観」とは「倫理観」と「美意識」であると理解している。「何をしてはいけないのか、何はしても良いのか」と、「何を美しいと感じるのか」である。
私の父親にあたる世代は戦争に負け、今までの価値観の根本を打ち砕かれた。そのため、子である我々の世代にはっきりとした価値観を示せずにいた。しかしながら、敗戦からの復興に立ち向かう後姿を見て、我々は親の価値観をかろうじて感じ取った。
我々の世代は、親が子にはっきりと価値観を示すことを学ばずに、また戦後の驚異的な復興のおかげで、価値観の多様化とともに、親が子に示すことでは無く、子が自分で見つけていくものと考えてきた。その結果、子供は無限の可能性を持っており、その可能性を損なわない様に、なんでも与え、自主性こそ善の、お子様教が蔓延した。
そうして、子供にものが言えない親、親の言うことを聞かない子、誤った自主性を持った子等が事件の原因となっていると感じる。事件を起こさないまでも、道端でもどこでもペタンと座り込む子、電車の中で化粧をする子を見るにつけ、この子等の美意識はどこに向いているのだろうか、と思ってしまう。
娘が小学生の高学年の時、学級崩壊があった。ことの経緯は定かでは無いが、担任の女の先生と児童の保護者との間で、軋轢が生じ、結果として先生は子供の信頼を失った。こうなると授業自体が成り立たない。
娘には「授業がやかましくて、勉強にならないかも知れないが、今は我慢して先生の言うことに耳を傾けなさい。一緒に騒いでいるのと、後から思うと大きな差になるから。」と言うのが精一杯だったが、幸いにも大事には至らずに済んだ。
私の単身赴任が始まってから、パソコンを買い与えた。インターネットで遊んでいる様だが、親としてはメールを通して、父性の発揮をとの思いであったが、一向に会話に乗ってこないのに、やきもきしている。
(2001.7.3)
山口に単身赴任が決まったとき、テレビは見ない、ラジオで我慢する、本を読むと心に誓ったが、友人からの「いらないテレビがあるので持っていかないか」の誘いに、タダなのだから有っても不都合は無かろうと、快く頂いた。
しかし、数日経って考えが甘かったことを知らされた。晩飯も済みそろそろ寝るかと思ったところに、○○Kの受信料の取立てが来た。来月分も含めて2ヶ月分払えの態度に頭に来て、なんだかんだとイヤミを言ったが、結局当月1ヶ月分の受信料を払った。
翌日になっても気持ちが治まらず、テレビを捨ててしまった。それから1ヶ月後、別の集金人がまた夜押しかけて来た。テレビが無いのだから払う謂れは無く、お帰り願ったが、その帰り際曰く「また払う気になったらお願いします。」とのたもうた。「誰が受信料を払うためにテレビを買うか!」と益々腹が立ってきた。
この件はこれで終わりかと思ったら、また数ヶ月して、今度は封書で、滞納している受信料を直ぐ払えと振込み用紙を送ってきた。もう放っておこうと思ったが、気になるので、○○K山口に電話した。事情を話すと「分かりました。こちらで、会員を取り消しておきます。」の言葉に「○○Kの会員になった覚えは無い!」と電話を切った。するとどうだ、またしても1ヶ月後に督促の封書と、振込みが便利ですとの案内が来た。
もうどうにかしてくれと、○○K山口に電話した。今までの経緯を最初から説明すると、脱退届けを送るので、それに氏名捺印して、理由欄に「テレビ撤去」と記入して、送り返してくれとのこと。もう腹が立つのを通り越して、笑ってしまった。はいはいと、送られて来た届に氏名捺印して返送した。
はたしてこれで一件落着したのだろうか。「タダより高いものは無い。」を体現した。
