第二章 生活のリズムを作ろう

【4月】
 入園の日に
 
 園庭の隅っこにある桜の木に小さな花もほころび、新しい年度の始まりに彩りを添えてくれています。新入園児のみなさん、御入園おめでとうございます。そして在園児のみなさん御進級おめでとうございます。ご家族の皆様のお喜びもさぞかしのことと思います。
 さて、本学園では「心を育て、人を育てる」という建学の精神を柱に教育実践を行っています。幼稚園では『元気いっぱい笑顔いっぱい』をスローガンに、子どもたち一人ひとりが「自ら考え、自ら判断し、そして自ら行動する」心豊かな子ども像を願いながら、子どもたち一人ひとりの歩みに沿いながら、ともに生活していきたいと思います。そして子どもたちにとって、幼稚園が楽しい「遊び(=学び)の場」と感じられるような空間作りに努めてまいりたいと思います。どうか皆様の格別のご理解ご協力を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。


 生活のリズムを作ろう
 
 子どもの生活は「遊び」そのものの中にあります。一人遊びや仲間遊びの充実の中で、多くの事柄を学ぶのです。たとえば、遊びの中で自分の気持ちを表現したり、相手の気持ちを感じ取ったりします。また、さまざまな形、数、音、色、重さ、質量などの違いやその変化の面白さを味わい、それを手がかりにしてさまざまなことを感じたり、想像したり、その意味を理解したりします。こうして幼児は「遊び」ながら、心も身体も成長していくのだと考えられます。その遊びの充実を支えているのは、子どもの周りを取り囲んでいる人や物の存在です。環境による教育の重要性が叫ばれているゆえんでもあります。
 その基礎にあるのは「生活のリズム」、とりわけ早寝早起きと食事のリズムです。これらは見えない力で遊び(学び)の充実に影響を及ぼしているのです。
 
 (1)早寝早起きの習慣を
 とりわけ新入園児は、慣れない幼稚園での生活に直面して、大人が想像する以上に緊張しています。また、既に在園している子どもたちも、春休みの生活から園での生活リズムを取り戻すのに、あるいは新しい友だち作りにいささか緊張気味です。子どもも大人と同じように、新しい生活に入った当初はいろいろと気疲れするのです。
 生活のリズムがつかめるまでは、普段よりも早めに寝床に着いて睡眠時間を十分にとるようにしてあげてください。そして、特に今月はご家庭で「早寝早起きの習慣」作りに努めていただきたいと思います。一つの目安として、8時頃には就寝し、朝7時前には起床を!(夜8時以降は大人の時間として有効に使いましょう)。この習慣作りにはご家族の協力が欠かせません。添え寝などしながら「早寝早起き」に辛抱強く取り組みましょう。言い伝えるだけでなく大人が一緒に行動してあげましょう。
 この習慣作りのためには、とりわけ環境の変化の著しい4月の過ごし方がポイントとなります。睡眠を十分にとれるようになったら、すがすがしい目覚めとなり、爽やかな朝のスタートがとれるようになるでしょう。子どもたちの遊びの充実は、この朝のスタートに隠されているように思われます。
 
 (2)食事のリズム
 もう一つは、食事のことです。大切なのは朝昼晩ちゃんと食事をとることです。特に朝食は一日の活動エネルギーの源になります。「腹が減っては戦もできず」と申します。朝食を欠かさないようにお願いします。朝食を美味しくいただくためにも、早寝早起きが大切なのです。
 幼稚園からご家庭に帰ってきた後のおやつにもご配慮をお願いします。間食や清涼飲料水をとりすぎて、夕食が美味しく食べられないという子はいませんか?
 
 食事のリズムも、生活のリズムを生み出す大切な要因となっているのです。
 子どもたちの遊びの充実のためには、ご家庭で、生活のリズム作りにどのように取り組むか、が鍵をにぎっているのです。
 大人の社会でも、この時期は周囲のさまざまな環境の変化に出会います。子どもたちが生活リズムを掴めるようになるまでは、(子どもの)体力や能力などを考慮しながら、ゆとりのある生活リズムを生み出すようにご配慮願います。別の言い方をするなら、これは私たち大人の生活リズムの点検でもあるのです。
 
 園庭に歓声がこだましています。
 
 先日はご多忙中にも関わりませず、入園式・進級式に御出席を賜り、誠にありがとうございました。春休みで園が静まりかえっていたときとは一転して、あの日から園の中に活気が戻ってきました。やはり幼稚園はこれでなくちゃ。
 進級したお友だちは、久しぶりに再会してひと回りもふた回りも大きくなったように感じました。新入園のお友だちもしっかりとお話が聞けて、お返事もうまくできています。先生にしっかりとお話をしているお友だちもたくさんいます。
 しかし、クラスの中の何人かは、登園の時にお母さんの後姿をうらめしそうに見たり、後を追いかけて行く姿も見られます。そういう子どもたちを引き留め、抱き抱えていますと、何だかこちらが悪いことをしているように思えるときもあります。まだまだお母さんの所が一番安心できるのでしょうね。でもこれも、しばらくしたらおさまるだろうと思います。
 そのような不安そうな表情をみられたときには、お家の方で「必ず○○時にお迎えにくるからね」と安心をさせてあげてください。そして、約束したらお迎えの時間を守りましょう。子どもにはお母さんのいろいろな都合などまだわからないのですから。
 この4月、特に新入園のお友だちには、生活環境の変化に伴って生じる「不安な気持ち」を取り除いてあげること。まずはこのことから取り組んで行きましょう。
▲top
 
