連載「子どもと音楽」(29)
誰のために演奏するの?
 今回は素朴な疑問について考えてみたいと思います。あなたはピアノ(楽器は何でもよいのです)を演奏しています。それは誰のために演奏しているのでしょうか?レッスンの先生のため?親や家族のため?それとも自分のため?
 この点について、古楽研究家であるアントニー・ルーリーは、ルネサンス期の人間観を援用しながら、演奏者と聴衆の関係について論じています。彼の論旨は次の通りです。

 演奏者と聴衆の関係を示す最も単純な図式は、「演奏者→聴衆」という一方向的なもの。これは演奏者の出来不出来に大きな影響を受けます。演奏者は上位で、一方の聴衆は下位に居る。聴衆は、常に受動的な態度でいなければならないのです。演奏が巧くできた時は良いけれど、巧く演奏できなかったときには演奏者も聴衆も共に不快な感情に包まれ、特に演奏者は深い心の傷を負うことになります。演奏の出来に左右される不安定な状況といえます。

 この不安定な状況を克服するために、ルーリーは次のようなモデルを提示しています。円の中央に音楽の魂があります。聴衆は音楽を取り囲むように円周に居り、円の中央に向かっています。演奏者は聴衆と同じ位置から、音楽の魂に従って音楽を代弁する(通訳する)役目を担っている、というのです。
 言い換えると、聴衆も演奏者も、音楽という目に見えない魂の僕(しもべ)になるのです。音楽がすべてを語っている。それゆえに演奏者も聴衆も共に、音楽が暗示する魂(spirit)に向かって身を委ね、耳を傾けるのです。
 しかしながら、このモデルは演奏者の邪心や気負いが生じると、すぐに前者の不安定な図式に戻ってしまう。演奏者の繊細な心の動きに敏感に影響を受けるもろさを含んでいるのだと言えます。ゆえに、音楽は演奏者の心の様相を映し出す存在となるのです。

 この見解に触れ、私は目から鱗の心境になりました。ここまで語ると、演奏は誰のために行っているのか?という問いの糸口が少し見えてきたように思われます。演奏者も聴衆も、共に音楽の行方(ゆくえ)に身を委ねるために演じている。こういう聴衆を得た演奏者は幸せです。演奏の不出来は、聴衆によって補完され、音楽が示している何か(魂)に心を注ぐのです。この考え方の基礎には、演奏者と聴衆が音楽という土俵の中で、対等な関係にあることを暗示させます。音楽は、自己と他者(演奏者と聴衆)を包み込む共生社会を生み出しているのだと言うことがわかります。
 あなたは誰のために演奏しているの?それは、音楽を共有し、共に生きるために−。
 【文献】アントニー・ルーリー著,有村祐輔訳 『内なるオルフェウスの歌』 音楽之友社,1995
CHC通信No.37、CHC音楽教室発行、2005年7月

連載「子どもと音楽」(30)
音楽はコミュニケーション

 最近はなんだか幼い子どもの事件が多いように感じます。虐待やいじめなど、その例は少なくありません。しかし、テレビや新聞でそのニュースを見るとき、自分の住んでいるところではない遠い世界の出来事と感じてしまうことがあります。このような事件や問題の背景には、コミュニケーションの希薄化が見え隠れします。斉藤孝さんによれば、「コミュニケーションは意味と感情を共有すること」だと述べています。その方法として、「響き合う身体」を作ることを指摘しています。例えば、目を見る、うなずく、相槌を打つなど(斉藤、2004)。

 私たち現代人は、人と関わるとき、その多くを言葉に依存し、face to faceな機会を軽視しているように思われます。人はお互いの感情が分かち合えたときに、真の信頼関係が築けるのだと言えます。しかし、TVや新聞で事件を知るとき(その意味は理解できますが)なかなか当事者の深い苦悩までは気づけないでいる。
 いじめや虐待は、最初は些細な出来事から生じたのだろうと思われますが、少しずつ気持ちがすれ違ってしまった結果、大きな問題になってしまうのです。繊細な気持ちをうまく伝えられなかったり(表現力の未熟)、相手の気持ちを巧く読み取れなかったりして、心の溝が拡がっていくのです。では、どうしたらよいのでしょう? 斉藤孝氏は、普段の生活の中で、お互いの気持ちを交わす体験の機会を持つことが重要だと指摘しているのです。

 ダルクローズは、巧く歌い演奏できない学生のために、音楽を聴く練習を考えました。仲間と共に動きの中で音楽を聴き、繊細な音楽の変化を判断し、自分のアイデアで(音楽の変化に即した)動きを創り出す−この体験の中に重要な鍵がある、と考えリトミックを考案しました。その体験は、音楽の意味を理解するだけでなく、仲間の考えていることや思っていることが判る(気づく)ようになるのです。リトミックは、周りの人の思いと自分の想い(意味と感情)を分かち合う場なのです。周りの人の気持ちが判ることと、自分の想いをみんなに判ってもらうことは、どちらも大切なことです。
 たくさんの単語を覚えたり、計算を解いたりすること(理解力)も大切だけど、それと同じくらいコミュニケーション(意味と感情を共有すること)は大切な能力なのです。
 【文献】斉藤孝著 『コミュニケーション力』 岩波新書、2004
CHC通信No.37、CHC音楽教室発行、2005年12月