○○Kの受信料については問題視する人も多く、インターネットでも賛否両論が戦わされている。中には断固払わないと頑張っている人もいるし、またテレビが無いと言うと家の中まで調べられた人もいるとかで、どう見ても公正では無い。自宅では年間払込みをしており、全く○○Kに受信料を払っていない訳では無いので、せめて単身赴任者からむしる様に取らなくても良いのではと、自分勝手ではあるが、思うのである。
(2001.7.5) 追伸:○○Kさん悪しからず。よしなに。
基本的に動物は好きである。子供の頃猫を飼っていた。あるとき私はスズメを捕まえて、自分で作った竹ヒゴの鳥篭に入れておいた。こともあろうに、我猫がそれを襲い、中のスズメを食べているのを見つけた。泣きながら猫を殴りつけ、食い残しの残骸を集め、墓を作った。
のちに母親に聞いた話だが「その後泣きながら、猫を抱いて寝ていた。」とのことだ。
娘が小学校3年の頃、友達がハムスターをくれるので、飼いたいと言ってきた。最初は「旅行などで家を留守にする時、面倒を見る人がいないので、ダメ!」と突っぱねていたが、涙顔で人情に訴えられると弱い。渋々ペットショップに電話して、留守中の預かり賃はどのくらい必要なのかなど聞く羽目になり、結局ハムスターを飼う事になった。
名前は「トム」になった。「ハムスターの飼い方」なる本をもとめ、大体3年位が寿命であることも分かった。もらった当初はまだ生まれて間もない様だったので、娘には、お前が6年生になる頃には死ぬ事になるからと、最初に言い聞かせた。
家を何日か空けるときは、動物好きの親戚に預かってもらった。何しろペットショプにたのむと、1泊、餌持込で3500円もするのだから。
夜中になるとカラカラと勢いの良い、回し車の音に、五月蝿かっただろうと、申し訳なく思った。
3年経った。元気の良かったトムも、ハシゴから度々落ちる様になり、回し車を使うことも無くなった。また、目も余り良く見えないようで、ヨボヨボと歩く様になった。
そんな折り、私の単身赴任が決まった。アパートも決まり一人暮らしが軌道に乗った頃、家族を山口に呼び、1泊2日の旅行をした。トムは、たった一日のことと、預けずに家に置いてきた。一月のことで、とても寒い時期であったが、防寒用のカバーをし、ペット用の保温器を入れているので大丈夫であろうと思った。
しかし、旅行中に停電が有ったようで、帰ってみるとブレーカーが飛んでいる。トムは死んでしまったかと駆けつけると、寒さに体を震わせながらも、まだ奇跡的に生きていた。急いで保温器の電源を入れたり、手で暖めたりしたが、もう明らかに死が近いと感じた。
翌朝トムは死んでいた。桐の箱に入れてやり、庭に墓を作った。適当な石を見つけ墓石とした。娘はそれに「○○トム」と書いた。(2001.1.10)
今はトムの名前も消えています。
東京での独身の時は、一応賄い付きの寮にいたが、ほとんど食事は外食をしていた。その頃は朝食をとらずに、一日二食の生活をおくっていた。
会社を引けてからはマージャンをしたり、飲みに行ったりが多く、寮で食事をするなど出来なかった。従って寮の食事は全て欠食していて、どういう訳か欠食料金なるペナルティー料を払っていた。
寮の近くには飲み屋も多く、何軒か馴染みの店も有り、その時の気分で回遊していた。幸いにも東京ではツケで飲むことは無く、金が無くなればおとなしくしていた。
後年、広島に転勤になった。驚いたことに、こちらではツケが主流で、払うと言ってもその日は受け取らないのだ。後日金を払いに飲みに行き、またその金を払いに飲みに行くことになる。勢い、飲み代も嵩むことになる。
自分ではハシゴ酒をするより、一軒でも楽しく飲めればそれで良し、とするタイプだと思うが、時として、どうしても自制心が利かなくなり、もう一軒、もう一軒と繰り返すことがあった。こんな時は相当飲んでいると思うのだが、妙に頭の芯に酔えないところが有って、無為な行動を繰り返すことになる。