 お弁当が始まります。
 
 午後保育の開始から、各クラスで(あるいは園内で)お昼をいただきます。お弁当を持参していただくことになります。どうぞ御協力ください。
 そのお弁当につきまして、いくつかの気付きを書いてみました。お弁当作りの参考にしていただけましたら幸いです。
 (1) 全てのものに名前を記入してください。
 (2) 食べられる量を考慮しましょう。家であまり食べないから、園でなら食べるだろうと思うのは一考が必要です。弁当の分量は、始めは少な目でお願いします。
 (3) 弁当包み(四角い布)は、今は結べなくても結構です。少しずつ結べるようになると思います(時にお家でも、結ぶ練習をしてみましょう)。できるようになるまで、ゆっくりと見守ることにしましょう。
 (4) 例年見られることなのですが、たとえば、ご飯の上にそぼろやグリーンピース等をのせたものは、見た目にはきれいですが、ポロポロと食べ難いようです。ご家庭でもその様子を見てみてください。余りにも難しいようでしたら、お弁当作りに工夫をお願いします。要は、自分の力で全部食べられること、始めは自信をもつことが大切なのだと思います。
 (5)園だったら何でも食べられるからといって、嫌いなものばかり入れても偏食の矯正にはならないようです。これを長く続けると、弁当嫌いになってしまいます。
 毎日のことなので、「弁当作り」には気を遣われることと思います。でも、子どもたちにとっては、大好きなお昼の弁当の時間なのです。楽しく食べられるよう格別のご協力をよろしくお願いいたします。
 
 本当は僕も泣きたいんだよ
 
 すっかり春めいてきました。吹く風はとても爽やかに感じられ、時には汗ばむほどです。新入園児は、初めての集団生活に大きな戸惑いを感じながら過ごしているように思われます。子どもたちも、「ちょっと家とは勝手が違うぞ」なんて思っているのでしょうね。
 特に4月は、大人も子どもも共に猫の手も借りたいほどの毎日が続きました。たとえば、幼い子どもたちは靴を脱いで部屋にはいるまでに一苦労。部屋にたどり着いて自分のロッカーにカバンを置くのにまた一苦労。そのことを泣いて訴える子がいれば、その傍らで立ち尽くしてみんなの様子を傍観している子がいます。はたまた、登園したばかりなのに、カバンを肩にかけたままさっそくアスレチックに登りはじめる子。お母さんと離れるのが嫌で母の後姿を追う子ども。いろいろです。
 そうした中で印象的だったのはYくんのつぶやいた一言です。泣いている子のそばで「本当は僕も泣きたいんだよ。でも僕泣かないよ」と。心の中はとっても不安なんだけど、どうにかして園生活にとけ込もうとしている前向きな気持ちをよく表しています。この姿、大人には当然のように映る行動ですが、Yくんのこの気持ちを大いにほめてあげたいと思います。子どもだってみんな頑張っているのです。
 前述した子どもたちのさまざまな行動は、いずれをとってもごく自然な姿であるように思います。特に、この時期の一人ひとりの行動はバラバラで、統制はとれていません。しかし、このような一人ひとりバラバラの生活を通しながら、子どもたちは少しずつですが、登園から降園までの生活の流れを感じ取り、自分の遊びを見つけて楽しんでいます。
 気候がよくなった4月下旬頃からは、例年通り「どろんこ遊び」が自然発生的に見られるようになりました。スコップを手に、夢中で砂を掘り返している子。その友だちのスコップが使いたくて、ついつい手が出てしまって喧嘩になることもたびたびです。
 家庭の中で、あたたかい温もりの中で生活してきた子どもたちにとって、幼稚園での集団生活は「面白い」と感じられると同時に、自分の思い通りにはいかない(厳しさ)ということも感じ取っているのです。そうした仲間との関わり(遊びや生活)を通して、子どもたちは、生きる力、逞しさ、知恵、思いやりの心などを学び合うのだと考えられます。遊びを通して、お互いの気心が通じてくれば、仲間意識や意欲が芽生えてきて、共に遊ぶことの喜びも持てるようになるでしょう。この時期の子どもたちは、安心できる場所探し(遊び探し)をしているのです。子どもも大人も共に焦りは禁物です。一人ひとりの行動を温かい目で見守りながら、一人ひとりの遊び探しにそっと手を添えていきましょう。
 
【5月】
 さわやかな5月の風と緑に触れてみよう
 
 5月の風は爽やかで、緑も初々しい。とても気持ちのよい季節となりました。この時期は大いに外に出て、優しい空気を身体いっぱいに吸い込んでみましょう。そうすると、心も身体も伸び伸びとしてきますから不思議です。
 ところで、一人一人の子どもたちは、最近どんなことに興味関心を向けているでしょうか。お絵描き? ままごと? サッカー? 歌? あや取り?。いろいろでしょうね。それらの遊びの中で、子どもたちが「無心(夢中)」になって一つの事に取り組むこと、このことはとても大切なことです。子どもはその中でさまざまな違いに気付いたり、何かを想像したり、考えたり、操作の方法を獲得したりするのです。ご家庭でも、このような(心を一つにしている)場面を大切にしてやって頂きたいと思います。
 しかし、その自由な場を尊重する余りに、基本的な生活のリズムが侵されてしまうのも考えものです。自由な思考や想像の場も、明日の生活に支障を及ぼさないことが肝心で、そのための適切な援助(配慮)が必要だと思われます。楽しみを、明日まで大切に取っておくことも、生きるエネルギーになるのですから。特に、子どもたちは、規則正しい生活のリズムの中で、心も身体も自由になれるのだと思います。夢中に遊ぶことと生活のリズム、このバランスがポイントです。
 5月の爽やかな空気に触れると、気分もリフレッシュ。また一つ、面白いものに出会えるかも知れません。たとえば、葉っぱ。一見、同じように見える葉っぱも、微妙に色や形や大きさなどが異なっています。肌触りもいろいろでしょうね。ここはひとつ連休のひとときを利用して、子どもと一緒に「葉っぱ探し」に出かけてみませんか?
 
