太田川と三篠川の合流点から、さらに10km近く太田川を遡った川岸に宮野八幡神社はあります。境内にはスギ、ヤブツバキ、シロダモなどの大木がありますが、中でもこの大エノキはひときわ大きく、堂々としています。
胸高幹囲は4mあまり、エノキとしては県内第二位の巨樹と言われています。この木の主幹の分かれ目には、ナンテン、ノブドウ、ノキシノブなどの植物が着生しており、このエノキの生命力の大きさを感じさせます。このように植物が着生させたエノキには不思議な力があると信じられていたそうです。またエノキには空洞ができやすいことから、そこに神霊が宿るとも考えられ、神木として残されてきたエノキが日本各地に見られると言われます。
エノキは本州、四国、九州から、遠く中国大陸中部にかけて分布しており、ケヤキ、タブなどとともに川岸に森林を形成していましたが、今ではほとんど姿を消してしまいました。この宮野八幡神社の大エノキは、かつて太田川の川岸にもエノキがたくさん生えていたことを教えてくれる大切な証人です。
太田川は、安佐町宮野から柳瀬のあたりにかけ、山の間をぬって何度も大きく蛇行しています。筒瀬八幡神社はその途中の川岸にあり、遠くから眺めると社叢の木々の葉が、キラキラと輝いて見えます。これは、タブノキ、クロガネモチ、ナナメノキ、アラカシ、ヤブツバキなど、葉の表面のつるっとした常緑広葉樹が主体となっているためで、こうした林を一般に照葉樹林と呼びます。
社叢の中にはこれらの常緑広葉樹の他、わずかにエノキ、ムクノキ、ケヤキなどの落葉広葉樹も生育しています。このような植生は、川が運んでくる土砂が堆積してできた土地にごく普通に見られたもので、中国地方の川岸の典型的な自然植生と言えます。しかしその多くは伐採されたり、洪水、河川改修工事などにより、次々とその姿を消していきました。すぐ近くの柳瀬の川岸に見られるようなアカマツ林は、これらの自然林が破壊されたあとにできた二次林です。この社叢は、蛇行する川の内側にできた段丘の上にあるため、洪水の時にもあまり破壊されることなく、自然の姿を今まで保ち続けてきたようです。中には県下有数と言われるタプノキの巨樹もあり、堂々とした風格を漂わせています。
広島市の北西端にある安佐町小河内の集落は、山あいを流れる小河内川に沿って細長く続いています。その中の堂原河内というところにある養山八幡神社は、かつて牛頭山山中の高野にあったものが、天正17年(1589)に現在の地に移されたと伝えられています。
境内に通じる石段の両側はスギの並木になっており、並木の外側に続く急な斜面には、ウラジロガシ、ヤブツバキ、サカキ、カヤ、ヤブニッケイなどの常緑広葉樹が見られます。また、右段を登りつめて境内に入ると、社殿の西側から後方にかけて、ツクバネガシの大木が社殿を守るように取り巻き、見事な森林を作り上げています。平成3年の台風19号によって倒壊しましたが、社殿の西側後方にあったツクバネガシは、胸高幹囲が4.47mもあり、広島県内でも有数の大きさを誇っていました。その樹齢は明らかでありませんが、養山八幡神社がこの地に移されたとされる400年ほど前には、すでにここに生えていたものでしょう。
広島市内の多くの社叢には、ツブラジイ、アラカシ、タブノキ、クスノキ、エノキなどがよく生育していますが、ここのようにツクバネガシが大半を占める群落は他にはなく、大変珍しい例と言えます。海抜270mにある養山八幡神社の周辺の山々は、もともとこの神社の社叢に見られるような、ツクバネガシ、ウラジロガシなどが優先する内陸性の常緑広葉樹林が広がっていたと考えられています。しかし今では、すべてアカマツの二次林になっています。