今はさすがにそんな発作は起きないが、その時代の勢いと言うか、生命力と言うべきかに郷愁を覚えながら、山口のアパートで一人発泡酒を飲んでいる。 (2001.7.6)
山口の単身赴任が決まり住むアパートも決まった時、同じアパートの同僚から、エアコンも冷蔵庫も洗濯機も完備しているから何も心配いらない、と告げられていた。しかしながら実際にアパートに入って見ると、エアコンは付いているものの、冷蔵庫と洗濯機はどこを探しても無いのだ。彼は運良く設置している部屋にたまたま入れたのだろうと、特に疑問を持たなかった。
さて、時期は9月で、冷たいビールを飲むには冷蔵庫は直ぐにでも必要だ。会社の同僚に無理をたのんで、電気屋をハシゴして、とりあえず一人用の冷蔵庫を購入した。洗濯機をもと思ったが、出費が嵩むし、手で洗えば済む事だとバケツを一つ買った。このバケツが目下のところ手動洗濯機になっている。
バケツであるから、一回に洗える量も限られてくるのだ。下着やハンカチ、パジャマ、タオル、これ以上は無理だ。だから毎日洗濯することになる。
会社からアパートに帰ると、まず風呂に湯を入れ始める。合間に米を研ぎ炊飯器のスイッチを入れる。根がせっかちだから、風呂に湯が溜まるまで待つことは無い。裸になりバケツを持って洗濯を始める。夏はこれでもバケツの中で洗い濯ぎが出来るが、冬用の厚手のパジャマはこれだけでバケツ一杯になり、手でかき混ぜ様にも動かないのだ。洗い場に洗濯物をぶちまけて、足の登場となる。全身運動で体がポカポカしてくる。洗い終わると、今度は自分の体の番だ。これとて湯船にゆっくり浸かって、とは行かない。忙しなく頭や体を洗い、最後はバスタブまで洗って、これで終わり。20分で出てくる。丁度炊飯器からメシが炊けた、ポンという音がすると言う訳だ。
今のところ、洗濯機を買いたいとの気にならないが、雨になると、脱水機で絞っている訳で無いので、乾きにくいのが難だ。
先日、アパートを管理している親会社の厚生から、備品をチェックしたいので、同封の用紙にエアコン、冷蔵庫、洗濯機の備品番号を記入せよと、指示が来た。するとこの部屋にこれらの備品が設置してあるのが、当たり前なのかと思ったが、入居の手続きの時は厚生課から何の説明も無かった。考えて見れば入退去の際に立会いをしていれば、こんなチェックも必要ないだろうに。まあ、親会社の厚生にそこまで期待するのも無理なのかも知れない。チェックには「備品無し」と書いて出してやった。あれから何も音沙汰が無い。管理台帳との照合は、良かったのだろうかと、よけいな心配をしてしまった。 (2001.7.13)
カレーという料理は嫌いでは無く、むしろ好きな部類ではあるが、どういう訳か金を払って食べるという事が少ない。年に一度有るか無いかである。
我家では、晩飯は晩酌になり、カレーなど食卓に上がらない。会社での昼飯のメニューにカレーやカレーウドンもあるが、食べたいと思う事が無い。美味しいと有名な店の、魚介類の入った地中海カレーなどは食べたいと思う程度か。
そんなカレーではあるが、山口の単身赴任生活が始まった途端、自分の料理メニューに確固たる位置を占めることになった。理由は簡単で、野菜が沢山摂れるし日持ちが良い。味は市販のカレールーを使うので、失敗が無い。一度作ると、メシだけ炊けば後はカレーをかけるだけ、冷たければ暖めるだけで出来上がる。そんな訳で定番となった。
特に仕事の関係で広島に帰郷しなかった週末など、することも無いので昼飯にカレーを作る。一食分を作る訳にも行かず、勢い3食分の材料となるが、その残りが晩飯になり、翌日の朝飯にもなる。少し工夫してカレーウドンになったりもするが、味が一本道であるので、変化に乏しい。でもさほどイヤになったりはしないのだ。
調理も、始めはタマネギやジャガイモ、人参、椎茸、ナス等、包丁で切った順に鍋に入れ、シーフードの冷凍や豚肉なども一緒くたに煮て作っていた。勿論一晩寝かすなど、する訳が無い。