 連休明けの子ども達の姿
 
 5月の連休はいかが過ごされましたでしょうか。家族の憩いの時間にされたり、あるいは休養の時間や、田舎の手伝いなど、それぞれに有意義に過ごされたことと思います。
 さて、昨日5/6は連休明けで、しかも終日保育(午後まで保育のある日)の初日でした。お弁当も始まりました。
 そういうわけで、昨日は再び4月当初の不安な子どもたちの様子が見られるのではないか、とちょっぴり心配していました。しかし実際には、そうした私たちの気持ちとは反対に、多くの子どもたちは伸び伸びと遊んでいました。とても嬉しく思っております。
 そうした中で、(予想したとおり)何人かの子どもたちは、午前保育の習慣からか、お昼頃になると「もうお家に帰りたいよ」と言ってぐずったり、眠そうな顔つきでちょっと泣き面の子どもたちの姿があったのも事実です。しかし、これも新しい生活のリズムに慣れれば(生活の流れに見通しがつくようになれば)このような姿も無くなっていくだろうと思っています。しっかり遊んで、もう少し体力がついて、そしてもっと面白い自分の遊びが見つかれば、午後の生活も楽しめるようになると思います。
 さて、今日のお弁当初日の様子をお知らせします。多くの子どもたちはこのお弁当を「とても楽しみ」にしていたようです。その意気込みがその準備に感じられました。みんな「おいしかった」と満足そうでした。
 このお弁当の準備では、4歳・5歳児クラスから3歳児クラスに、お手伝いに出かけるようにしています。3歳児にお茶を配ったり、お弁当を開けるのを助けたりして、実にこまめにめんどうを見てくれています。おそらく、お手伝いの人(4・5歳児)は大きな充実感を味わっただろうと思います。
 新入園児の皆さんには、初めてのことで戸惑いもあったことと思いますが、とても前向きに関わっていました。ご安心ください。
 ここ最近はとてもよい5月晴れが続いて、園庭のこいのぼりも気持ちよさそうに泳いでいます。でもちょっと汗ばむほどの陽気です。こんなに暑いと、気分もだれてきます。ときに、遊びにうまく参加できなかったりすると“気分はブルー”にもなりやすいし、また気分の冴えないときには、注意力も散漫になりやすいものです。怪我や事故の予防には、くれぐれもご留意ください。
▲top
 
 自信と勇気とやさしさ
 
 子どもたちの遊びがかなり活発になってきました。生活のペースをかなり掴めてきたのだろうと思います。「片付けたらお弁当だよね」と先生のところに確かめに来る子どもたちの言葉がそれを裏付けています。生活に「見通し」が出てくると、心も身体も元気で、穏やかになれるのでしょう。
 その傍らで、まだ気持ちが落ち着かないで不安な表情をした幼児もおります。でも、他の人の遊んでいる様子には感心があるようです。
 たとえば、まだ人の遊んでいる姿を指をくわえてみていることが多いAちゃん。おそらく、どのようにしたら一緒に遊べるのか、そのきっかけがつかめない様子です。できるだけ大人の手を借りなくても、友だちと一緒に遊ぶことができるようにと願って、私たち保育者はその子どもの姿を見守るようにしていますが、どうしても大人の援助が必要な時もあります。そうしたときに大切なのは、最初のきっかけ作りだと思います。実は、「(遊びに)入れて〜」の言葉(あるいは気持ち)を表現するのがなかなか難しいものなのです。
 4月のKちゃんは、お母さんの姿が見えなくなると泣きじゃくって、もう大変でした。手のつけようがありませんでした。毎日、お母さんと一緒に歩いて通園しています。門の前までは楽しくやって来るのですが、お母さんとの別れの瞬間が近づくと涙が出てくるのです。それでも最近は園生活にも少し慣れてきたようで、砂場で遊んだり、小鳥のしぐさを見たりして、楽しい時間を過ごせるようになってきました。最近では、紙芝居が気に入ったらしく、帰りの会の時に読んでもらう紙芝居を楽しみにしながら、午後のひとときを過ごすのです。Kちゃんは紙芝居が待ちどおしくてたまらないのです。紙芝居が始まる前は、椅子を用意したり、身支度をしたりするのがとても上手にできるようになってきました。
 このように、自分の興味感心のある事柄を持てることはとても大切なことです。その興味や関心をきっかけとして、その前後に付随するさまざまな生活スキルが、興味・感心の後を追うようにして獲得されていくのです。そのときにできたことの喜びは、まわりの人に「見て欲しい」のです。しっかり認めて、誉めてあげたいものです。
 自分たちで遊びや生活を推進できるようになってきたら、今度はそっと温かく見守ってあげることがポイントでしょうね。子どもたちは、「自分は何でもできる」「私は一人前」という気持ちを持っています。その思いを大切に育み、「自信と勇気」を育てたいと思います。それはやがて、優しさや思いやりの心となっていくことでしょう。
 この時期の幼児には、「孵化の温もり」が必要なのです。能動性や自発性も、最初の一歩は温かいまなざしで包みこんで、一人ひとりの思い(願い)を誘いだしてあげることが必要であるように思われます。 
▲top
 
 5月の参観日を終えて…「親の願い」から
 
 5月の参観日には、多数の皆様にご来園を賜り、誠にありがとうございました。子どもたちは、保護者の皆様の来られるのをとても楽しみに感じていたようです。その姿を見て、とてもほほえましく思いました。
 さて、その後には皆様から連絡帳を通して沢山のご感想を頂戴しました。ここで、その中から幾つか代表的なものをご紹介させて頂きたいと思います(順不同)。
・同じ友だちとばかり遊んでいるようなので、いろいろな友だちと関わって欲
  しい。
・自由遊びの時、お友達と関わりながら遊んでいたので安心した。
・家でも、折り紙遊びをしたいなと思った。
・クレヨンの殴り描きは、3歳ならではという感じでとても楽しかった。
・家でも園でも変わらない様子だった。←→家と違う様子がたくさんあった。
・バスの子、近所の子とばかり遊んでいるので、クラスの子とも遊んで欲しい。
・家族みんなで楽しめた(土曜日)←→お父さんも子どもの様子を知りたがっている。
・子どもの絵を見れて嬉しかった。家で描いたのとは違っていてびっくり。
ご家庭でお気づきの事など教えてください。
 
