タイトル(あんなこと・こんなこと)



イベントガイド

今月の広島市行事予定


国際平和文化都市(広島市)

安土桃山時代の天正17年(1589年)、毛利輝元が太田川の河口に築城を始め「広島」と命名したといわれています。その後、福島氏、浅野氏が入城し江戸時代には、江戸、大阪、京都、名古屋、金沢に次ぐ大都市となり、明治4年(1871年)の廃藩置県、明治22年(1889年)には全国で最初の市の一つとして市制を施行しました。
日清戦争の開戦にあたり国内の海陸交通の要衝として、明治27年(1894年)には大本営が広島城内に移され、臨時帝国議会が開かれるなど、臨時首都の様相を呈しました。昭和20年(1948年)8月市の中心部上空600mで炸裂した1発の原子爆弾で、本市は一瞬にして焦土と化しました。昭和24年(1949年)我が国最初の特別法「広島平和記念都市建設法」の施行により復興が始まり、昭和55年(1980年)には全国で10番目の政令指定都市となり、今日まで世界平和・核の廃絶を訴え続けています。(面積/905.25平方キロメートル、人口/1,175,817人)

西中国山地に抱かれた、交流・元気のまち(安芸太田町)

安芸太田町は広島市の北部に隣接し、中国自動車道戸河内ICで町内を東西に走る国道186号線と南北に走る191号線が交通の動脈として交差し、西中国山地国定公園に水源を発する太田川が町内を貫流する清流と山の町です。町内には恐羅漢山や深入山など多くの登山のポイントやスキー場、三段峡や龍頭峡などの峡谷、温井ダム、吉水園、杉の泊ホビーフィールド、井仁の棚田など、人と自然とが共生できる景勝地やキャンプ場や温泉もあり、四季を通じて楽しめる大自然と里山文化に満ちた感動の町です。(面積/342.25平方キロメートル、人口/7,735人)

人輝く ・・・・・・(安芸高田市)

中国地方のほぼ中心に位置し、軽快な奏楽に合わせ華やかな衣装で舞う伝統芸能である神楽が盛んな緑豊かな田園都市です。市内には22の神楽団があり、全国でも珍しい神楽専用施設をもつ神楽門前湯治村では、年間を通じて毎週末神楽を鑑賞できます。
また、「百万一心」や「三矢の訓」で知られる戦国武将の毛利元就が生涯を過ごした地であり、毛利氏ゆかりの史跡をはじめ、歴史遺産も多く残されています。
さらに、サンフレッチェ広島やワクナガレオリック等の拠点としても知られ、スポーツの盛んなまちでもあります。
(面積/537.79平方キロメートル人口/31,079人)

豊かな自然と都市が共生した活力と交流にあふれる中核都市(岩国市)

山口県の東部に位置し、瀬戸内海国立公園、西中国山地国定公園など豊かな自然に恵まれ、県最大の河川である錦川は豊かな水をたたえ、美しい景観をかたちづくりながら瀬戸内海に注いでいます。錦帯橋などの観光名所や米海兵隊の基地があることで有名な岩国市ですが、最近では、地域経済を活性化させる起爆剤として期待される岩国錦帯橋空港が開港することでも注日を集めています。
(面積873.85平方キロメートル 人口146,024人)

自然との共生・都市との交流による海生交流都市『江田島市』

広島湾の海上に浮かぶ、のどかで美しい江田島市は、広島市から海路で7.5キロ、呉市から音戸大橋、早瀬大橋を経由して陸続きとなっています。海上自衛隊(旧海軍兵学校)のある江田島湾をはじめ自然条件に恵まれ、昔からカキの養殖が盛んで、むき身の生産量は全国第2位を誇ります。
島を巡るとミカン畑やカキ筏を浮かべる風景が心を和ませてくれます。
(面積100.97平方キロメートル、人口27,529人)

優しさいっぱい・多彩都市…(大竹市)

大竹市は広島県の西端に位置し、古代は遠管郷(おかのさと)と呼ばれ、当時の都と九州大宰府を結ぶ古代山陽道に安芸の国の終駅として、また交通の要所として栄えました。
市の東南は瀬戸内海に面し、沿岸部はパルプ、化学繊維、石油化学などの大企業が臨海工業地帯を形成し、市街地と隣接しています。県境の西は山口県の岩国市と小瀬川で境を接し、北東には標高約500メートルの山系で隔てた、美しい三倉岳や瓦小屋山などを北に眺める、のどかな田園郷の栗谷地区が開けます。また、南には海上周囲約12キロメートルの阿多田島があり、釣りや海水浴が人気です。(面積78.55ku、人口29.807人)

広島県初、世界無形文化遺産登録「壬生の花田植」 (北広島町)