最近は調理も少し変化してきた。まずタマネギを切って胡麻油で色が茶色になるまで炒める。(そうするとタマネギの甘味が出ると何かに書いてあった。)それに水を加え、ダシに昆布茶を2杯入れる。ジャガイモなどの野菜をぶつ切りにして煮る。ここで一旦火を止めて冷ます。この間に飯を炊く。次にシーフードミックスや豚肉を入れ、カレールーも入れて再度煮る。
好みの問題だろうが、材料がどろどろになって、何がなんだか分からない様なのは苦手で、ジャガイモもしっかり形が有り、サラッとしたのが好きだ。メシを盛り生卵を乗せ、カレー(カレースープかも)をかけて、出来上がり。ビールが良く合うのだ。
(2001.7.11)
どうです?見かけより味は良いですよ。
毎朝部屋を出るときの点検項目が、立ちカガミに貼ってある。電気やガスなどは勿論のこと、財布や携帯電話、クリーニングに出すワイシャツなど、以前忘れた物が項目に加わってくる。性格的なものだろうが、忘れ物に気付いた時の、なんとも言えない気持ちの座り心地の悪さが、我慢できないのだ。火事や泥棒に入られる可能性の有る不安などは勿論のこと、出かけた後引き返す時間の無駄なども、腹が立つのだ。
昔、プログラマーとして仕事をしていた。アセンブラーと言うベーシックな言語で当初は記述していたので、論理を組み立てるのにアドレス定義が重要になる。一つでも定義されていないアドレスがあると、プログラムのコンパイルでエラーとなり、仲間内では恥ずかしい事であった。いわゆる「うっかりミス」である。論理ミスを見つけるためのデバッグ以前の問題なのだ。
この単純ミスを防止するために、点検項目の習性が身に付いた。紙に書き出すまでも無く、頭の中で項目を反芻するだけでも、効果はあるのだ。
ところで、ある女性のことであるが、出かけるとき車が動き出してから、玄関のカギは?エアコンのスイッチは?と思い始める。また、クリーニング屋の前を通ると「アッ!忘れた」とくる。蛍光灯が切れているので電気屋に寄り、どんなタイプだったか思い出そうとする。風呂桶の蓋を買いに行き、何センチのが良いか私に聞く。墓参りに行きマッチを忘れていて、車のシガーライターで線香に火をつけさせられた。これが中々火が移らないのだ・・・。
まあ、忘れ物程度なら良いが、事故につながる危険予知の考えは持って欲しいと思う。最近ペットボトルに水を入れたのを、ダイエット体操に使っているが、これを直射日光の当たる場所に置いている。火事になるからと再三注意をするが、一向にやめる気配が無い。
しょうがなく、中に墨汁を入れてやった。 (2001.8.6)
今年は記録的な暑さで、連日30度を越す猛暑が続いている。37度とか39度とかの最高気温を聞くたびに、体温より気温が高い時は、人間寄り添った方が涼しく感じるのだろうか、などど、あらぬ疑問が頭をよぎる。
拙宅にも狭いながら庭が有り、植木も多少はある。友人から頂いたエビネや、買い求めた石楠花の鉢など、四季折々に愉しませてくれ、心の安らぎになっている。
週末に帰郷した折は庭にたっぷりと水を遣るが、こう雨が降らないと、たった一日の渇水で枯れてしまう植木もあるのだ。
山口への単身赴任が決まった時に、庭木への水遣りを家人に託した。ここから植木残酷物語が始まった。手始めはゴールドクレストだった。買った当初は15センチ足らずであったが、鉢を何度か代えてやり1メートルにも成長していた。
一週間ぶりに帰宅すると、まず植木をチェックするが、その哀れな姿を見たとき思わず「アッ!」と声がでた。葉っぱが無残にも茶色くなりかけて、明るい緑の葉の面影は跡形も無い。もうこうなったら水を遣ろうが何をしようが遅い。腹が立ち「水をやれと言ったろうが!」と怒りをぶつけても「ちゃんとやったけどね」と枯れる方が悪いと思っているのか、憮然たる態度だ。「植物でも毎日見ていたら、水が欲しいと言っているのが分かるやろ」と言っても愚痴にしかならない。