【6月】
 心の芽を伸ばしたい
 
 梅雨の時期になりました。田植えの済んだたんぼでは、か細い苗が水面に沈みそうで必死に上に伸びようとしているように見えます。夜になると蛙たちが合唱をはじめるのは、か細い苗たちを一生懸命に応援しているのかもしれません。
 先日、子どもたちと一緒に芋の苗植えをしました。子どもたちは、土の中で芋が大きくなるようにと願いながら、やさしく土をかけたり、水をあげたりしました。
 園では、子供達が仲間とかなり溶け込んできたように思われます。「○○先生はどこにいるの?」「○○くんとリレーするの」など、人との関わりを自から求める行為があちこちにみられます。とてもよいことだと思います。心の芽が伸びているのです。 このような積極的な行為の見えているときはよいのですが、気になるのは子どもたちが消極的になったときです。そのようなときには、先生や友だちなどから「(自分は)見守られている」という実感が不可欠なのだと思います。安心感が、いろいろな行為を促し、遊びを想像するきっかけとなるのです。そのためにも、自分の思い(意志、心の芽)が表に出せるような場作りを園でも家庭でも心がけたいと思います。
 
 何気ない気遣い
 
 子どもたちは、砂遊びが大好きです。丁度、昨年のこの頃にも見られましたが、きまって雨降りの次の日は、砂場に溜った水でダイナミックな遊びが始まります。スコップで川の流れを作ったり、雨水を含んだ土でお団子を作ったり、それはみているだけでも楽しくなってきます。先月のある日、その砂場でとても嬉しい出来事がありました。
 この日、砂場に水は溜っていなかったのですが、それでも「雨降って地固まる」の諺にあるように、本園の砂場は“固場(かたば?)”と化していました。Aちゃんの様子が気がかりだったG先生は、彼女を誘って砂場に行ったのだそうですが、案の定、砂場の土は固かった。その状況を前にして、先生は鍬を取り出し、砂を掘り返し始めました。最初は、固くてなかなか鍬の歯もたたないほどでしたが、それでも徐々に砂はやわらかくなってきました。たまたま通りかかった保護者の方が一緒に手伝ってくださっていると、あっという間に「何してるの?」などと言いながら子どもたちの群れができあがりました。もう、その後は皆さんの予想通り。子どもたちは「僕、手伝うよ」「私も−」というわけで、小さな手で土を掘り返し始めました。「山を作ろう」ということになり、この時にはこれまでに見たこともないような大きな山ができました。もちろん、その輪の中にはAちゃんもいたようです。
 しばらく遊んだところで、お片付けの時間になり、その大きな山をどうするか(つぶすか、そのままにしておくか)子どもたちの間で議論が始まったそうです。結局のところ、子どもたちの手で元の状態に戻したようですが、このダイナミックな遊びの経験は、きっと子どもたちの心の中に充実感や満足感となって残ったことと思います。
 このときのG先生の何気ない行為がとても重要なのだと思います。そして同時に、子どもたちはとても逞(たくま)しいと思います。ちょっとしたきっかけさえあれば、その後はもう自分たちの持てる力(心と身体)を出して、大人の想像を遥かに越えるパワーで遊べるのです。
 その同じ日、園庭の隅の太鼓橋のところでは、子どもたちが何やら基地らしきものを作っていました。太鼓橋は橋にかかっている網をわたったり、下をくぐったりするもの。この日の子どもたちは、それを別の椅子や机などと組み合わせて、別の意味在るものに変えて遊んでいました。先生方が、何気なく椅子や机を近くに置いていてくださったのだと思いますが、このような何気ない気遣いが、子どもたちの、人やものとの新たな関わりを促し、遊びを育み、イメージを豊かにするきっかけとなっているのだと思われます。
 今でも、この日の出来事を思い出すと、なんだか嬉しくなってくるのです。
 
 テレビと賢くかかわろう
 
 私たちは、生活の端々でテレビを見る機会があります。子どもたちも例外ではありません。自由に見たいときに見る人、あらかじめ好きな番組だけ選んで見る人、テレビをつけっぱなしで横目でみる人、全く見ない人、その他。皆さんはどれでしょうか?ここでは、このテレビ視聴について一緒に考えてみたいと思います。
 ゴールデンタイムというのは、夜8時台の時間帯を指すのだそうですが、この時間帯には、各テレビ局は大人向けの番組を並べて視聴率を競っています。その一方で、子ども向けの番組は、朝は7時頃から午前中に、そして夕方は5時頃に集中しているようです。これにもいろいろな意味が含まれています。一つには、子どもたちの多くが家にいて、無理なくテレビの前に座れる時間帯だと言えます。
 テレビはさまざまな情報を知らせてくれるとても便利なメディアです(最近では、レンタル・ビデオも簡単に入手できたりして、欲しい情報を容易に得ることができます)。また、テレビは日常の生活では体験できないような異次元の世界を覗いたり、異文化に触れたりするための貴重な機会を提供してくれます。諺にも「百聞は一見にしかず」と言われるように、視覚的な情報は聴覚的なそれよりも理解が容易であると言えます。かくして、テレビは多くの子どもたちをその場に釘付けにしてしまうほど、便利で魅力的な存在なのです。
 だからといって、テレビ漬けになって“他のことは何もしない”とか“他に魅力を感じることがない”というのも困ったものです。
 批判的にみるなら、テレビは概して一方的に情報が提供され、それを見ている人は与えられる情報に気持ちをゆだね易いのだそうです。そして、テレビ番組は、限られた時間の中でまとめなければならないゆえに、一人一人の理解のスピードを十分に考慮できないという限界もあるのです。さらに、テレビは、視覚的・聴覚的な情報は多く得られますが、触覚的(動的)・味覚的・臭覚的な情報までは感じ取られません。汗を流したり、素肌で感じ取られるような直接的な経験や試行錯誤の機会はどうしても希薄になってしまい易いと言えます。
 テレビの持つ功罪はともかく、子どもたちの生活の中で、留意したいことは「テレビのながら視聴」でしょう。これは、たとえば、注意力が散漫になったり、集中力が途切れたりする習慣を生み、受動的な子どもになるのではないか。保護者の皆さんの中には、私と同じように心配されている方もおられると思います。
 大切なことは、テレビから得られる情報を自分で吟味しながら見るという習慣作りだと思います(自分の行為をセルフ・コントロールできるようになること)。たとえば、時間を決めて見るとか、番組を決めて視聴するという習慣を生むことだと言えます。一日のほとんどの時間をテレビの前で過ごすのは、決して健康的だとは言えないのですから。それ以上に、テレビを子守の代役にしてしまうことだけは避けたいものです。
 聴くところによりますと、Kさんのご家庭では、食事の時にはテレビを見ないようにしているそうです。また、Hさんのご家庭では、どうしても見たい番組があるときは、ビデオに録画して別の時間帯に見る−など、いろいろと工夫されておられるようです。これによって、食事の時間には家族各々が今日あったことを話したり聴いたりする時間として有意義に過ごされているのだそうです。
 昨今は機械と面する場面が増えています。自動販売機、バスの切符の購入や運賃の支払い、改札等など、従来は人と面して行っていた行為も機械に置き換えられている場面が少なくないのです(もちろん便利になった部分もたくさんあるのですが−)。核家族の増加も、人とコミュニケートする機会を減少させています。おそらく、この傾向は将来も増加していくことでしょう。こういった状況であるからこそ余計に、人とかかわり「共に生きる」ことの大切さを再認識したいものです。機械と面してばかりでは、心は一方通行で、一人よがりな人間を生むことにつながりかねません。できるなら、テレビも誰かと一緒に視聴して、気持ちを交換したり、感動を共有したりすることが欠かせないのだと言えましょう。
 便利な機器も使い方次第で、効果が上がったり下がったりします。とりわけ、子どもたちの場合には、テレビと賢くかかわれるように、私たち大人がモデルとなっていくことが大切なのだと思われます。テレビの見方について、子どもと話し合ってルールを考えてみるのもよいことだと思うのですが……。
▲top
 
