善徳寺とは

善徳寺は、天文21年(1552)超印法師の開基によるもので、爾来460年あまり、念仏道場として、善徳寺御門徒、有縁の方々により護られてきたお寺です。『高陽町史』によると「武田氏の末流山村平兵衛が、享禄年中桜尾城で討死後、一子は出家して超印と称し、佐伯郡石内村の慶蔵坊の弟子となり、下深川へ来て真言宗教徳坊の寺跡を真宗に改め、善徳寺の開基となった」とあります。


しかし、残念なことに「その系図、諸記録等が中途で盗難にあい、今その委細を知るに由なく」と『深川村誌』に記してあるようにあまり記録が残っておりません。

『ふるさと高陽』(広島市高陽公民館 高陽郷土史研究会)には、「現在、寺の裏山一帯に石垣が見られる。これは往時飢饉の際に、多くの難民が他地区より漂流してきた際に、当時の住職が受け入れ、その救済事業として築いたといわれる。ここに、椿なども植えたようで椿が原と呼ばれたところもあったという。」当時、ここにヒヨドリなどが沢山飛んでくるので、藩主も時折り猟に来たようです。そして、藩主が休むのに使ったのがお寺の庫裏で、到着時に籠を置く敷石が現在も残っています。


現在の本堂は建立されて400年あまり。また、梵鐘はその文様が珍しく、広島市重要文化財に指定されています。広い境内を堅固にささえる石垣、境内にそびえるいちょう、イヌマキ(広島市保存樹)の大きさからもその歴史がうかがわれます。

近年には御門徒の御懇念により、庫裏・門徒会館の新築(1985年)、本堂屋根修復(1993年)、本堂内陣の修復(2001年・2009年)が相次いで行われ、2009年10月には、第14世釈晃司より第15世釈圭司へと住職のバトンが渡されました。

 


善徳寺の寺院活動

善徳寺は浄土真宗の中でも本願寺派の寺院で、その名の通り本山は京都府下京区にある本願寺(西本願寺)です。(浄土真宗には十派あります)お寺の山号は、銅亀山(どうきざん)といいます。また、このあたり10ケ寺のお寺と連携し、様々な行事にも協力しています。このグループは「深川組(ふかわそ)」といいます。

善徳寺は、下深川地区を中心に亀崎、真亀、倉掛など地区内外の多くの御門徒の「浄土真宗の教えを代々伝えていきたい」との篤い思いから、これまで大切に護られてきました。さらに近年では、葬儀からのご縁だけでなく、幼稚園のご縁や、「ぜひ善徳寺さんでお参りを!」とのご指名で、心強い事に御門徒が増えつつあります。

御門徒とは、お念仏の教えをいただき、教えの道場である当山護持の尊い気持ちをお持ちの方と私どもは考えています。御門徒のみなさんには、一年に、約6千円の総代会費(本願寺への冥加銭も含む)や法座の事前懇志のご協力をいただいています。基本的に御門徒の方の仏事を勤めます。

葬儀からのご縁の方も、同様にご協力をお願いしています。

隣接の境内地には「仏の子を育てる」ために学校法人 善徳学園 善徳寺幼稚園を1977年に開園し、子どもたちのにぎやかな声が日々こだましています。これまで二千数百人の卒園児を送り出してきました。

現在の住職は、第15世釈圭司(山村圭司)。月命日にお参りする月忌参りをはじめとし、法事、葬儀、仏前結婚式などの仏事を勤めます。全御門徒には行事の際に「善徳寺だより」を年6回配布しています。また月忌参りの際には冊子「MIDOさん」を配布しています。

さらに、運営をつかさどる総代さんをはじめ、御門徒の会である「善徳寺仏教婦人会」・「善徳寺求道会」のみなさまのご協力をいただき、教化活動を行っています。

「浄土真宗の教え」をひろめ伝えるべく、お寺では法座、例会など様々な行事が開催されています。

思い通りにならないこの人生をどう生きるか?仏法を聴くお仲間になりませんか。ぜひ善徳寺に来てみてください。どうぞよろしくお願いします。