この後、石楠花、黒の蝋梅、マンサク、藤と枯れてきた。その度に「水が欲しかったろうなー」と詫びながら水をかけてやる。
枯れたゴールドクレストは捨てるのも忍びなく、鉢植えのままインテリアにしました。銀色のメタリックのスプレーを全体に噴きかけて、ゴールドクレストならぬシルバークレストになりました。いわば植物の剥製ですね。
ところで、家人はドライフラワーで色々なインテリアを作るのが趣味です。
ん! ヒョットして! 庭全体をドライ・・・・・・・・。思い過ごしか。 (2001.8.8)
クリスマスツリーにもなったりします。
私は常々、一神教を信じている人を余り信じていない。仮に絶対唯一神が有るとしても、見る角度が違えば当然見え方も違うと考えるのが妥当だ。しかしながら、唯一神を信ずる宗教は、他の唯一神をどうも認めようとしない様で、否定しようとさえする。ここに、宗教戦争を発生させる土壌があると思うからだ。
日本は、古来から八百万の神を信じてきた。古代ローマ人も同じだった様で、勢力を拡大して行くにつれ、その土地それぞれの宗教や神を認め列に加えて行った。一時は30万もの神がいたと伝えられる。その思想がローマ帝国を支えていたことは良く知られている。
日本では、宗教と政治の話は公衆の場ではタブー視されているが、外国通と称する御仁の話として「欧米人のパーティーに呼ばれて、宗教は何かと尋ねられ、日本人が『特に有りません』などと答えると『宗教心の無い人とは友達になれない』と言われますよ。」など、真意は定かでは無いが、さもありなん話と思う。確かに特定の神だけを信じていないが、人が死ねば寺に頼み、神社に行けば祭られている神に関係なく、拍手を打つ。そこに、日本人の心の広さ(節操の無さと取る人もいるが)があると思うし、間違っても恥ずべきことでは無いはずだ。
ただ、唯一神の無い弱さもある。何をも受け入れることから、カルト宗教の餌食になりやすいのだ。気が付くと他の宗教全てを否定し、自分達だけが神に選ばれた者として、他を抹殺しようとさえする。信心深ければふかい程この傾向が強くなるから始末が悪い。
留守宅にも色々な宗教信者が勧誘に来る様だが、私は家族に、多少冗談をまじえてであるが「○○教だけ信じていれば良い」(○○は私のことです)と、常々言っている。勿論家庭内だけの教祖ではありますがね。
「はいはい。毎日線香を上げて拍手を打つから、はやく・・・・・・・。」と、まだ言われていないが・・・。(2001.9.12)
今年中学に入った娘のことが気になっている。かみさんから、最近何事にも集中していない様だと、聞かされた。毎週末に帰郷しているが、特段変わったところは見られないし、問題なく中学生をスタートしたかと思っていたが、ピアノの練習はしなくなったし、続けていたチャレンジも止めたいと、言っている様なのだ。もともと、ガツガツやるタイプでは無く、親から言われて渋々ながらやるのだが、それでも、今までは問題無くピアノのテストなども無難にこなしてきた。
中学になって始めたソフトテニスは、面白みが出てきたのか、練習や、先輩達の試合の応援に積極的に参加している。多分、勉強のことで、このままでは皆に付いて行けなくなるのではとの不安から、どうしてよいのか悩んでいるものと、推察する。
一度話をしてみようと思っているが、かみさんの方が少しオロオロしているのだ。
しばらく経って、かみさんから、家庭教師を付けても良いか相談があった。本人も、塾ではもう付いていけないと思うので、家庭教師ならやれると、言っているとのこと。本人がやる気になっているのだから、今がチャンスかと思い了解した。娘には、家庭教師を付けるのはよいが、待ちの姿勢ではダメだ。自分からどこを教えて欲しいのか、ハッキリして望めと、クギをさした。