 遊びの様子…室内でトンネル遊び・携帯電話ごっこ?などに夢中
 
 連日の梅雨で、せっかく準備したプールもお預け状態です。子どもたちは少々エネルギーを持て余しているのではないかな、と思って子どもたちの姿を見ています。が、子どもたちは梅雨のうっとおしさを吹き飛ばすように、工夫して遊んでおります。
 室内のホールでは、段ボール箱を使って「トンネル遊び」が始まっています。トンネルのそばには段ボールの家もあります。これは切符売り場なのだそうです。子どもの言うには、「トンネルに入るためには、切符が要るね」。さっそく子どもたちのアイデアで切符を作っていました。今度はその切符を使って、切符売りをしては、トンネルくぐりを楽しんでいます。トンネルの出口には飾りが必要になりました。
 動きの一つ一つに意味が込められています。当初、私はそれらの意味が分からなくて「これなあに?」って聞こうとしたのですが、ちょっと待てヨ。しばらく子どもたちの様子を見てみることにしました。しばらく傍観していると、少しずつですが遊びや建物の意味(子どものイメージ)が理解されてきます。職員室では、この遊びは迷路遊びやおばけ屋敷などに発展されるかもしれない−そうなると楽しいね、等と話しています。
 さてその一方で、時折晴れた瞬間を見つけて「どろんこ遊び」をする子どももみられます。他にも(担任の先生から聞いたのですが)最近では、あるクラスで携帯電話遊びが興っているそうです。段ボール紙を用いて友だちと話し合いながら携帯電話を作り、「もしもし」と話し合っている場面がみられるとか。これも自発的に興った遊びです。
 園内のあちこちでさまざまな遊びが見られます。とても微笑ましく思います。
 ここしばらくは、雨の音をBGMにして段ボールなどを使った遊びが続きそうです。今後の展開に目が離せない日が続きそうです。
 
 
 後片付け(その1)
 
 園内がかなり賑やかになってきました。4月当初の不安の感じられる賑やかさとは異なり、子どもたちが自分の遊びを見いだし、その遊びで生じる賑やかさです。ひとり一人の子どもが自分のペースで過ごしているのだと受け止めています。
 さて、そうした生活の中で、帰りの会(降園前のクラス集会)の前には、それまでに遊んだ玩具や道具を片付けるようにしています。その合図として、本園では(時計の時報のように、それも小さな音量で)鐘の音を流しています。子どもたちはこの音を手がかりとして、それぞれに後かたづけを始めるのです。
 その鐘の音を聴いた後の子どもたちの様子はさまざまです。さっさと片付けを始める子、なかなか遊びに区切りがつけられない子、どうしようかと迷っている子、片付けの姿を傍観している子など、さまざまな姿が観察されます。
 片付けない子の中には「僕が遊んだ道具じゃないもん」と言って、目の前に転がっている道具でさえ片付けようとしない子もいます。そうした子を前にA先生は「片付けると、きれいになって気持ちいいいね」と一緒に片付けながら喜びをあらわにされるのです。子どもたちはその喜びの声に素直に反応して、一緒に片付けを始めるのです。そして、子どもの口から「きれいになったね」と喜びの声が出てくるのです。
 没頭して遊んでいる子どもたちは、鐘の合図が聞き取れない時もあります。そうした人には「もう後かたづけなんよ」と気付いた人(子ども)が伝えてあげている姿があります(この“伝えあう”姿は特に尊いと思います)。聞き取れなかった方が悪いのではなくて、それよりも聞き逃したときにはそれをそっと支えてあげる優しい心を大切にしたいのです。
 それでも片付けをしようとしない子もいます。おそらく、遊びに区切りを付けるのに手間取っているのでしょう。心の後かたづけ−まるで燃え盛っている遊び心に水をさすのを躊躇しているような状況に思われます−にも時間が必要ですから。子どもにも都合があるのです。このような場合には特に、時間に余裕を持ってかかわるのがポイントとなります。
 ある日、そうしたさまざまな姿を目の辺りにして、一人の子が自分の思いを伝えにきました。「先生、“片付けですよ”ってマイクで放送すればいいのに」と。確かにこれも一案です。放送をすれば、明解に行動が明示できて、その言葉が追風となって皆が一斉に片付けに移れますから、場合によってはこの方法は合理的だと言えます。でもよく考えてみると、放送で一斉に動くというのもなんとなく味気ない気がします。できるだけ(駅のホームから電車の出発ベルの音をなくするような感覚で)、声の届く人には「片付けようよ」という気持ちを伝え合い、一人一人の心の中で「片付け」の気持ちを揺さぶり起こして欲しいのです。帰りの会の中でも、日中の遊びで感じた一人一人の思いを伝え合い、聞き合い、共に考えてみる時間を持つように努めています。
 幼い時期の成長や発達では、個人差や個体差が大きいですから、その差異を認めていくことは欠かせない要件となります。そうした一人一人の差異を認めながらも、日々の生活の中で、さまざまな心(思いや意味など)を力量に応じて、“伝えあう”ことはとても大切なことだと考えます。他人の心に支配されて行動するのではなくて、自分の意志で、自分の思いを調節しながら行動ができることは、とても素晴らしい能力なのですから。他者に促されて行動する習慣の中で生活すると、合図や信号が無いと動けない人(指示待ち人間)になってしまうのではないか−と思うのです。これは、私の思い過ごしなのでしょうか。
 