広島県の北西部、芸北地域に位置するのが北広島町です。北には島根県との県境を有し、中国山地の山々が連なります。けわしい山から流れ出る清流は、豊かな田園文化を育み、太鼓の音にあわせて歌われる田植歌に合わせて田植えを行う花田植は、多くの観光客が訪れる一大イベントです。その花田植が、平成23年11月にユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。無形文化遺産としては広島県初となり、北広島町の伝統文化が世界的に認められた事になります。世界遺産の壬生の花田植は毎年6月の第一日曜日に行われます。(面積/646.24平方キロメートル、人口/20,170人)

つなぐ手に海・技・人が光るまち・・・・・(呉市)

戦艦「大和」を建造した呉市は、戦前は海軍工廠・軍港のまちとして、戦後は造船・鉄鋼をはじめとした重工業など、ものづくりのまちとして発展してきました。平成17年には大和ミュージアムのオープン、さらに広域合併で風光明媚な島しょ部を加え、新たな魅力を持った観光都市として注目を集めています。
明治22年海軍鎮守府の開庁を機に市街地形成が進められ、最盛期には人口40万人を超える日本一の海軍工廠を擁するまちとなりました。終戦による海軍の解体とともに人口も激減しましたが、昭和25年の平和産業港湾都市への再生を目指す「旧軍港市転換法」により、造船、鉄鋼、機械金属、パルプ産業等の企業が進出し、瀬戸・内有数の臨海工業地帯としての基盤を確立しました。平成15〜17年、瀬戸内海に面した8町を合併し、その魅力的な域内の歴史、産業、観光資源の活用による、特色あるまちづくりを進めています。(面積353.32平方キロメートル、人口248,537人)

住みよさ実感、瀬戸内交流文化都市(竹原市)

竹原市は、広島県のほぼ中央、瀬戸内海沿岸部に位置し、平安時代、京都下鴨神社の荘園となり、「竹原荘」が誕生、中世は竹原小早川氏により治められました。江戸時代になると製塩や酒造で繁栄し、その名残である豪商の屋敷が並ぶ町並みは、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、安芸の小京都「たけはら」として、歴史や文化を今に伝えています。(面積/118.30平方キロメートル、人口/28,991人、世帯数/12,914世帯)

豊かな自然と歴史・文化の薫る街(廿日市市)

広島県西部の拠点都市廿日市市は、西は山口県岩国市、北は島根県益田市と境を接し、西中国山地の吉和地域、中山間地の佐伯地域、沿岸部の廿日市・大野地域、瀬戸内海に浮かぶ世界遺産の厳島神社を擁する宮島地域と県域を南北に縦断する地域で、四季折々に多彩な魅力を持つエリアです。
(面積/489.36平方キロメートル、人口/118,562人)

未来にはばたく国際学園都市を目指して・・・(東広島市)

奈良時代に建立された安芸国分寺をはじめとする「神社・仏閣めぐり」。南北朝時代頃に築城され、周防山口の大内氏が直轄地の拠点としていた鏡山城址などの「城跡めぐり」。明治の中頃、鉄道の導入と共に駅がつくられ、その頃より大正にかけて、街道沿いの商家が次々に酒造を始め、現在でも8軒の醸造蔵元が存在する、西条駅周辺の「酒蔵通りの散策」。一方、広島大学、近畿大学工学部、広島国際大学や多くの研究所が立地するなど、多彩な魅力を発揮する、広島県中央地域の人口約182,000人、面積635平方キロメートルの中核都市。

海・山・空 夢ひらくまち‥‥(三原市)

三原市は広島県の中央東部に位置し、瀬戸内海沿岸地域の穏やかな気候と山地・丘陵地域が織りなす多様な自然を有し、また古墳や鎌倉から戦国時代にかけて栄えた小早川氏ゆかりの三原城跡などが残る歴史の息づかいが感じられるまちです。中四国の拠点空港の広島空港を擁し、山陽自動車道や新幹線、さらに瀬戸内海に展開する航路など交通の便もよく、陸海空の交通の要衝として拠点性が高まっています。「海・山・空 夢ひらくまち」の理念のもと、地域の特性を活かした、魅力あるまちづくりに取り組んでいます。
(面積471.02平方キロメートル、人口104,453人)

白壁の町並みと金魚ちょうちん『柳井市』

山口県の東南部に位置し、沿岸部、内陸部、半島・島しょ部からなり、海岸線は潮流の激しい大畠瀬戸から室津半島に至り、変化に富んだ自然景観を形成していることから、瀬戸内海国立公園に指定されています。中世の頃から屈指の良港としての柳井港は、海上交通の要衝として重要視され、江戸時代には瀬戸内有数の商都として栄え、白壁の町並みは今にその姿を伝えています。
(面積139.89平方キロメートル・人口35,238人)


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