自分の子供の頃の時代と違って、今、90%以上が塾に行くなり家庭教師を付けるなりしていて、学校だけで勉強を続けて行く事は難しい様だ。ハッキリ「塾へ行け」と進める先生もいるとのこと。
「子供は中学に行きだすと早いよ。」と、人生の先輩達の言葉を思い出す。そういえば、帰郷する度にスキンシップならぬプロレスゴッコをするが、何のためらいも無くアタックしてくる娘に、時としてハットして「もう止めたやめた!遊んでヤラン!・・」と、自分から逃げ出す始末だ。 (2001.9.6)
映画は子供の時から大好きだ。小学校の頃5円か10円かを握り締め、先生に引率されて映画館に行ったり、学校の講堂で映画が上映されるとなると、心わくわくしたものだ。風の又三郎、路傍の石、どろかぶら(これは舞台劇だったかも)など、内容は殆ど記憶に無いが、題だけなんとなく覚えている。
そうだ!一度だけ親父とお袋と一緒に映画館に行った覚えがある。あれは子供の私のためと言うのでは無く、親父とお袋のデートに自分も連れて行かれた感じだった。会社一本やりの親父で、外面(そとづら)は良いが家庭では失格だったのではと思うが、しょっちゅう夫婦喧嘩ばかりしていた。でも、こんなこともあったんだなぁーと、この時の親父の心境に思いを巡らせたりする。その時の映画だが「地下鉄道」だったか「地下水道」だったか、これまた記憶が定かでは無いが、洋画だった。とにかく暗い映画で、初めから終わりまで下水道の中で物語が進む。蒸し暑く息苦しくなって、早く外に出たい、明るい所に行きたいと思うが、一向に終わらないのだ。この時間の長いこと、拷問を受けている様だった。子供心に、この記憶を抹殺したいと感じたのか、この後の記憶が全く無い。最後まで我慢したのか、途中でむずがって夫婦喧嘩の種を、また作ってしまったのか。思い出さない方が良いのかも知れない。
さて、山口のアパートにはラジオしか無い。(テレビは○○K事件以来撤去した)これがまた、電波の通りが悪いのかNHK−FMしか入らないのだ。チャネルの選択肢が無いのは、これはこれで良いのだが、変化も欲しい。と言う事で、レンタルDVDを利用することにした。パソコンを買ったときDVD付きにしたのは、我ながら先見の明があった。
会社の近くのレンタルショップで会員になり、借り始める。DVDはビデオテープに比べて、まだまだ本数も格段に少ない。常時200本位しか無いのだ。最初は比較的最近の作品を選んでいたが、料金が旧作品より高いのと、人気の作品はいつも貸し出し中で、なかなか借りられないことから、昔の作品に目をつけた。
カサブランカ、3つ数えろ、風とともに去りぬ、熱いトタン屋根の猫やオズの魔法使いなど、何でも借りた。5の付く日は料金が半額になるので5本まとめて借りた。DVDにはビデオテープには無い機能が有る。音声も英語か日本語かを選べるし、字幕も不要ならば消せる。一度観た後、字幕を消して英語のヒヤリングを試したりするが、実際に役立つかは、本人の資質の問題の様だ。
昔の女優では、エリザベス・テーラーの美しさが際立つ。若い頃は、何と言ってもローマの休日のオードリー・ヘップバーンで、エリザベス・テーラーは好きでは無かった。私生活で離婚結婚を繰り返すところに、青年の潔癖性がなんとなく嫌悪感につながったのだろう。でも、今見る昔の彼女は神秘的なほど美しく思えるのだ。最近のジュリア・ロバーツなど、足元にも及ばない。
借り始めてからまだ1年にもならないが、先日120本を越えた。こうなると、作品選びも楽じゃ無い。このあいだ、カウンターに持って行ったら、受付のお兄ちゃんに「お客さん、これ前に借りていますが、良いですか」と言われる始末だ。パソコンに記憶されているのだ。便利にはなったが、その分プライバシーも侵されるのだろう。(2002.2.21)
