連載「子どもと音楽」(5)
「表現」とリトミック


1.「表現」は心の投影機

 ご存じの通り、幼児のものの見方や考え方は、大人のそれとは質的に異なります。例えば、アニミズムや自己中心的な世界観、あるいはピアジェが指摘した感覚的操作や具体的操作に象徴される思考の発達などは、幼児特有の心性を示しています。このような幼児期にみられる心身の特徴は年齢の増加と共に薄れ、心と体は質的変化を遂げていくのです。この変化の過程の中で、彼らが発信するさまざまな表現は、実は心の理解に欠かせないものなのです。つまり、身体の動き、言葉、造形、音楽などを介してあらわにされる表現は、いずれも彼ら自身の“内なる声”を映しだす投影機の役割をはたしているのです。

 私たち大人は、幼児の成長をサポートする大切な役割を担っています。その意味でも、幼児の心身の成長発達のプロセスを意識することは、教育のあり方を検討するときに重要になるのです。幼児の表現は、彼らの心の成長と共にその姿を変えていくのであり、表現活動の評価も彼らの成長の歩みに即して行われることが重要となります。

2.「心と身体の欲求」から表現へ

 一般に、幼児の音楽的表現は「歌う」「ひく」「聴く」「動く」「作る」などに分類されますが、とりわけ幼児にとって最も源初的な表現は身体的な行為に依拠しています。この点について、板野平先生はルソーの言葉を引用しながら「(身体的)欲求が最初の身振りを示唆し、情念が最初の声を引き出した」と述べておられます(注1)。つまり、“心と身体の欲求”が表現を導く、という指摘は表現活動の方向性を明示するものと言えます。

 リトミックの創始者であるダルクローズ(1865-1950)は、20世紀初頭の音楽教育の方法を見直し、音楽教育の中に身体運動(movement)を導入しました。そのアイデアは、前述のルソーに見られるようなギリシャ思想をヒントにしたと伝えられています。すなわち、言葉と動作と音楽を統合した「三位一体」の芸術形式を理想と考えたのです。それは、退屈で感受性の乏しい音楽表現からの脱出をめざそうとするものなのです。

 音楽に限らず、演劇や舞踏などの世界でも、内的事象(心)と身体的動作(身体)が密接に関わり合ったときに、もっともインパクトのある表現となるのです。これは表現教育を考えるときの重要な視座になるのです。

3.心身の均衡化

 ダルクローズは、「(リトミックの目的は)自分自身を表現したいという欲求を心に育むこと」だと述べています(注2)。なぜならば、「深い感銘は力の及ぶ限り他の人にそれを伝えたいという希望を振るい立たせる」からです(同)。内的情動(emotion)があらわにされたとき、それが真の「表現」になると考えられるのです。

 運動を経験した後で、何らかの爽快感を味わったことがある人は多いでしょう。これは、リズミカルな運動経験が私たちの精神的開放を促している証しでもあります。この経験の蓄積を通して、私たちは次第に“精神と身体の一致・調和”された状態に導かれていくのです。この「心身の均衡化」は、我々現代人にとって極めて重要なセンスと言えます。

 ダルクローズは、リトミックの体系化を通して、音楽表現に関わる「緊張と弛緩」の体験を準備し、精神的な充実感(喜びと自発性)にまで視野を拡大していきました。そこでは心と身体を結ぶ「反応力(運動感覚)」の獲得がポイントとなります。このセンスなしでは、音楽的な表現力や心身の均衡化を果たすことは難しいと考えられるのです。

4.時間・空間・エネルギー

 ダルクローズは、音楽と運動に共通する構成要素として、「時間」「空間」「エネルギー」を挙げ、音楽表現にはこれらの間に相対的な関係があることを強調しました(表1参照)。

表1 音楽と運動の関係性
時間
空間
エネルギー
遅い
広い
普通
普通
速い
狭い

 例えば、「エネルギー」と「時間」が決定されれば「運動空間」の大きさが導き出されるのです。従って、音楽を動きに変換していく場合の手順は、その楽曲の音楽構造に示された時間的緩急(アゴーギク)とエネルギーの量を感じ取り、表現に必要な空間の大きさを割り出していくことになります。それは時間の分割と継続時間から導き出される筋肉活動の加減によって達成されます。