連載「子どもと音楽」(31)
音楽はどんなメッセージを語っているのだろう

 今年の桜の開花は例年よりも早かったようです。この春を待ち望んでおられた方も多いのではないでしょうか?春は入学、進級、昇進や転勤等、大きな変化の時期でもあります。皆様はどのような春をお迎えでしょうか?

 さて、現代は核家族や少子化などによって人との関係性が希薄な時代、と多くの識者が指摘しています。コンビニやインターネットが普及し、生活の利便性は格段に良くなった。その一方で、人と人が対座する機会は少なくなっているのです。その深刻な事態は、子どもを巻き込んだ多くの事件(虐待、家庭内暴力、万引きや自殺など)が物語っています。この病巣には、意思のやりとり(自分の気持ちを正確に伝え、他者の思いを正確に受け止めること)が巧くないという事実があります。これを他人事と放置することはできません。私たち一人ひとりは何ができるのか考えてみることが大切です。

 赤ん坊は周囲の人の気持ちを受け止められない。ゆえに殆どの大人は赤ちゃんの都合を寛容に受け止めている。次第に、人は家族や仲間との様々な関わりを通して、他者の思いに気づき、自分の思いや感じ方との違いを超えて、折り合いをつける術(協調、共創のスキル)を獲得していきます。私たちは様々な場面でこの学習機会を持ち続けていくことが欠かせないのです。

 音楽は、言葉に替わる言葉として、私たちの心にさまざまなメッセージ(意味)を問いかけてくれる不思議な存在です。私たちは音楽との対座を通して(音楽という)見えない音に意味を与え、音楽が見えるようになるのです。心が焦点化され、雑念から開放されている時には、音楽の意味が心に沁みてよくわかる。しかし、心にフィルターがかかっていると音楽が語ろうとする真の意味を掴めない。まるで、音楽は、自分の姿(心)を映し出す鏡のような存在なのですね。音楽と自分との関係性は、そのまま自分と周囲の人との関係性に映し出されていくように思われます。音楽の繊細さや逞しさに気づく人は、他者の気持ちに寄り添うことができるでしょう。音楽の学習は、そういう心豊かな人間を創り出す空間なのです。共に学びましょう。今年度もどうぞよろしくお願いします。
CHC通信No.39、CHC音楽教室発行、2006年4月

連載「子どもと音楽」(32)
気くばりのセンス

 旅をしていますと、駅や乗り物の中で多くの人と出会います。そういう人々の姿をウォッチングするのはとても面白いものです。赤ん坊を連れた夫婦が、幼子をあやしている姿、ホント微笑ましい。周囲の人をも和ませてくれます。読書をしている人、どんな本を読んでいるのだろう。車内や駅のホームなどで携帯とにらめっこしている若者、誰にメールしているのだろう。大声でお喋りをしているグループ、大きな笑い声が響き渡っています。混雑した駅の階段をミュールを履いた女性が大きな靴音を鳴らしてゆっくりと歩いている。何て迷惑なんだ。

 私の場合、車中は読書か睡眠で過ごしますが、そこで気になるのはウォークマンをした人のヘッドホンから漏れてくるシャカシャカという音漏れ。その微弱な音が気になるので席を移動してみるのですが、少し移動した程度ではその音が聞こえてしまう。ああ、うるさいなぁ。微弱であっても、これはしっかり“騒音”と言えます。普段、私たちが親しんでいる吹奏楽やオーケストラでは、大きな音量のときもありますから、騒音は、単に音の大小によるものではないようです。

 では、「音」はいつから“音楽”と“騒音”に分かれるのでしょうか? ウォークマン(の音楽)を聴いている人は、ヘッドホンの中でおそらく大きな音を聴いているはず。それで悦に入っている。一方、周囲の人はほとんどその音は聴こえていないのに煩いと感じる。どうしてだろう?

 おそらく“(自分への)呼びかけ”と感じられないとき、私たちはその音を無意識に排除しようとする心が働いてしまうのではないか。つまり、音に能動的にかかわっているか否かによって、騒音と感じたり感じなかったりするのではないか、と思われます。音を出す人は、このことを意識する必要があります。「音」は何らかのメッセージを発しています。音楽を学ぶ者、いや人は皆、自分の発した音や音楽が周囲の人にどのように届いているのか考えてみることが必要です。これは、周囲の人に対する“気くばりのセンス”に等しいと思うのです。
CHC通信No.40、CHC音楽教室発行、2006年7月
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