単身生活が始まるや、山口のアパートのベランダにプランターを持ち込んだ。何か野菜を作ろうかと思ってのことだ。とりあえず、スーパーで買って来たネギの根っこを切って植えておいた。別に生活費を浮かそうと考えた訳では無い。野菜など買った方が安上がりなのは分かっている。ただ、一人住まいだと、毎日にチョットした変化が欲しいのだ。ネギ一本でも、毎日少しずつ伸びてきて「後一週間もすれば食べられるかな」とか「この間バッサリ切ったのに、もうこんなに伸びている」など、他愛の無い発見があるのだ。 コーヒーの出がらしや、米の研ぎ汁を肥料として時々やる。
ほかには、一度モヤシ作りに挑戦した。商店街を歩いていたら、ソラマメを売っていたので、袋で買ってきた。皿の上にティッシュペーパーを敷いて、ソラマメを適当にばらまき水を浸して、台所の戸棚の中に入れて置く。2日もすると、ふやけて芽が出てくる。水を替えてやり、また戸棚に入れて置く。シメシメこれで一週間もすれば食べられる、と思いきや、残念ながらこれは失敗した。時期が夏だったこともあるが、芽を出したのはそれなりに成長するが、芽が出なかった豆が腐敗するのだ。また、折角芽を出したのが、水を替えるとき注意をしないとポロッと折れてダメになる。一粒でも腐敗したら食べる気はしない。何度かやってみたが、結局口に入るまでには至らず、あきらめた。でも、小学校の理科の実験をやっている様で、それなりに楽しめた。
ジャガイモも面白い。芽が出たジャガイモをコップの中に入れて置く。根が伸びてきて水を入れたコップ一杯になる。葉っぱもそれなりに伸びてはくるが、観葉植物の代わりになる程ではない。葉っぱより根の勢いの方がすごいのだ。勿論これは食べるのが目的では無い。
そんなこんなで、現在はプランターのネギだけが、現役だ。もう何度か切っては食べ、しているのだが、一向に衰える気配が無い。けなげに毎日伸びるのだ。すごい生命力を感じる。今日も冷奴の薬味には十分の収穫があった。味も格別なのは勿論だ。(2002.3.4)
会社の辞令が出た。4月1日をもって、前の職場に復帰することになったのだ。1年と半年になる単身赴任生活から開放されることになる。思えば短い期間であったが、貴重な経験をした。パソコンを購入しインターネットを始め、自分のホームページを立ち上げる事も出来た。また、台所に立ち料理の真似事もし、洗濯機代わりのバケツで洗濯もした。
『そうだ。アパートを引き上げる最後の日は、家族をアパートに呼んで自分が昼飯を作ってやろう、そして、皆で掃除をしよう』と、物思いに耽りながら、仮住まいのアパートの整理をノロノロと始める。
何時の間にか荷物も増えているものだ。花の鉢、野菜を作ったプランター、ゴルフの練習道具、NHK−FMしか入らないCDラジオ。百均で買ったバケツ、モップ、食器トレイ、皿、脱衣カゴ、トイレブラシ、ゴミ箱・・・・・。切りが無い。そうそう、物干し用のロープも外さねばと、ベランダに立つ。中庭を見渡すと、つい数日前まで花を付けていた遅咲きの白梅も、今はすっかり花が落ち、真っ直ぐに上に伸びた枝だけになっている。子供用にスベリ台や鉄棒などもあるが、今は単身赴任者ばかりのアパートになっているので、使われずに錆びている。砂場は、ゴルフの練習で時々使わせてもらった。
今は、冬が明けたばかりだから良いが、夏は雑草が生い茂り薮蚊が発生する。自分の部屋は一階だから特にすごく、ベランダで蚊取り線香も焚いた。数日雨が続くとヤスデが発生し、ぞろぞろと塀を伝って来た。ここは山裾に位置しているので、虫も自然の一部なのだ。近くに雪舟のアトリエであった雲谷庵もある。
外そうとした物干し用のロープに、カメムシが止まっていて、邪魔をする。
「キャンプに来たと思えば楽しいよ」と始めた一人住まいも、いよいよ終わりだ。(2002.3.25)