自然環境に恵まれ、美しい田園風景や景観がすばらしく、今や、「白木の名所」と思っている所・名所になれば?・・・。又、町内の話題を見聞して来ました。 
 
            


町 内 の 石 碑  散 策

高南地区:大字市川・大字小越・大字秋山・大字有留

大字秋山(関川地区)  大字秋山(高南小学校内)
      乳母堰追慕碑
小越の庄屋の叔母が、広島藩主の乳母として長い奉公が終わった礼に希望を申し述べるようにとのことだった時、「小越村へ井堰を作ってください」と頼んだ。
その願いが聞き届けられ灌漑ができるようになった。 その乳母の徳を追慕して大正5年8月に建てられた。(高田郡誌より)
     佐々木乙二先生頌徳碑
高南小学校の前身である秋越尋常高等小学校に就任された佐々木乙二先生は、半生をこの地の児童教育に献身された。いつも教え方や教具も子供が興味を持ちように考えておられたそうだ。昭和13年(1938年)9月高田郡秋越村民が建てたそう。
(高南小学校記念誌より)
大字秋山(高南小学校作業室近く) 大字秋山(安佐北区役所白木出張所裏)
       高雄周見翁碑
天保の世から明治時代名医として活躍。明治の時代すでに赤十字の終身社員として貢献。明治37、38年の戦役軍資金や義勇艦隊費の拠出、慈善公益に尽くされた翁の功績をたたえ村中の者が建立した。
(高南郷土史同好会より)      
    松浦泰次郎君頌徳之碑
広島市における電気とガス事業の重要性を提唱し、明治40年(1907年)広島瓦斯(現広島ガス)を創設、大正5年(1916年)広島電気軌道の取締役となり同時に両社を合併し、社長に就任、大正3年(1914年)県下で初めて盲学校聾唖学校を設立した。
(広島県大百科事典より)
大字小越(スーパーユアーズ近く) 大字秋山(東須沢地区)
    津田恒介翁頌徳碑
明治のはじめ頃の天候不順による大飢饉の救済、土地の区画整理、堰堤の改修延長、水路分割など数々の公共事業に尽力された。翁の没後36年を経て有志の方がこの碑を建てられたと記されてある。
(高南郷土史同好会より)
   大木アヤ子夫人殉難之碑
昭和40年(1965年)6月豪雨で河津川が氾濫し田んぼのイゼが崩壊した。川の中へ仮水路が造られていたが再び9月13日〜15日豪雨となり、大木アヤ子様が田んぼを見回り中、河津川の濁流に流された。大木アヤ子様を偲んで地元の人が建てられた。
(高南郷土史同好会より)
                                                                                                                                                                                    

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