 また、音楽におけるアゴーギクは、さまざまな速度の度合で規則正しく、あるいは情緒的に緩やかに音に陰影をつけることでもあります。このようなアゴーギクの変化も身体的運動によって空間的に表現することが可能なのです。アコーギクとエネルギーの漸次的な変化を認識するためには、あらかじめ音楽的要素(リズム、音高、和声、調性等)に対する識別力(聴取力)を持つ必要があります。

 このような内容を初歩段階で試みようとするとき、想像的な活動を行うことは有効な方法です。例えば、強弱に対する感覚を覚醒させようとする場合、幼児に“りす”になったつもりで歩くことで“弱”を、“ぞう”になって歩くことで“強”を体験させることができます。あるいは、山台の上を“ソ”、台の下を“ド”とみなし、台の乗降と音高の違いを理解、体得させることも可能でしょう。このような「エネルギー」と「空間」を関連付けた方法によって、音楽的概念を焦点化させ、音楽的構造とニュアンスの自然な関係を体験することができるのです。

 前述したように、幼児期は、心身ともに著しい変化の見られる時期ですが、とりわけ運動能力の成長は目ざましい。そして、幼児は動くことをとても好みます。まさに幼児は動くことによって多くのことを学習しているのです。言い換えるなら、幼児の表現活動における「動き」の経験は、心身の均衡化(知情意の均衡感覚)を大いに刺激していると考えられるのです。


1)板野平編 1986 保育のための音楽リズム 学術図書出版社 p.2
2)ダルクローズ,E.J.,板野平訳 1975 リズムと音楽と教育 全音楽譜出版社,p.66


リトミック通信第70号(リトミック研究センター発行、2000/3/1)

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連載「子どもと音楽」(6)
再び「音楽」の役割を考える


1.心の耳を育てよう

 ダルクローズは、リトミックの中に3つの柱を置きました。その中心に「リズム運動」を置き、その延長線上に「ソルフェージュ」と「即興演奏」を配したのです。「リズム運動」では、筋肉運動感覚の刺激を通して、ビート感、強弱、速度、リズムの分割と統合などの音楽的概念の獲得をめざします。さらに、そのリズム運動での経験は、聴くことと声の正確さを保つ筋肉感覚とを合わせて、音楽的な進行を制御する活動に発展されます。その結果、和音が心の中に共鳴するようになるのです(ソルフェージュ)。そして三つめの柱に、創造性を顕わにするものとして「即興演奏」を置いたのです。

 このような経験、つまり動きと音楽が組み合わされたさまざまな経験を通して、楽曲に示されたニュアンスを感じ取り(知覚−反応レベル)、心に描かれたイメージを動きに置換するレベル(分析的レベル)へと徐々に高められていきます。

 リトミックにおいて、私たち(performer)は、音楽のさまざまなニュアンスを(ステップや揺れによって)味わい、「音楽を発見するセンス」(注1)に触れるのです。つまり、身体的な動きを通じて(楽器を学ぶ前に)音楽の本質に触れるのです。リトミックを経験することの重要な意味が、このあたりに隠されています。

 一般的に、学習過程は、教師が子どもにその存在を気づかせる段階(教授)と、子どもが自分自身で想像し、身体を駆使し、思考錯誤する段階(学習)があります。例えば、音楽を聴きながらそのニュアンスをステップするなどの動作を経験した後には、指示が与えられなくても音楽聴取とともにステップを想起し始めるようになります。あるいは、さらに一人ひとりの方法で音楽にマッチした動作が創造されるようになるのです。この極めて個人的な経験が一人一人の創造性を刺激するのです。ダルクローズは、このようなセンスを「inner ear」と呼び、心の中で音楽が響くような音楽的センスの獲得をめざしたのです。

2.幼児の成長と発達を読みとる目

 さて、幼児とともに生活している人は、幼児の姿を日々観察しています。その姿を通じて、さまざまな感情(喜びや悲しみなど)を味わうのです。その感情がわき起こるのは、暗黙のうちに幼児の成長・発達を予想しているからに他なりません。しかしながら、幼児の成長や発達は、幼児自身が掴み取るものであって、大人が分け与えるようなものではありません。あくまでも、大人は子どもとともに試行錯誤するパートナー、という認識が大切だと思います。そこで、ここでは幼児の姿を読みとるときのいくつかのポイントをあげてみたいと思います。

