母との想い出

   母の1周忌を迎えるに当たり、
どうしても書き留めたくskmの
心境等、ご理解くださいね。

・2001年(平成13年)3月1日記す
2020年(令和2年)3月31日追記


亡くなって20年・20代後半の母の写真
2020年3月16日実家へ墓参にて発見)

2000年(平成12年)3月16日午後7時50分、享年81歳・母(コサミ)が
亡くなりました。

母は、心筋梗塞で4ヶ月間入院しskmは、母との別れを気丈にも覚悟をして
おりました。
最期の前日もベットの母が、か細い声で「仕事を頑張れの〜」と反対に励まして
くれました。
(公務員だったskmがあと5年、無事に定年退職するのが母の夢でした。)
当日は、skmの職場・上司の送別会でした。
その準備の手伝いに出かける寸前、「母危篤・山場は今夜か明日とのこと」と
職場に電話がありました。
skmは、日頃からの母の意思を尊重し、あえて送別会へ出席しました。
送別会の後半、胸騒ぎがするので家族に電話をしました。
ちょうど母が息を引き取った直後でした。
送別会も終わり、実家へ急ぎました。そこへ冷たくなった母が病院から帰って
きました。
skmは、母に父にまた、弟妹3人へ最期に立ち会えなかったことを心から
詫びました。
父、弟妹も優しくskmを受け入れてくれ、家族の温かさに思わず大粒の涙が
止めどもなく流れました。 母は、安らかな優しい顔で眠っているようでした。

2000年(平成12年)3月18日午前10時〜葬儀・祭壇の母 実家の仏壇の母

母との喜怒哀楽は沢山ありますが、その一部は
安寿と厨子王・・・skmが長女のためか幼少の頃から、母が「森鴎外の山椒大夫」
(人買いの悲しい物語)をよく聞かせてくれていました。
親思う心に勝る親心 今日の訪れ 何ときくらん・・・明治維新・吉田松陰の有名な
言葉・親子の絆を大切にが口癖でした。
慈悲・・・どの家庭でも苦しい戦後の時代・怒濤に迷った水知らずの母子2人を
skm達(4人の子ども)と同等に育て、独立させたこと。
口八丁手八丁・・・男の人を何人も従えて土木作業をしていた母は強し。
文才・・・独学で短歌・俳句・随筆が得意でたびたび投稿し賞をうけ、筆跡も達者な
方で参観日(出席者の名前を記帳)が嬉しかったskm。
しつけ・・・家中の整理整頓。特に洗濯物の干し方の厳しさと遊んで帰った時の足と
手洗いの励行。
自慢・・・家族内では、子供を呼び時、決して呼び捨てにしませんでした。
「skmちゃん」・「skmさん」と。
お母さ〜ん」と呼んでももう、いない!でもskmの心の中には、優しかった母・
厳しかった母がいつまでも生きている。
(時には、反発したけどごめんね。お母さん!) 「
ありがとう、お母さ〜ん!!

 
白木公民館活動で俳句を志す仲間の一人だった母は、いつも自己研鑽を忘れず、努力していたと思う。

中国新聞の「こだま」欄へ投稿した文章がこの本に掲載されました。
1979年10月1日発行され、母が投稿した1編「兵隊毛布」です。

     安佐北区環境美化標語で「特別賞」 ・ 「最優秀賞」 ・ 「優秀賞」 を
安佐北区長からいただきました。

が防火標語で金賞
を頂きました

母の留守
守る子供に
火の用心


昭和56年(1981年)11月15日

左はPR用ポスターへ掲載されました。

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