【有形文化財】

光明寺薬師堂
【明光寺薬師堂】
市指定重要有形文化財
●所在地:安佐北区深川四丁目5−18
●指定年月日:昭和61年3月25日
●概要:桁行8.23m、梁間8.23m、二重、入母屋造、銅板葺

   木造薬師如来坐像を安置する明光寺薬師堂は、過去に度々氾濫をくり返した三篠川の河岸に建っています。この薬師堂は、経年の傷みが激しかったため平成5年に保存修理がおこなわれました。この時の調査において、須弥壇(仏壇などを安置する壇)の下に墨書が見つかり、建物の創建が天文8年(1539)であることが判明しました。さらに、今日に至るまでに、宝暦13年(1763)と文政6年(1823)の2度にわたって大きな修理が実施されたことが、同じく墨書により明らかになりました。
   このように、長い年月を経た建物は幾度かの修理を受けていますが、その時に改造を受ける実例も少なくありません。この薬師堂の場合も、上層茅葺、下層柿(檜などを薄く剥いだ板)葺であったものが、上下層とも瓦葺きに改められていました。そして、正面入口が本格的な禅宗様の扉から一般的な板の扉に、また両脇の入り口の位置も改められていました。その上、間柱(柱と柱の間に補足して立てる部材)も追加されていました。
   この宝暦と文政年間に行われた改造により、外観は江戸時代の建物の雰囲気をかもしだしていましたが、平成5年の修理では可能な限り創建された時代である室町時代の姿に復元されました。地元の人々に親しまれ、度々の修理の手を加えられながら今日まで守り伝えられてきた薬師堂は、平成の大修理を経て今後も市域における数少ない室町時代の建物として、後世へと継承されていくことでしょう。


西八幡神社本殿
【西八幡神社本殿】
市指定重要有形文化財
●所在地:安佐北区狩留家町583 西八幡神社
●指定年月日:平成7年5月10日
●概要:桁行4.4m、梁間4.2m/三間社流造、銅板葺

   JR芸備線狩留家駅の西方、三篠川の西岸に西八幡神社はあります。ここ西八幡神社の本殿は残っている棟札から、江戸時代の中頃にあたる元禄10年(1697)の建立であることが判明しています。また、この棟札の裏には、江戸時代の終わり頃にあたる文政2年(1825)に広島藩が国郡誌作成のために行った調査において、これが本殿の再建に際して奉納されたものと判断したことが記されています。
   本殿の建物自体に目を向けると、元禄時代の建立でありながら、室町時代の建築様式の特徴を有しており、一部に室町時代のものと考えられる部材を有していることから、室町時代に存在した旧本殿を模して建築したことが推定されています。
 広島市域内では、室町時代の建築が現存している事例は少なく、神社建築にいたっては現在のところ確認されていないことから、室町時代から江戸時代にかけての推移を示す貴重な遺構といえます。


西八幡神社拝殿
【西八幡神社拝殿】
市指定重要有形文化財
●所在地:安佐北区狩留家町583 西八幡神社
●指定年月日:平成7年5月10日
●概要:桁行6.9m、梁間4.9m、入母屋造、桟瓦葺


   西八幡神社拝殿は、棟札により江戸時代の終わりごろにあたる弘化4年(1847)の建立であることが判明しています。
   この拝殿の特徴は立木をそのまま柱に利用しているところにあり、参道を登ってまず目にする拝殿が周囲の自然とよく合致して味わいの深いものとなっています。

木造薬師如来坐像
【木造薬師如来坐像】
県重要文化財
●所在地:安佐北区深川四丁目5−18 明光寺
●指定年月日:昭和46年4月30日
●概要:寄木造、漆箔、像高270cm、膝張237cm、肩張145cm


   三篠川北岸にある明光寺の仁王門をくぐっていくと、本堂の左奥に薬師堂があり、薬師像はその堂いっぱいに鎮座しています。
   あぐらをかくように座る結伽趺坐、手のひらを前にして右手をあげ、左手で薬壷を受ける典型的な薬師如来像の姿です。今では薬壷は失われていますが、左右の月光菩薩、日光菩薩の両脇侍が薬師如来であることを示しています。
   
坐像としては市内で最も大きなこの薬師像は寄木造りで、像の各部分は鉄製のカスガイによって継ぎ合わされています。また像の表面には、漆を塗った上に金箔を置く漆箔という技法を用いており、胸のあたりにわずかに残る金箔が、かつての華やかな姿をほうふつとさせます。寺伝によると、もともとこの地には牛尾山正明院という大寺院があったのですが、福島正則の時代に寺領を没収され衰退したと言います。現在明光寺の一隅に残されている薬師堂もその正明院にあったものです。
   この薬師像は昔から人々に「オヤクッサン」と親しまれ、毎年5月8日の開帳の日には、多くの参詣者で賑わったと伝えられています。なお、平成6年から行われた保存修理で、後頭部から墨書が見つかり、この像が享禄3年(1530)の作であることが判明しました。


銅製梵鐘
【銅製梵鐘】
市指定重要有形文化財
●所在地:安佐北区深川二丁目19−34 善徳寺
●指定年月日:昭和54年3月12日
●概要:総高132cm、口径78cm

   上中下の三段の輪を造り、それを継ぎ合わせて造られている鐘です。胴の中帯のき部分に十一体の仏の坐像を、また駒の爪に蓮華の花びら模様を浮き彫りにするなど、珍しい技法が用いられています。胴の一部分に刻まれている銘文によれば、この鐘は寛永11年(1634)に白神社の神女伊勢が、廿日市の鋳物師山田次右衛門に鋳造させ、白神社に寄進したものだそうです。
   ところで白神社の鐘が、いつごろ善徳寺に移されたのか、はっきりしたことはわかりませんが、広島出身の儒学者香川南浜の著著『秋長夜話』などによると、造られて数十年ほどで、すでにこの寺に移っていたようです。
   その後、約三百年という長い歳月の間、この鐘は近郷の村々に美しい音色を響かせてきました。かつては善徳寺の前に船宿があり、三篠川を往来する川船の船頭さんたちが鐘の音に合わせて歌を作り、のどを競いあっていたという、のどかな話も残っています。


【史跡】
恵下山・山手遺跡群
西願寺山墳墓群
【天然記念物】
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