 幼児の「心情」「意欲」「態度」に着目することです(注2)。幼児はいまどんな心の状態でいるのか? その観察を基礎にして、幼児が「意欲」をもって遊びや学習に参加するためには、どのような手だてが必要なのか考えるのです。

 例えば、幼児が遊びに参加しようとするとき、一般的に行動に先だって傍観的な姿がみられます。そのときの幼児の心情はどうか? 不安なのか意欲に満ちているのか? 遊びに意欲的に参加できそうか? チャレンジしたときにどのような行動が予想されるのか?やり遂げられるか、あるいは途中で挫折するか?−など。心の姿に応じて、その関わり方はさまざまと言えます。

 幼児の音楽行動は、それぞれの年齢で特徴があります。例えば、一般的に3歳児5月頃は、音楽の休止に対してあまり注意を注ぎません。あるいは、音楽の休止に気づいていても、なかなか動きをコントロールされないでいることが多いようです。しかし、遊び感覚に彩られたやりとりを通して、徐々に音楽の「動と静」に耳を傾けることができるようになったり、体をコントロールすることができるようになったりするのです。このとき幼児は成功感を味わい、勇気と自信を抱くようになるのです。特に幼い子どもの場合は、興味関心、能力、資質に応じた柔軟な関わりが必要なのです。

 概して、幼児の成長発達を無視した関わりは、大人の性急な要求に基づくものですが、それは幼児を音楽から引き離してしまうようです。しかし、このことは幼児の知的欲求や感覚トレーニングの機会を必要としないという考えと直接的に結び付くものではありません。むしろ、幼児期には「遊び」を充実・発展するための空間を積極的に準備していく必要があると考えます。そこでは、遊びの感覚を失わない方法で、しかも生活に密着した具体的な事象を取り入れることがポイントとなります。例えば、単に歩行を止めたり進んだりという遊びよりも、フープを用いてその中に入ったり出たりの方がより楽しめますし、単に音楽に合わせて歩くだけよりも、動物の模倣によってより積極的な参加を見ることができるのです。フラッシュカード(注3)や物語化することも効果的な方法と言えます。

3.愛情を基礎にして

 音楽を学習する過程に身体運動を導入したダルクローズのアイデアは、最も基礎的な音楽経験を付加した点で注目されます。この点については、ブルーナーも同様の立場を表しています(注4)。

 多くの皆さんが既にご経験のように、幼児一人ひとりの実態(理解や反応)に相応した最適な「遊び」を生み出すのは容易なことではありません。その意味でも(平凡な表現なのですが)子どもの目の高さで見ることは重要な態度と言えます。言い換えるなら、一人ひとりの幼児が向けている注意(興味)の対象は何なのか、幼児は何を欲しているのか、幼児に今何を感じ取らせる必要があるのかなど、私たち大人の感性と理解に委ねられたところは少なくないのです。
 温かい愛情をいっぱい受けた子どもは、温かい人になるのです。子どもたちが“心豊かな人”として明日を生きるために、私たちに与えられた役割は大きいのです。


(1)一般的に「センス」は「感覚」と訳されますが、ここでは知覚-反応レベルから分析的レベルに至る全体をさしています。
(2)「態度」は一人ひとりの能力や資質、方法などの総体と言えます。
(3)これは、リト研でも使われている種々のカード類を意味しています。皆さんご存じの通り、カードを「パッとみせる」ような使われ方をすることが多いようです。
(4)ブルーナーは3つのタイプの学習行動を分類しました。行動を通して習得される行動的把握(enactive mode)、視聴覚や筋肉などの知覚器官と記憶想像力を通して学習される映像的把握(iconic mode)、そして言語や記号を通して学習される記号的把握(symbolic mode)です。
詳しくは、アロノフ著,畑玲子訳「幼児と音楽」音楽之友社,1990,p.23 を参照してください。


リトミック通信第71号(リトミック研究センター発行、2000/5/1)