 後片付け(その2)
 
 遊びのおしまいには大抵の場合、片付けの時間がやってきます。遊び道具を片付ける子どもたちの姿はさまざまです。「片付けだよ」と言いながらサッサと片付ける子。「せっかく作ったお家なのに〜」と後髪を引かれるように気持ちを整理しながら(余韻を楽しみながら)片付ける子。何も片付けないでサッサと違う場所に行ってしまう子、などいろいろです。
 片付けない子どもたちには、それなりに意味があるのでしょう。しかし、そういった子どもたちには、ちゃんと片付けの意味を伝えることが必要であるように思います。その一方で、片付けに参加している子どもたちにもちゃんとケアが必要です。さて、それぞれの子どもたちに対して、どのように接したらよいのでしょうか? 
 そうした場面で、私たち大人が留意したいことの一つは、「わが子の行動を隣の子どもと比較して語らないようにしたい」ものだと思います。「C君はお片付けができるんだって」と言われた時、おそらく当の本人(わが子)はすねてしまうことでしょう。
 要は、子どもたち一人ひとりの思いをしっかり認め、一人ひとりの生活課題を大人がしっかり認識し、その課題を子どもたちが自分の力で克服していけるように、大人が背後から関わることが大切なのだと思います。たとえば、「片付けがうまく出来ない」としたら、大人と一緒に片付けてその方法を伝えたり、片付けの面白さを伝えたり(「きれいになって気持ちいいなあー」等)、あるいは自分でできたところまではしっかり誉めてあげたり、など。
 ある調査によれば、親子の会話で特徴的なのは、大人が子どもに向かって禁止や命令の言葉をかけていることが多いのだそうです。だからと言って、禁止や命令の言葉(「ダメ」「やめなさい」「○○しなさい」など)がすべて悪いわけではないのです。生命の危険にかかわるときや他人に迷惑のかかるときには、どうしても必要な言葉だと思います。しかしその一方では、容認や賞賛、共感の言葉(そうだね、よかったよ、よかったね、等)はもっと大切であるように思われます。
 この時期には、他者に認められることの喜び(快感)を十分に味わいたいと思います。
 思い返してみますと1歳に満たない子ども(まだ十分な言葉を持たない時期)に対して、私たち大人はきわめて寛大な態度で接しています。その寛容な心が、底辺にあるから子どもたちは愛する心を膨らませられるのだと思われます。「愛」を感じ取られることは、この時期とても大切な経験だと思うのです。
▲top
 
 お家の中で何して遊ぶ?
 
 6月は梅雨の時期。蛙の合唱が聞こえてきました。いろんな声で歌っています。この時期、シトシトと雨が降り続くと、なんだか気持ちまでうっとおしくなってきます。でも、この雨もお米を作るためにはとても大切なもの。雨が降らなければ困る人がたくさんいることも考えなければいけません。機会をみて、一つの事象もいろいろな見方(心)があることを子どもたちに伝えていくことが必要です。
 さて、雨が降るとお家の中で身体を十分に動かせなくて、ストレスがたまってしまう人もいるでしょうね。お家の中でゴロゴロ、グズグズしている子どもの姿を見かけたら、それは大人とのコミュニケーションのチャンスです。(大人には少々厄介に思われるかも知れませんが)子どもが容易にできることを頼んで、子どもにお手伝いの喜びを味あわせる機会としてはいかがでしょうか。これもこの時期の大切な経験(学習)だと思います。たとえば、箸やコップを並べる、新聞をとる、机を拭く、洗濯物を洗濯機に入れる、タオルをたたむ、靴を並べるなど。すぐにできることから少しずつ。そして、それができたらしっかり褒めてあげてください。「上手にできたね」「とても助かったよ」「ありがとう」って。「自分のこともろくにできないのに、お手伝いなんて!」と思わないでください。
 子どもはいつの時も自分なりに一人前だと思っていますし、お家の人のために何かしてあげるのは大きな喜びなのです。一人前として認められることは、自立する過程で欠かせない要因なのですから。そして、これは子どもに対して、家族の一員であることを実感させ、「生きる自信と喜び」を与えてくれることでしょう。
 みんなが気持ちよく、仲良く暮らすためには、大人も子どもも各々ができることで助け合い、力を出し合い支えあって生きているのだ、ということを確認しあう機会が必要です。お手伝いが、お家の中でできる最高の遊びだと思えたら素敵ですね。
▲top
 
 お昼のお弁当のこと
 
 お昼のお弁当をみんなで楽しくいただいています。更に、おいしくいただくためにいろいろとご家庭でも工夫をしていただけますと大変助かります。
 たとえば園でこんな様子が見られます。
 (例1)お箸をうまく使えないために、ご飯がちらばってしまい、食べるのが難しそうです。
 →できないからといって、お箸をやめてしまうのも考えものです。箸になじむことも大切なことです。辛抱強く、お箸の持ち方やお皿の使い方など、いま一度確かめながら食事を頂きましょう。
 (例2)ご飯に“ふりかけ”をかけておいしくいただくのはとてもよいアイデアだと思います。が、子どもはふりかけの袋をとても苦労して開けています。途中で袋が破れて、床に散らばって悲しい思いをした子どもも少なくありません。
 →このような場合は、あらかじめご飯にふりかけたり、“おむすび”にするとかの工夫が必要のようです。デザートにカップゼリーを入れている子どもも同様です。袋を開けるのって大変なのですね。他の場面で慣れる機会(練習)が必要のようです。
 ご家庭でもいろいろとアイデアを出し合って、食事が楽しくいただけるように宜しくお願いします。
▲top
 
