「おわりに」にかえて
 
 地球は小さくなったかのように感じるけど…
 
 いま、私たちは情報化の社会の中で暮らしています。はるか昔では、隣村の話題が伝わって来るにも何日も要したようです。文字の読めない人も少なくなかった。とにかく、自分の足で地を踏みしめて自分で動くしか方法はなかった。まさに自給自足の世の中だったのです。
 時代は流れて、現代の社会は、テレビやラジオなどで家庭の中にいても内外のニュースが即座に飛び込んできます。インターネットや電話などで、国を越えて話しをすることも可能です。国際線の飛行機がローカル飛行場から発着したり、新幹線や高速道路などの充実もその歩みを速めています。世界は確実に小さくなり、人と人の距離はますます狭くなってきているように思われます。
 このような劇的な社会変化の中で私たちは必死に生きているわけですが、そこでの大人の姿は子どもたちにも確実に影響を与えています。子どもの遊びは情報化と縁遠いようにも思われます。しかし、そこにも確実に情報化の波が感じ取ら取られます。たとえば園内では「携帯電話ごっこ」がみられますし、皆で段ボールでテレビを作って遊んでいるとそのスイッチはガチャガチャではなくて「ピッ」です。友だちと遊ぶときは電話で「アポとってからァ」でないと遊べない様子で、子どもの口調は「○○みたいなかんじィ〜」。こんな様子です。子どもはしっかりと情報に浸かっています。子どもは大人社会の鏡です。
 一方の大人はどうでしょうか。“公園デビュー”という言葉が代表しているように、大人が人(他者)との関わりを敬遠してしまう状況も少なくないようです(核家族や少子化の影響か?)。人と関わることを避ける徴候がある。
 とは言いつつも、人は誰もが気心を許せる仲間が欲しい、一緒に遊びたいと思っている。その関わりの中では喧嘩も絶えませんが、やはり一緒に遊ぶと楽しいのです。だけど、大人は病んでいる。歳を重ねるに従って人との関係で疲れてしまう人が増えている。つまり、本来身近であるはずの人との距離が遠くなっているように思われるのです。
 インターネットも素晴らしいけれど、その間接的な関わりに支配されるのではなく、幼い時期からのさまざまな直接的な体験が判断の基礎になることが大切だと思います。そして「隣は何をする人ぞ」ではなくて、まずは隣の人と心を交わしていくことがとても大切だと思うのです。


 


 本書は、広島文教女子大学附属幼稚園発行の『えんだより』(平成6年4月から平成9年3月まで)、そして既刊の『月刊保育計画』(チャイルド本社)、その他に掲載した筆者の文章を基にして、大幅に加筆・修正を加えて再構成したものです。



《協力》
広島文教女子大学附属幼稚園の先生(敬称略、順不同)
武田学千、野地民江、上森佳美、後藤美緒子、山下由美、清水由貴、川本真理子、上船津雅美、
今口智夏、田中百子、土居衣子



2005/1/30記
《著者略歴》  神 原 雅 之 (かんばらまさゆき)

 昭和27年、広島県生まれ。国立音楽大学教育音楽学科第U類(リトミック)卒業、広島大学大学院学校教育研究科修了(教育学修士)。
  広島文教女子大学で助手、講師、助教授、教授(平成6年4月から平成9年3月まで、広島文教女子大学附属幼稚園園長補佐を併任)を経て、平成16年4月から 国立音楽大学教授、広島大学非常勤講師、広島音楽アカデミー主事、ほか。
 日本ダルクローズ音楽教育学会理事、日本保育学会会員、ほか。公民館等の幼児教育講座や、幼稚園・保育園などでの親子教室、リトミック教育などの講師としても活躍中。

 主な著書 『リトミック研究の現在』(開成出版)、『ダルクローズ教育法によるリトミック・コーナー』(共著、チャイルド本社)、 『イメージ音楽で遊ぼう』(共著、フレーベル館)、その他多数。

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