【7月】
 見上げてみよう夜の星を…心にゆとりを
 
 長かった梅雨が過ぎると、いよいよ待ちに待った夏がやってきます。海や山、すいかにかき氷、花火、入道雲、夕立、かぶとむしにトンボなど、夏を感じとらせてくれるものがたくさんあります。ご家庭でも、夏をお部屋に飾るなど目に見える形にして、暑さや汗、味覚などを添えて、子どもたちに“夏”を感じさせていただければありがたいと思います。私たちが今住んでいる町は、四季折々の豊かな自然の変化を味わうことのできる素晴らしい所です。これは他の国ではそんなに見られません。
 さて、最近は大気汚染が進んで、なかなか街中で星をゆっくりと眺めることも難しくなりましたが、それでも夏は夜空の星が一段と鮮やかに見える時期です。最近は生活のテンポ自体が速くなって、とてもゆっくりなどしていられない−私たちはそのような時間に追われる生活に慣れてしまって、星を見上げる余裕など、どこかに忘れてしまったかのようです。皆さんのご家庭ではいかがでしょうか。ひとつ、これを機会にゆっくりと星空を眺めてみませんか。
 星を巡っていろいろなことを想像してみましょう。星の一つ一つは輝きが異なること、星の光が地球に届くまでに途方もないほど長い時間がかかること、いくつかの星を点描してみるといろいろな形(星座)が見えてくること、方角を知るために星を手がかりとしていること等など。昔の人たちは、とてもロマンのあることを考えていたのですね。
 このような時間を活かして、ゆっくりと今日の事を振り返ってみたり、明日の事を夢みたり、時にはゆっくりとした思索のひとときを持つことも心の栄養として必要だと思います。ゆとりのある生活の中に、心豊かな生活が芽生えてくるのだとも言えます。まずは、私たち大人が夜空を見上げて、ゆとりある時間と心を取り戻したいものです。そうすれば、子どもたちもその後姿をみて、ホッとして心の緊張を解いてくれることでしょう。行動(生活)の前に、想い(予想とか夢)を描いてみよう。そして活力がジワッと湧いてきたら、さあ行動だ!
▲top
 
 創造する心
 
 早いものでもう7月。最近はすっかり気候もよくなって、水遊びを楽しんでいます。季節は、私たちが気付かないうちにゆっくりと大きく変化しているのです。園庭の隅でも3月頃には気が付かなかった雑草がしっかりとはえていて、小さな虫達がゴソゴソと動いています。日々の小さな変化はなかなか見え難いものです。
 同じように、子どもたちの遊びも私たちの気が付かないうちに変化しています。先日、子どもたちは園庭の隅っこで段ボール箱を使ってお家を作っていました。はじめの内は大きな部屋を作り、それで十分に楽しめていたようですが、それでは物足りなくなって、ドアをつけたり、机を作ったりなど、それは段々と部屋らしくなっていきました。数日後、段ボールの部屋はどうなっているかな?と思って行ってみると、今度は屋根をつけて、窓ができていました。部屋の中は薄暗くて「夜」のようになっていました。いろいろと工夫しているのです。当然のこと、自然発生的に仲間と一緒にごっこ遊びが始まります。子どもたちは、実によく普段の生活を観察しているな、と感心したものです。
 砂遊びでも同じような成長が見られます。子どもたちは、きめの細かな砂を探して、それにちょっとだけ水を加えて“ツルツル金貨”を作るのが上手です。水加減を調節すると“お団子”や“ケーキ”なども作れます。先日は、砂場に作った大きな山に雨を降らせようと思い、せっせとペットボトルや牛乳パックに水を汲んで運んでいました。水道の所で汲んだ水は、穴の開いた牛乳パックでは水が漏れてしまって、砂場にたどり着く頃には水が少なくなってしまう。そこでハタと考えたA君は、手で穴をふさいだり、穴の開いた側を上にして斜めに傾けてみたりと、悪戦苦闘。ここでも「雨を降らせたい」「砂場に川をつくりたい」という思いが、さまざまな工夫を導いているのがよくわかります。まさに、子どもたちにとっての「学び」が「遊び」の中に隠されているのです。
 別の事例で。数人の子が、絵の具を使って一枚の大きな段ボール紙に色を塗っていました。はじめは、ただ腕を動かして塗る行為そのものを楽しんでいる(らくがきをしているような)感じでしたが、ふと偶然に出来た面白い形を見て「これは○○で、これは○○。」と説明してくれました。それからは「今度は○○を描こっと!」と気持ちを焦点化させています。大きな紙を前にして、2人で楽しくお喋り(作り話)をしながら描いていました。この様子をみていて思いました−何気ない行為(操作)が心を育み(意味を与え)、次にその心が行為を洗練させるのだろう、と。
 このような遊びの中には、お話を聞いている状況と似た所があるように思われます。つまり、子どもたちはお話の展開を予測したり、人の心を推し量りながら(創造しながら)聞いている。とても身近なところで想像や創造の芽が育まれているのです。
 
 「無いこと」の意味
 
 日中はすっかり夏本番の天候になってきました。今日、1学期の終業式を行いました。保護者の皆様には、何かにつけてご支援ご協力を賜りまして、誠にありがとうございました。入園して間もない頃、不安で登園を嫌がる子どもたちも、段々とその数が減って、今では登園時の「おはようございます!」がすっかり板についてきたようです。挨拶、これはとても大切な行為です。子どもたちのこの成長を大いに喜びたいと思います。
 さて、ここで一つ園でのエピソードをご紹介しましょう。園庭の遊びで、最も人気のあるのは砂遊びです。ところが、本園の砂場は砂の種類がよくないのか、すぐに固まってしまうのです。それでも、子どもたちは、水を加えたり、掘り返したりしながら逞しく遊びます。その様子をみていますと、何とかして柔らかい砂に入れ換えてあげたい、と思うのです。先日6月の下旬に園庭の樹木の移植を行いました。その際に、砂場の砂を20センチほど掘り返して、その後に川砂を入れる予定だったのです。が、砂を掘り返した途端に、突然の豪雨。掘り返した砂場にどっぷりと水が溜り、池のようになってしまったのです。これを見た子どもたちは、すっかり様子の変わった“砂場池(?)”に触発されて、また遊びはじめるのです。子どもは実に逞しい。(このドロ遊びで、保護者の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。)
 一方、(本園は起伏がないので)砂場の砂を利用して、高さ1m余りの砂山を作ったのですが、これがまた人気の的となりました。ここでも遊びがどんどん変化して行きます。かけあがったり、かけ降りたり、あるいは滑ったり、途中に橋をかけて渡ったり、砂山の横に穴を掘ったり、それが谷になったりと、遊びのダイナミックな変化が観られます。
 そうしていると、今度は別の子が砂場池を見て「先生、砂場は無いの?」という素朴な質問。「砂場の水がなくならないと、砂を入れられないんだよ」と言うと、「それじゃ、別の所に作ればいいよ」と子どもの返答です。「なるほど。」
こんな、やり取りをしている内に、夏休みを迎えることになってしまいました。
 でも、これらのことでいろいろと考えさせられます。子どもが欲しいと思うものをスッと大人の方から差しだしてあげるのが、本当に教育的なのかと。
 確かに私たちは、身の回りの環境(人や物)に触発されて多くのことを学んでいるのです。幸運にも、今回の「砂場の無いこと」「池ができたこと」の不便さや環境の変化をバネにして、子どもたちは新たな遊びを工夫していくことができました。これはとてもよい経験となりました。
 これは私たち教師にとっても、物が「無いことの意味」を知るよい機会になりました。無いことをバネにして新たな遊びを生み出すのはどうしたらよいのか。子どもたちが学び(遊び)たくなるような場作り、自分で遊びの環境を作り替えられるような場作りは、どうすればよいのか。これは深いテーマになりそうです。
▲top
 
 しっかり汗を流してあげてください
 
 園では、園庭や砂場などに溜った水溜りで、盛んに水遊びや泥遊びが行われています。先日もあるクラスで、みんなで泥遊びをして、一緒にパンツを洗って、テラスに干しました。可愛いパンツが一列に並んで、そよ風に揺られて気持ちよさそうでした。
 園ではこういった状況で遊んでいます。どうかお家でお風呂に入ったときには、しっかりと背中や首や耳の後など、子どもの手の届かないところはしっかりと洗ってあげてください。
 
【8月】
 規則正しい生活を
 
 一学期を終えることができ、その中では多大なるご協力を賜わりまして誠に有難うございました。まだまだ行き渡らない所も多々あると思います。お気づきの点などお教え下されば幸いに存じます。
 さて、この数カ月を思い返してみましても、いろいろなことがありました。入園の時に泣いていたのに、しっかりといたずらができるようになったり、お友だちと一緒に遊べるようになったり、箸がうまく使えるようになったり、新しい歌や遊びを覚えたり等、子どもたちはできるようになったことがたくさんあると思います。各々のご家庭でも、一学期にあったいろいろな出来事を思いだされながら、子どもたちの心と身体の成長をお感じになっておられることと思います。子どもたちの吸収力は無限なのですね。
 その一方で、私たち大人は、いざ最近できるようになったことは、と考えてみても、なかなか見当りません。それに較べて、子どもたちの成長する力は旺盛で、新たな発見やできるようになったことがたくさんあります。子どもにとってその喜びは生きる自信につながることでしょう。その喜び(成長)を確実なものとするためには、それを共に認め合う人(支えてくれる人)が必要なのです。どんなに些細なことでも子どもが「見て見て」と声を掛けてきたときには、是非一緒になってそれを認め、共に喜び合いたいものです。そうすると、喜びは2倍にも3倍にも膨らみ、次の成長のエネルギーが湧いて来ることでしょう。子どもは認められているときには、十分に満足していますから、親の少々の注文にも応えてくれることでしょう。
 夏休みには、各ご家庭で普段の生活では味わえないことを、いろいろと計画されておられることと思います。是非、夏休みならではの経験を持たせてあげてください。でも、そうした生活の中では、とかく生活のリズムが狂いがちになります。折角のゆとりある時ですから、多少の変化はしかたないかもしれません。その中でも睡眠と食事は、できるだけこれ迄と同じペースでお願いします。また、テレビ漬けになったり、間食が多くなったりしないように気を付けたいものです。
 どうかこの夏休み、規則正しい生活を心がけ、そして子どもと一緒に生活の約束をして、それを守るように努めて欲しいと思います。お願いばかりで恐縮です。夏休みには、私どもも楽しい2学期が過ごせるように一生懸命に準備をして臨みたいと思います。どうぞ宜しくお願い申し上げます。よい夏休みをお過ごしください。
▲top
 
 9月1日の登園の喜びをもたせるために
 
 夏休みも9月に近づいてきましたら、少しづつ園生活の準備をはじめましょう。
 就寝の時間と起床時間には、特に留意してください。そして、「○○のことを先生に教えてあげようね」とか「○○をみたよ。○○だったよ」(たとえば、トンボを捕まえたよ。とても大きかったよ)など、何でも結構です。要は、好きな先生や好きなお友だちに伝えたい思いを持たせるようにすると、登園の喜びや友だちや先生に会える喜びが膨らむことと思います。
 また、カバンの準備や身支度の準備なども、数日前に一緒にして(できることは子どもたちにもさせるようにして)いただけると喜びが膨らむことでしょう。どうぞ宜しくお願い致します。

<<もくじ <<第1章  ▲top 第3章>>